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無理やり腕を引っ張られて連れてこられたのは交番だった。六畳ほどの狭い部屋に通されて、少し待つよう言い残された。この隙に逃げられるのではと思ったがあまりにも無防備な様子が逆に恐ろしく感じられ、結局大人しく待つより他なかった。五分ほどすると男は湯飲みを持って戻ってきた。
男は自分を舟瀬と名乗った。舟瀬は調書に筆を走らせながらおキクの住んでいる場所や親御さんの有無について質問をする。虚実織り交ぜながら当たり障りの無いよう適当に回答をしていく、しかし舟瀬のその変貌ぶりが気になってまったく頭に入ってこない。
ビン底眼鏡は四角い黒縁メガネに、チェックのシャツは警察官の制服に、ぼさぼさだった短髪はしっかりと七三分けに撫でつけられた。顔のパーツこそ同じはずだが雰囲気は別人のそれである。二重人格なのだろうか、あるいは何か変態的なプレイに付き合わせているのだろうか、念のために聞いてみる。
「いや、僕の人格は一人だしもう演技はしていない。それを言うなら逆に今までのがプレイだよ。援助交際をやる男のコスプレ、頑張ってやってみたんだがどうだっただろう」
「だいぶ偏見が混じってた」
「そうかい? まあいい。それよりキミ、『幽霊として生まれてから二年』ってのは本当なの?」
舟瀬がボールペンでコツコツと机を叩く。「駄目じゃないか。そんな若さで売春なんて」
「幽霊に年齢も法律も関係ないでしょ」
「でも僕は感心しないな。それに男性をいたずらにたぶらかして市民生活に影響を及ぼすというなら警察としては黙って見過ごすわけにもいかない。実際にお金を受け取っているから何かの間違いなのではと誤魔化すこともできないし」
「タダで男と寝ろって言うの?」
「お金が欲しいならまっとうに働けと言っているんだ。キミはあの有名な『皿屋敷のお菊』じゃないか、おばけ屋敷だったり肝試しだったり、働く場所には困らないだろう」
「そんなのイヤよ」
まるで爺ちゃんのお説教をくらっているみたいだった。
コツコツとドアが叩かれた。ひょっこり顔を出したのは若い女性警察官だ。「おうどん、食べる?」とコンビニ袋を差し出した。中には同じ種類のカップうどんが七個八個と詰め込まれている。
「昼食ならとっくに済ませましたよ。それに今は取り調べ中です」
「知ってるわ。その娘の分がいるかと思って」
おキクは首を横に振る。女性はその細い目でじっとりと観察するようにおキクを見てから、にんまりと口角を上げた。
「じゃあ、これは私が食べるわね」
そうして舟瀬の頭をナデナデしながら出て行った。
閑話休題。
「まあ、とにかく今後はもうやらないこと。見つけたらまた補導するから。いいね?」
「はーい」
やれやれと胸を撫でおろす。
イレギュラーな一日だったが人間につかまって無傷で帰ることができると思えば不幸中の幸いと言えよう。次から待ち合わせをするときはもっと遠くの方から相手の様子を窺おうと肝に銘じた。そしてやばそうな奴ならすぐ逃げる、それが今回の教訓だ。
ともかくこれで晴れて自由の身だ。
「それじゃあ、本題の方に移る」
と思ったのだが、まだ話は続くらしい。当然おキクは烈火のごとく非難したが、舟瀬は全く取り合う様子を見せなかった。勝手に本題へと進めていく。
「実はここ最近、この辺りで失踪事件が立て続けに起こっているんだ。失踪事件自体は正直それほど珍しいことじゃない、でもこの人口の少ない県で連続して起こるとなると何かしらの関連があるのではと疑わしくなってくる。そこで警察は誘拐事件である可能性を考慮に入れて捜査を始めた。するといなくなった人たちに二つの共通点が見つかった。一つは全員が男性であること、もう一つは彼らが援助交際に手を出していたということだ」
「ちょっと待って。ひょっとして私を疑っているの? たったそれだけのことで?」
「そう、そのたったそれだけのことが問題なんだ」
柱時計が三時を告げた。
「この事件の特徴は、何と言っても証拠や痕跡といったものがあまりにも少ないということなんだ。各所に設置された防犯カメラの映像にも街の人たちの目撃情報の中にも、どこを探してもほとんど無い。失踪事件だと考えていた当初なら被害者が痕跡を残さないよう注意したと納得することもできた、しかしいざ誘拐事件と考えてみればこれは明らかにおかしいくらいだ。大の男が複数人いてその全員が何の抵抗もなくすんなりと拉致されるなんて考えられるか? だから手掛かりはそのたった二つの共通点だけ。警察の捜査はとん挫したよ」
「失踪がたまたま重なっただけじゃないの」
「捜査本部もそう考え始めている。でも僕は、それ故にキミを疑っているんだ」
「は? どういうことよ」
「人と異なる存在であるキミたちはしばしば人知を超えた能力を持つ。自由に姿を消したり空を飛んだりできるのだってそうさ。だからキミが援助交際で気に入った男に魔術をかけて証拠が残らないよう自発的に行動させた、そんな突飛な考えだって可能性として考えられる。そうだろう?」
思わずおキクは椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。
「ばっかじゃないの? そんなことできないっての!」
「それを証明することはできるかい? または他に援助交際にかかわりのある人外がいるとでも?」
「でも、私が犯人だっていう証拠だってないじゃない! なのに勝手に決めつけるようなこと言うなんて……」
「そうだね。キミが人間だったら大問題になるかもしれない」
言いつつも舟瀬に悪びれる様子は全くない。「でも、幽霊に法律なんて関係ないからね」
舟瀬のことを思いっきりぶん殴ってやりたいと思った。そして自分が犯人ではないと言う確たる証拠を突き付けて、ついでにたくさん悪口を言ってやりたいと思った。あざ笑うかのようにここから逃げ去ってやりたいとも思った。しかしこの男を前にしておキクは何もすることができない。拳を握り、歯を食いしばり、強く睨みつけるしかできなかった。
「僕は霊能者じゃない。でも父がキミのような人外でね、その影響で霊感は人一倍強いんだ。半人半霊というわけさ。だからキミが逃げないようにすることくらいならできるんだ。しばらくここにいてもらうよ」
「でも、私じゃないもん……」
不自由と無力がこんなにも悔しいなんて知らなかった。
何とかして鼻を明かしてやりたいと思った。その心を見透かしたのか、舟瀬は殊更優しく語りかけた。
「真犯人が見つかったなら解放してあげることができる。捜査に協力してくれるかい?」
承諾するより他はなかった。
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