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 扉をくぐり、小さな部屋の中へ入った。折りたたみ式のテーブル、ダブルベッド、向かいには部屋全体を映す大きな鏡、奥には洗面所とユニットバスがあるばかり。まぐわうためだけに設えられたと言わんばかりのこの部屋に侵入するのは何度目のことだろう。思い出そうとしてみたが、おキクは部屋に来た回数はおろかその時いっしょにいた男の顔すら思い出すことができなかった。  そんなことはどうでもいいやとベッドに鞄を放り投げて、自身も仰向けに倒れ込む。 「はぁー、疲れたー」  腕と脚をピンと張って伸びをする。太腿からふくらはぎがひどくむくんでいるのが感じられ、両手で生脚を揉みほぐす。後からやって来た男の背後でオートロックの音が聞こえた。 「ごめんよ。少し連れまわし過ぎちゃったみたいだね」 「ううん、すっごく楽しかったよ。あのハンバーグランチも美味しかったし、展望台からの水平線も良かったし、もう大満足。むしろ遊び足りないくらいかな」 「若いってのは羨ましいな。でもこれ以上その格好で連れまわすのはちょっとねぇ……」 「あら、おじさんはこの格好嫌いなの?」  ぴょんと立ち上がり男の前でくるりとターンして見せる。紺色のセーラー服の襟が閃き、ミニスカートがかさを広げる。「嫌いなわけがないだろう」と、熱を帯びた視線が露わになった太ももを撫でた。  話によると男は普段は商社で働いているらしい。それなりの地位もあって家庭もあり、今年度娘が高校進学を無事決めた。しかし昇進に伴う責任の増加に娘の反抗期までも重なってストレスは溜まりに溜まり、そのはけ口を求めるうちに援助交際に手を染めた。それから半年、苛立ちと寂しさが募るたびに若い肌を求めてきた。万が一妻や娘に逢瀬を見られでもしたら……、最初はビクビクしていたが今では心地の良いスリルだと言う。  ゆっくりと男が近づいてきた。スッと腕が伸びてきて細い腰を包み込む。おキクはたしなめる様にその腕を解いた。 「先にいただくものをいただかなきゃね」  すると男は手早く財布を取り出して紙幣を数枚引き抜いた。千円札と一万円札。それを大仰に受け取ってぱらぱらとめくる。 「ちゃんと一枚足りているかい?」  と、やっぱり男が茶々を入れた。  おキクという名前というのはしばしば『皿屋敷のお菊』を連想させるものらしい。特にお札を数えているこのタイミングには必ずと言っていいほどにツッコまれる。多少辟易しているがこんなときはいつもその話にノッてあげることにしている。 「いちまーい、にまーい……」  そうすればこの期に及んで雰囲気が崩れるということはない。  一日分の代金としては一万八千円を提示している、だからお札は九枚の時もあれば五枚の時だってある。今回は前者だが、そんなことはどちらでもいい。「しーち、はーち、……」と声を上げてゆっくりと数える。無事に支払われているのを確認した。  確認はしたが、もちろん最後のセリフはお決まりのコレだ。 「一枚、足りなあぁ~~い!」  悲鳴と共におキクは飛び掛かるくらいの勢いで両腕を上げた。肩口まであった茶色い髪が四方へ逆立ち、こめかみには血管が浮かぶ。その形相も凄まじく、目玉が零れ落ちそうなほど瞼は開かれ、口元からは人間など躊躇なく噛み千切ってしまいそうな白い歯が覗いていた。つい先ほどまでは華奢な女子校生だったのが突然にこうも変わるものだから、その迫力たるや筆舌に尽くしがたいものがある。男は思わず後ずさりした。もしも部屋がもう少しだけ暗かったのならきっと腰を抜かしていただろう。  数拍の間があり、二人は罰が悪そうに笑い合った。「慣れたものだねぇ」。「真に迫るものがあったよ」。男がしきりに並べ立てる賞賛をおキクは笑って受け流す。  貰ったお金をしまってから、改めて男に向き直った。 「じゃ、そろそろヤりましょっか」  腰のホックに手をやると、ミニスカートが床に落ちた。
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