道祖神

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 アパレル業界で働くY子さんは、艶やかな黒髪が印象的な女性である。何か怖い話ありませんか、と水を向けたところ、実に貴重な体験談を一つ話してくれた。 「行ってはいけない場所ってあるじゃないですか」  行ってはいけない場所、ですか? 「ええ。例えば、子供の頃、夏休みに田舎のお祖父ちゃんの家なんかに行って、親戚の子供達なんかと遊びに行くわけですけど、大人達から“あそこに行ってはいけないよ”って言われる場所ってありますよね?家の中なら、例えば地下室とか土蔵の中とか……家の外だと、人が滅多に来ないような沼地だとか。要は子供が危険な目に遭わないように、禁止してる場合が多いんですよね。でも子供って、行くなと言われれば言われるほど、余計に行きたがるものでしょう?私も子供の頃、しょっちゅう怒られてました」  屈託無く笑って、彼女は話を始めた。  私の父方の田舎は、東京から新幹線とローカル線を使って半日くらいで着くような場所にあったのですが、毎年夏休みになるといつも、両親と共に祖父母の家に数日間滞在していました。  祖父母は基本的には孫に甘い、ごく普通のジジババで、私が行くといつも満面の笑みで迎えてくれていました。その近所には伯父伯母と従兄弟連中が住んでいて、滞在中は、私もよく一緒に遊んでいました。  とある夏休み、まだ私が小学校低学年だった頃です。祖父母の家に滞在していた私は、従兄弟達と遊んでいたんですが、ふとした流れで、「”あそこ"に行ってみようぜ」みたいな話になりました。私には"あそこ"が何なのかわかりませんでしたが、要は、行ってはいけない、と祖父母から普段から行くことを止められている小さな塚みたいなものがあって、そこに行ってみよう、ということらしいのです。彼等としては、「絶対に行ってはいけない」と固く言い含められている禁忌を敢えて破るという冒険心があったんでしょうね。一方、私としてはそんな事情はよく分からないまま、ただ、みんなについていったのです。  その塚は祖父母の家の裏手の山の中にありました。山の中と言っても、所詮は子供の脚でも行けたくらいですから、そんなに長くは歩きませんでした。ただ、それは山道を外れた少し奥まった小藪のようなところに、人目を避けるようにして、ひっそりと佇んでいました。  まだ小さかった私には、石で出来た小さな塔と、何かお地蔵さんみたいなものがあるなあ、ぐらいの印象しかありませんでしたが、要は、ある種の供養塔と道祖神だったわけです。そして、その正面には、まだ新しいお花と、あと何かの果物だったと思いますが、それらがきちんと供えられていたのか、妙に記憶に残りました。今思えば、それは放置されていたのでもなく、誰かがちゃんと管理をしていたのだと思います。従兄弟連中は、”敢えて怒られることをする楽しみ”で、かなりテンションが上がっているようでしたが、事情もよく知らず、まだ小さかった当時の私は、退屈な場所という印象しか持ちませんでした。  ところが、家に戻ってから、これこれの場所に行ったよ、と何気なく私が話したところ、祖父母から、すごい勢いで叱られてしまいました。 「なんで、あんな所に行った!行っちゃいかんと言ってるだろう!」  私は年上の従兄弟達に連れられていっただけで、全然わけがわからないうちに、一同ひとまとめに正座させられて大目玉を食らってしまいました。一番年上の従兄弟には、祖父の拳骨が炸裂しました。普段から行くなと言ってるのに、しかも私という小さな女の子まで連れて行ったとは、言語道断ということでした。 「とにかく、もう二度とあそこに行くんじゃないぞ!」  その激しい剣幕に、私はこれは本当にヤバいやつかもしれないと、子供心に思いました。勿論、それ以来その場所には行かなかったのですが、あんなに怖い顔をした祖父を見たのは初めてで、その強烈な印象と共に、当時の記憶は、はっきりと私の中に残りました。  その後、二十年以上の時が流れまして、今から一年近く前のことです。  仕事に追われて忙しい毎日を送っていた私は、ある日、ふっとあの場所のことを思い出しました。結局、あの場所はどういう場所だったんだろう。何があって、どういうわけで禁忌扱いされていたんだろう。二十年以上も経ってから、何となくあの場所への興味が湧いてきたのです。  その頃にはもう、祖父母達も亡くなっていましたし、あの時一緒に遊んだ従兄弟達や伯父さん伯母さん達を含めて、皆仕事や家庭の事情で引っ越したりして、あの界隈には私の親戚筋は、もう誰もいませんでした。私ももう大人なんだし、祖父母も親戚もあそこにはいないのだから誰憚ることも無いということで、もう一度行ってみようと思ったんです。  一人で行くのもちょっと寂しいなと思ったので、相方には学生時代のサークルの友人、T美を誘いました。因みに私達のサークルは、みんなで旅行に行くことを目的とした、ゆるーいサークルだったんですけど、T美は神話や民俗学にも関心があって、日本各地のパワースポットとか、スピリチュアルな場所を訪れることが好きだったので、何となく彼女に声をかけてみたのです。彼女自身、長くて美しい黒髪がうりざね顔に良く似合う、ちょっと巫女さんみたいな雰囲気も漂う美人で、学生時代もよく男子にもててました。久しぶりに連絡を取って、話しをすると、結構興味を持ったようで、話はとんとん拍子にまとまりました。  その塚へは二十数年ぶりの再訪でしたが、迷うことはありませんでした。祖父母の家は、残された祖母が亡くなった数年前までは、私も時々訪れていましたし、塚自体も、お話したように家からそれほど距離があるわけでもなかったので、場所はすぐにわかりました。  裏山の少し奥まで分け入った所に、細い山道から少し離れてひっそりと佇んでいる小さな塚は、私の記憶にあるものと殆ど変わっていませんでした。小さな供養塔のそばに、これまた小さな道祖神が立っていて、小藪の中にあるせいで、あたりの空気はひんやりとして、夏の気温の中では妙に心地よく感じる場所だったのです。  ただ、あの時と違うのは、花もお供え物も見当たりませんでした。今は単に苔むした供養塔と道祖神がそこにあるだけで、要は昔は誰かがちゃんと供養していたものが、今は誰からも忘れ去られてしまったようです。 「こぢんまりしたところがなかなかシブいね。苔の生え具合なんかもなかなかイイ感じ」  T美のお眼鏡にも叶ったようでした。わざわざこんな田舎まで引っ張り出して、つまらないとか思われたら、こちらも心苦しいところでしたから、とりあえあず私としてもほっとしました。  一応来た記念にと、各々スマホで塚の写真と、ついでにその前で自撮り写真も撮影しました。そして持ってきたペットボトルの水をお供えして、その日は駅前のビジネスホテルに一泊してから帰路につきました。  ところが、私達が東京に帰ってきた日の翌日のことです。真夜中過ぎに突然、T美から電話がかかってきました。 「何なのよ、こんな時間に」  寝ているところを叩き起こされて不機嫌な私の耳に、彼女の切迫した声が飛び込んで来ました。 「窓の外に何かいるの!ほら、聞こえない?」  コン……コン……と、ゆっくりと間をあけて、何かを叩くような音が聞こえてきます。私は一発で目が覚めてしまいました。 「怖いよ、どうしたらいいの」 「どうしたらって、不審者だったらすぐに110番しなよ!」 「ここは四階なのよ!」  私は絶句しました。そうでした。彼女の部屋は四階建てマンションの最上階だったのです……  そうこうしているうちに、段々と音は激しく、頻度も高くなってきます。  コン、コンコン、コンコンコンコン。 「怖いよ!Y子ちゃん、助けて!」  T美の切羽詰まった声が助けを求めてきます。でも、私にもどうすれば良いのかわかりません。 「とにかく、そこから逃げて!」  そう言うのが精いっぱいでした。ところが、次の瞬間。  ガシャン!とガラスの割れる音がするのと同時に、身の毛もよだつようなT美の絶叫が私の耳をつんざきました。 「もしもし!T美ちゃん!もしもし!どうしたのよ!」  私はスマホに向って絶叫しました。が、何の返事もありません。受話器の向こうには恐ろしいくらいの静寂が広がるばかりです。 「もしもし!T美ちゃん!返事して!もしもし!」  ふと気が付くと電話が切れています。慌てて掛けなおしましたが、繋がりません。「この電話は電波の届かないところにいるか、電源が切られています。御用の方はメッセージを……」という音声メッセージが流れるばかりです。私はとにかく、スマホの方を彼女の電話にかけっぱなしにしたまま、家の固定電話から110番して、状況を伝えました。警察の方では現場に警察官を派遣する、と言ってくれました。後から聞いた話ですが、実際、十三分後には二名の警官が彼女のマンションに到着したそうです。  そこに発見されたのは遺体になった彼女の無残な姿でした。  死因は何者かによる扼殺で、彼女の首にはくっきりと骨ばった指の跡が残っていたそうです。そして、更に恐ろしいことには、彼女の頭皮の半分程が恐ろしい力で引きはがされていたのです。あたかも何者かが彼女の髪の毛を掴んで力任せに引きちぎったように見えたそうです……  勿論、殺人事件として捜査が開始されました。報道もされましたから、概要くらいはご存知だと思いますけど……ええ、そうです。あのK区のマンションの事件なんです。警察としては、多分変質者かストーカーでしょうけど、犯人は屋上からロープのようなものを使って彼女の部屋のベランダに降りてから、ガラスを割って侵入し、逃げようとする彼女の髪の毛を後ろから掴んで引き倒して締め殺した後、またベランダからロープを使って逃走した、という仮説に基づいて捜査を進めているようですが、一年経った今でも殆ど進展は無いそうです。その仮説も色々突っ込みどころはありますが、確かに、私もそれが一応、現実的でまともな解釈だろうなとは思いました。  その一方で、私としてはあの塚の訪問に何か関係があるような気がしてなりませんでした。やっぱり、あそこは行ってはいけない場所だったんだ……彼女は、”あそこにいる何か怖いもの”の祟りにあって殺されたのではないか……もし私があんなところに誘わなければT美はあんなことにはならなかったのではないか……そう思うと私としては、後ろめたい気持ちに苛まれました。  と言いつつ、自分の中では、その考えを否定する声もあったのです。やっぱりあれはT美のストーカーなり変質者の犯行で、私達が塚を訪れた直後に彼女が襲われたのは単なる偶然じゃないのか。そもそも、今どき祟りで人が殺されるなんて、あまりにも荒唐無稽ですよね。そして何よりも、この私には何も起きなかったんです。あれからかなり時間が経ちましたが、今に至るまで、私の周囲には何も起きていません。私たち二人は同時にあそこを訪れ、二人とも自撮り写真を撮って、同じことをして帰ってきたのに……  もしあの塚に行くことが何かの祟りを呼び覚ます結果になるのなら、何故私だけ無事なのだろう?  私は悶々としながらも、ここ一年間は、とりあえずあれは変質者の仕業だったんだと自分を納得させるようにしていました。その方が彼女を誘った後ろめたさを感じなくてすみましたから……  ところが、つい最近のことです。意外なところから、私はあの塚の秘密を知らされることになりました。  あの時一緒に塚に行った従兄弟の一人が、今仕事の関係で東京に住んでるんですけど、たまには食事でもしようという話になりました。  その流れで、当時近所に住んでいて私の祖父母や親戚達とも親しくお付き合いをされていた方が、偶々東京に出て来ていて従兄弟と会食をする予定があるということで、いっその事、私もジョインしたら?という話になったのです。私も当時のことを懐かしく思い出すことが多く、あの頃の田舎の話を詳しく聞けるということに、何となく興味を感じたので、ご一緒させてもらうことにしました。  長年あの近所に住んで居られたその方、Uさんは、もう八十近いお年でしたが、まだまだお元気そうで、あの界隈の郷土史にも詳しく、色々と面白いお話を聞かせてくれました。その中で、あの塚の詳しい由来についても教えてくれたのです。  ずっと昔、あの界隈を取り仕切っていた、大きな庄屋がありました。その家には、おみつという美しい黒髪が自慢の一人娘がいて、大層可愛がられていたのですが、ある時流行り病に冒されてしまったのです。  床に臥せったおみつは日に日にやせ衰えて行きました。そして、自慢の黒髪も毎日ごっそりと抜け落ちていったのです。おみつは毎日手鏡で自分の姿を見ては、世にも恐ろしい声で叫んでいました。 「髪!あたしの髪!返してよ!返してよお!」  両親は、その当時出来る限りの手は尽くしたのですが、その甲斐もなく、間も無く彼女は息を引き取りました。勿論彼女は懇ろに弔われて、きちんと先祖代々のお墓に埋葬もされました。  ところが、それから間もなく庄屋の家に妙なことが起きるようになりました。今は誰もいなくなったおみつの部屋に、長い女性の髪の毛が見つかるようになったのです。少ない日は二、三本、多い日は十本程度が束になって畳の上に落ちているのです。  家族は大いに恐れました。きっと娘はまだ成仏出来ていないのだ。髪の毛に対する強い妄執がまだ残っていて、取り返そうとしているのだ。両親は色々相談の結果、墓とは別に小さな塚を作って、娘の部屋に落ちている髪の毛を拾い集めて供養することにしたのです。それがあの塚の由来というわけです。  つまり、あの場所は娘の妄執が、黒髪と共に長年に亘って澱み続けてきた忌み地というわけです。だから、みだりに近づいてはいけないのです。そして、特に美しい黒髪の女性がその場を訪れると、娘の怒りを買って祟られるというのです。  祖父母が私達をあそこに行くのを厳しく禁じていた理由もこれで分かりました。長年に亘って怨念が漂っているような場所だから、そんな場所に子供たちを近づけたくなかったのでしょう。あそこに花や果物を供えていたのも近所の人たちで、多分祖父母達も行っていたのかもしれません。近所に住む自分達に災いをもたらさないように、鎮まっていて欲しいからです。子供を近づけなかったのは、塚にいたずらをさせないように、という意図もあったのでしょうね。  いずれにしても、Uさんの説明を聞いた時、私の中で全ての疑問に答えが出ました。何故、祖父母が私達をあそこから遠ざけていたのか。そして、何故T美は殺されて、私には何も起きなかったのか……  実は、私は普段から髪を長く伸ばしていたのですが、あの塚を訪問する三日程前に、何となく気分を変えたくなって、ショートカットにしていたんです。それは、本当に気分の問題で、単なる思いつきでした。あと、山道を歩く時に、髪が枝にひっかかったりしないか、みたいなことも一応考えましたけど、とにかく、私としてはさしたる理由も無く、何となくショートにしただけなんです。  一方、T美は自慢の黒髪をさらりと流しながら颯爽と塚を訪れていました。  ひょっとしたら、あれが運命を分けてしまったのかもしれない。  もし、私がショートにしないで、長い髪のままあそこに行ったとしたら……"あれ”は私の所に来ていたかもしれないんです。  そして、私も彼女と同じように、髪を引きちぎられて、締め殺されていたのかも……そう思うと、本当にぞっとしました。  同時に、彼女に対しては、申し訳ない思いで引き裂かれそうになるんです。やっぱり、私があんな所に誘わなければ、彼女は命を落とすことは無かったんだ……勿論、この21世紀の世の中で、祟りのある場所に誘ったことの責任を問われるようなことは無いでしょう。でも、私が誘わなければ、あんなことは起きなかったという事実は、今でも私を苦しめています。私はこれから先一生、彼女を死なせてしまったという十字架を背負って生きなければならなくなりました。  もう全てが遅いのですが、本当に後悔してます。やっぱり、行ってはいけない場所ってあるんですよ……」  以上がY子さんから聞いた話である。私としても、まだ俄かには信じられないのだが、黒髪への妄執が祟りになって、人間一人を惨殺したというのは、確かに恐ろしい話だと思った。  ところで、本件の取材をしている中で、偶々二人の共通の友人という人にお会いする機会を得た。怪談の収集をしているという私に、Y子さんが、それなら私の友人もいくつかネタを持っているらしいから、と言って紹介してくれたのである。その友人Nさんは、Y子さんやT美さんのサークル時代の仲間で、当然二人にとっても共通の友人ということになる。  Nさんに個別にお会いして話を聴いた際、本件についても話を聞くことが出来たのだが、やはりT美さんの事件には、サークルの仲間たちも一同ショックを受けており、一日も早く犯人が逮捕されることを願っているとのことだった。当然ながら、あれが塚の祟りによるものだと思っている人はいないようだ。そもそもY子さんは、あの塚の由来をまだ誰にも話していないらしい。T美さんへの後ろめたさだろうか、あまり人には話したくないのだろう。なお、Nさんから聴取した彼独自のお話については、別の機会にご紹介したいと思う。  ただ、話を聞く中で、ひとつ興味深い情報があった。  もともとY子さんとT美さんはそんなに仲が良かったわけでもない、というのである。Nさんとしては、Y子さんがT美さんを誘って旅に出たこと自体、少々意外に思ったそうだ。  実はY子さんも学生時代は黒髪美人として男子の注目を集めていたらしい。二人は人気を二分する存在で、ライバル関係にあったらしいのだ。そして、実際Y子さんの意中のイケメン男子がT美さんに取られたといったような”事件“もあったとか…… 「少なくとも卒業した時点では、あの二人が仲良く会話してるようなところは、見た記憶が無いんですけどねえ。まあ、二人とも卒業してから時と共に大人になって、自然に仲直りしたってことでしょうかね……」  勿論、恋の鞘当て云々はとうの昔に終わった話で、今となっては青春時代のエピソードの一つみたいなものだろう。普通に考えれば……  だが、それを聞いた時から、私の中には妙な不安感が澱み始めているのである。  Y子さんは何故、そんなに仲が良いわけでもなかったT美さんを、塚参りの連れに選んだのだろう。  そして、何故彼女は自慢の黒髪を、塚の訪問直前のタイミングで、突然切ってしまったのだろう。  あの塚の秘密は、郷土史に詳しい地元の人から“つい最近“聞いたという彼女の話は本当なのだろうか……その人はこのコロナ禍のご時世に、わざわざ東京に出て来て、従兄弟を交えた三人で会食まで付き合ってくれたということなのか。  Y子さんがあの塚を再訪した時、小学生の時からは、もう二十年以上が経過していた。あの塚がどういう場所なのか、彼女が既に誰かから詳細を聞いていた可能性は無いのだろうか。  私がY子さんに会った時には、もうかなり髪も伸びていて、ショートカットにしていたという面影は殆ど消えていた。 「あれからすぐ伸ばし始めたんです。やっぱり、長い方が好きなんで」  そう言って彼女は、屈託無い笑いを浮かべた。 [了]
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