夏の雲

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 クーラーの効いた和室でノートパソコンに向かい、カタカタとキーボードを打つ。人と人を繋げる仕事であるコンサルティングは、新型コロナの煽りをモロにくらい、一カ所に集まって仕事をすることはほとんど無くなった。  パソコンの画面には、新規案件の企画書。その他にも、担当を受け持っている建設系企画の進捗管理と、随時飛び込んでくるメールの対応を平行して行っている。パソコンのファンが、負荷を減らせとやかましく自己主張していた。  もう一人の企画担当に、修正した企画書をメールで送る。座椅子にもたれ掛かり、あぐらの足を組み直した。少しだけ感覚の遠くなった右足が、畳に擦れてジワリと痺れた。  時計を確認すれば9時50分。  ポロン、と返信が返ってきた。 『企画書、これで提出します。本日の会議に出席をお願いいたします』  いくら接触を排除するこのご時世とはいえ、やはり画面を見ながら喋るのと、直接顔を合わせて話すのとでは、交換できる情報量が段違いだ。出社はほぼ無くなった上、会議の本数もガッツリ削減されたが、新しい企画を立ち上げる場合だけは、本社の会議室で面と向かって話し合うことになっていた。  家族が余裕を持って暮らしていくためにも、この案件は絶対に勝ち取りたい。上役たちの顔を思い浮かべながら、プレゼンの構成を脳内で再確認する。パソコンを落とし、外回りに持っていく荷物を作ってから、和室を出た。  ふすまを開けて、一番に目に入るのはリビングでテレビにかじりついている息子。次に目に入るのが、ダイニングテーブルでお絵描きをしている娘。単なる視界の中心に近い順。  それぞれ小3と小1で、今がもう可愛い盛り。2人とも口の中でモゴモゴ何かを呟きながら、手元に熱中している様子。……話しかけて集中を切らすのはうまくない。子供は何かに熱中しているときが、一番よく成長するのだから。  音を立てないように忍び足で移動し、廊下を抜ける。向かうは夫婦の寝室。  部屋の隅に据え付けたデスクトップに向かい、商用のイラストを描く嫁、美佳に、様子を伺いながら声を掛ける。 「今いいか」 「ん、なぁにー?」  ペンを置いて、こちらに向き直る美佳。 「これから外回り行ってくるから、よろしく頼む。新しい企画の打ち合わせのあと、昼は外で食べて、午後に今受け持ってる現場の進捗確認してくる。帰るのは四時頃かな」 「在宅でもコンサルは大変ねぇ。子供らはどんなカンジ?」 「今はテレビとお絵描きに夢中だよ。10時のおやつ出して行くから、もう30分くらいは描けるんじゃないかな」 「30分描いて、あの子らに勉強させて、その横で色の配置いじって……」  iPadに触りながら、段取りを組む。 「こっちもなんとかなるわ。オッケー! 行ってらっしゃい!」 「あーい、そんじゃ午後までよろしく」 「はーい」  画面に向き直った美佳は、返事もそこそこ、イラストに没頭していった。子供たちの集中力は、絶対に彼女から遺伝したものだと思う。  寝室の扉を閉め、リビングに戻る。  2人は既にテーブルについて、瞳をキラキラさせていた。 「お父さんおやつー!」  未玖の言葉に、思わず苦笑してしまう。 「早いな!? テレビとお絵描きはよかったの?」 「テレビはちょうど時間で終わったからな!」 「お兄ちゃんがおやつの時間だぞって教えてくれたの!」 「ミクはまだ時計読めないもんなー」 「そっかそっか、流石お兄ちゃん」  話しながら、キッチンに向かいお菓子を用意する。キャラメルコーンと、タマゴボーロと……。 「でもそろそろ授業で勉強するよ?」 「お! 時間分かったら便利だからなぁ。しっかり覚えておけよ?」  お皿に2人分だけ載せ、テーブルに持っていく。 「んじゃ、時間通りに動けた二人にチョコをおまけしよう」 「「やったー!!」」  喜んで、2人でハイタッチ。挨拶の前に、いつものお約束。 「2人で仲良く食べること。楽しくお話できたらなおよし。オレはこれからお仕事で外出てくるから、しっかり切り替えて遊んだり勉強したりすること」 「「はーい!」」 「それじゃ……」 「「いただきます!」」  2人は思い思いにお菓子に手をつけていった。リビングに、サクサクと軽い音が響く。美味しそうにお菓子を食べる2人は無限に見ていられる。しかしそろそろ時間がヤバい。最後に2人の頭をひと撫で。 「それじゃ、行ってきます」 「「いっへふぁっふぁーふ」」 「口の中に物入ってるのはいただけないけど、ありがとな」 「おみやげよろしく!」  急いで飲み下し、ニヤッと笑いながら、和慶。 「気が向いたらな。お母さん困らせんなよ」 「うぃー」  和慶は黙々とお菓子に向き直っていった。  さて、手荷物よし、資料よし、ヘルメットは車で、あと必要な物は……。  仕事の段取りを組みながら、玄関を開ける。途端、襲い来る真夏の熱気が肌に粘り着く。ふと見ると、マンションの廊下から陽炎が立っていた。  そういえば、家に籠もりきりで、子供も登校する機会が減ったから気がつかなかったがもう7月も終わりじゃないか。春らしい体験なんて、緊急事態宣言が解除されてからでも全く無かった。  階段を降りながら考える。これはまずいぞ、と。  自分たち大人が季節感や日付感覚を失うのは百歩譲って許容しよう。だが子供たちが家しか知らないのはもったいない。あの年頃の体験が人生を形作っていくと、自分は身を以て知っているのだから。 『仕事を上手く結びつけてくれる人がいりゃ、こんなにあくせく交渉して、何も無いところから仕事を作る必要もないのになぁ』  今でも覚えている、何気ないひと言。自営業を営む父親が、小3の自分にポロリとこぼしていた。コンサルティングを仕事にしている理由として、この言葉があることはまったく否定できない。あの言葉を聞かなかったら、自分はきっと、企画屋や広告屋といった、全く違う人生を歩んでいたことだろう。……やっていること自体は、今とそんなに変わらないかもしれないが。  それに新しく企画を立てるときは、あの頃自然と触れ合いながら培った遊び心がモロに活きている。子供が楽しめる要素の構成は、大抵の場合大人にも通用する。あの頃がなかったら、やっぱり自分は別の人生だっただろう。  裏口を通り、駐車場に抜ける。車の扉を開けると、サウナよりひどい熱が爆発してきた。扉をパタパタあおり、少しでも中の空気を入れ替える。車の外に立ったままエンジンを入れた。窓を全開にしてから、シートベルトを締める。  時間は10時15分。……少し子供に構い過ぎた。  車を出す。  夏と言えば、花火だろうか。ちょうどお土産もねだられていることだし、ホームセンターかどこかで花火を買って帰ろう。ちょっと遠出して、海岸のところでプチ花火大会だ。あそこならば花火をしてもよかったはず。  そんな想像の中に子供たちの笑顔が現れて、自然口許がにやけてしまった。  フロントガラスの向こうに、いかにもな入道雲が、モコモコと立ち上っていた。 
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