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大ケ谷三月と別れ夕食を終えた翌日から夢に関する調査を始めた。カケルは建物や土地、アパートを建てた建設会社、その社員までをも調べ尽くしたが決め手になるような現象も悪さも見当たらなかった。次いで他三部屋の住人についても調べたが、大ケ谷三月に関わるようなものはなにも見当たらなかった。騒音問題や、仲違いもない。なにもなさすぎるのが余計に怪しいばかりだった。
カケルにはなんなのかよくわからないものを、マチは調べていた。なにか、記憶をすり合わせるように悩む筆で紙になにかを書き込んでいる。地図のようにも見えるが、多方向に延びる線は根や枝にも見えた。
丁度カケルが休憩で飲み物を取りに向かい、マチの分も共に冷蔵庫から取り出し、互いの分のアイスティーをコップに注いでテーブルに置いた時、紙に書かれた文字の幾つかが確認出来た。漢字ばかりで、中には旧字であろう、読めないものも含まれていた。
「……妖怪の名前?」
「妖怪に神ってつかねえだろ」
「ああ。神仏の気配って言ってたね」
大ケ谷三月のアパートで、マチは神仏の存在を感じていた。それは気配程度で姿や何かしらの痕跡を見たわけではないようだが、マチが言うにはあのアパートに入る前、既にその気配を感じたのだそうだった。
「敷地の時点から感じたが、様子がおかしかった。その上なんで依頼人の部屋に上がると更に強まったのかもよくわからない。神仏であれば土地ごとその存在そのものであってもおかしくはない。なんであんな、気配だけだったのか」
「通り道だったんじゃない?」
「神仏には在るべき場所があるんだよ。そうそうあっちこっち行き来なんかしない」
つまり、この根のような枝のようなものと漢字の羅列は大ケ谷三月の自宅周辺に存在する神仏のそれぞれを書き起こしたものなのだろうが、相変わらずよくわからない、偏った知識が豊富なのだなとカケルは思った。
その分野については考えてもカケルにはわからない。問いかければ答えてはくれるだろうが、それを理解出来るかどうかも聞く前から怪しい。首を突っ込むより全てを任せておくのがなにより正しい。
マチの側に腰を下ろし、注いだばかりでまだ冷たいアイスティーを喉に通すと皮膚に感じる暑さに反して体の中だけが冷たい妙な感覚になる。
真夏の十畳程のリビングは窓が開け放たれて、その空気を循環させるように扇風機が二台、連日止まることなく稼働し続けている。空気の流れに混じって虫の鳴き声までもが部屋の中を回っていて、視界さえ閉ざせばここが自然の中でも違和感はなさそうだった。
「……三月さんのおばあさんの家ってこんな感じかなあ」
「陽の照りがまず違うだろ」
「いいねえ、羨ましいねえ」
「俺は絶対に嫌だ」
「どうして? 空気も綺麗で気持ちいいよ、きっと」
「幾ら空気が汚くても、俺は涼しくて虫のいない快適な生活の方が良い」
「その土地にいればその土地なりの涼しみ方が板につくと思うんだけどな」
カケルの言葉にマチの返答はなく、カケル自身も特にそれを望んでいたわけでもなく、ただ静かな空気だけが流れた。一層虫の鳴き声が鮮明に部屋の中に充満していくうようだった。
「ああ、めんどくせえな」
午前中からの作業も時刻は午後五時半まで経った頃、苛つき始めたマチのその一言で調査は一気に近道になった。そのお陰で互いに摂り忘れていた食事にも気が回り、マチは冷蔵庫を物色しながら目当ての人物へと連絡をとった。
受話した瞬間から、何故か、機械越しからでも間延びした軽い声質はよく通る。その嬉々とした感情までもが離れた場所にいるカケルにすらも伝わった。
「古い地図がいる」、先にメッセージで送った住所を指してマチは「土地が大きく変わったタイミングのもの」と指定した。人によっては難解な要求も、千葉にかかればなんてことのない内容だった。親の存在を最大限に有効活用して、日常生活すらも困ることはない。そんな千葉に難しいことは寧ろ他人には簡単すぎるようなことなのだろう。
千葉が地図を届けに来る前に食事を済ませて、受け取ってすぐに調査に戻れるようにマチが調理を始めて十分程、今度はマチのスマートフォンが鳴った。カケルがキッチンに届けて、名前の表示されていないその番号に首を傾げているとマチが一言、「依頼人」と四回目のコールで受話した。
大ケ谷三月は五回目の夢を見たと、伝えてきた。そして薬は飲んでいないのだと。
ほんの数分の会話の後マチは決まり事のように『なにかあればすぐに連絡をするように』と言って電話を切った。――――後、調理の手を止めたままカケルに不機嫌な表情を向けた。それは大ケ谷三月本人にぶつけられなかった苛立ちか、状況の悪さにか。
「もし、依頼人が夢を見ることで状況が進んでいるんだとしたら」
「三月さんが夢を見なければ? やっぱり現実でなにか起きてるってこと?」
「仮にそうだとしたら。依頼人の体を通さなければ身動きが取れない、だから依頼人が眠っている時に体を使う。それを依頼人が夢で見ているんだとしたら。……その上であの気配だったんだとしたら、土地にすら関係がないのかもしれない」
「三月さんがいないと動けないってことは、三月さんじゃなきゃいけない理由もあるんだね」
「それと、独壇場じゃないんだろう」
そう言ってマチはスマートフォンをカケルに手渡し調理を再開した。昨夜はハンバーグとパスタだった。反して今日は仕事の進み具合と千葉が来ることもあって簡単なものになるのだろうが、料理が出来上がるまでの姿で判別出来る程カケルは器用ではなかった。
なんにしろ今日初めてのまともな食事が楽しみで、暫しの間作業からも離れて頭と眼球を休めた。パソコンに向かい続けたお陰で上半身が凝り固まってぎくしゃくしている。床に転がって、ゆっくりと夕食の完成を待った。
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