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※  千葉(ちば)が訪れたのは食事を終える少し前のことだった。時刻は六時過ぎ、インターホンの音より元気な声が二つ、玄関の中に響き渡った。 「ごめんねーちょーっと時間かかっちゃったよねえ。これでも急いだんだけど、仕事が立て込んじゃってさあ」 「前後でもなくお食事中に申し訳ありません! 本来でしたらどちらかに寄せるべきだったとは思いますが、一刻も早く日昏(ひなき)さんにお会いしたく参上致しました!」  当然のように二人セットで現れた千葉(ちば)(かがみ)は、決まり事のように持参した手土産の紙袋を、感情の勢いそのままにマチに突き出している。中には必ず甘いものが入っている、それが昔からの習慣であった。  受け取ったマチは表情こそ「ここで帰らないのか」と言わんばかりであったが、紙袋を受け取る背中で二人を家の中へ通した。嬉々とした二人は一つの遠慮もなく続いて上がった。 「地図は」  キッチンで紙袋から箱を取り出すマチの声に、これも(かがみ)が感情の勢いのまま、大きな茶封筒を背中から抜き出した。(かがみ)の小柄さも相まって自信満々なその姿がまるで有名な青いロボットの動作のようで、カケルは笑ってしまうのを堪えて唇の内側を噛んだ。 「ご指定下さった住所の過去八十年前から数年分の地図です。あの土地は思いのほか手が加えられていたようで、何度も整地されていた模様です」  差し出されたマチは一度受け取ってからすぐにカケルへと手渡し、自身は手土産の開封に専念してしまう。昨夜から連続して甘いものの食べ過ぎのような気もするが、やはり頭を使っている証拠でもあり、更に夏バテもせずに食べてくれるだけでも十分だった。  昔から何度も食欲をなくし、そのかわりにアイスや氷を食べ続けるマチの姿を見て来たカケルにとっては咎めるだけの材料にもならない。渡された茶封筒を開封し、中身を確認する手元も軽やかだった。 「……こんなに何回も形が変わってるんですね」  大ケ谷三月(おおがやみつき)のアパートがあった一帯はなんの変哲もない住宅地であったからこそ、元がそこそこ平らで建物が建てやすい土地であったのだろうと踏んでいた。しかし茶封筒の中にはA3の大きさの地図が折りたたまれた状態で十枚以上収められており、方向音痴で、専門的ではないカケルの目でも流石に大きな変化を続く様は理解出来た。 「あの一帯は荒地みたいな感じだったんだね。指定された住所の部分は丘の上だったみたいで、今はそんな落差感じないけど付近の公園に続いてた川もあったみたい。ほら、あそこら辺の大きな公園って、湖とか池とかつきものみたいな感じになってるじゃない。その川を、どうやら残す残さないって、何度も手を加えたらしいよね」 「その途切れたのが今の湖だったりって、ことですか?」 「らしいね。まあ川があったんなら埋め立てたりで、地盤もよくなかったりしたら工事も頻繁になるからねえ。元が水場ならきっと水はけも悪いだろうし、今の状態もよくよく見たら水場が多いんだよね、あの辺。僕らも今別件で少し離れた場所に出入りしてるんだけど、結構多いみたい」 「事件でもあったんですか?」 「あれ、ニュース見てない? いや、見ないか。今仕事中だもんね、尚更そうか」  言って、既に食卓についている千葉(ちば)(かがみ)も、くつろぎの姿で話を続けた。  この頃は季節柄も相まって事故や事件も多く、親の存在を有意義に活用し尽くしている為殆ど職務に参加してもいないような千葉(ちば)までもが忙しないと言う。若者による車の事故もトラブルも多く、騒音、喧嘩、無断で他人の敷地を利用した花火やバーべーキュー、まさに夏と言えばの風物詩のようなものだった。 「僕らが駆り出されたのは水難事故なんだけどね。マチ君に頼まれるまで知らなかったけど、どうやら〝その〟川の一部だったみたい」  「こちらの池です」千葉(ちば)の話に合わせて(かがみ)が指した場所は、大ケ谷三月のアパートから凡そ七キロ離れた大型公園だった。 「中学生が付近で遊んでて、その内の一人が溺れて亡くなったんだけどね。どうかなって思うよね」 「一緒に遊んでいた少年達は気が付いたらいなかったの一点張りです。溺れている時点、音がしないわけもなさそうですし、もし仮に池で遊んでいる最中に彼の姿が急に見えなくなったのなら尚更、いなかったでは済まされないものではないかと事件性を含めて捜査しています」  カケルは自分の目で溺れている人間を見たことはないが、それでも映画やドラマの映像の中では幾度となくそうした状況を目にしている。その情報だけでも溺れている人間に気が付かず、側で過ごせるような気はしない。  呼吸をしようと藻掻くはず。酸素を求めて必死に暴れて起こる水の音も相当なはずだ。身動きが利かぬ程の拘束をされているわけでもなく、人知れず溺れ死ぬなど、可能であろうか。 「状況を考えれば事実一つの命が失われているわけで仕方のないことですが、少年を疑いながらの仕事はなんとも、気が重いばかりです」  (かがみ)が言う中、手土産の開封を終えたマチは一人早くもそれを口にしていた。パイシューの中にアイスクリームが入った菓子を、まるでそれが主食と言わんばかりに頬張って、三人から少し離れた所で涼んでいる。密集体から発せられる熱を避けているのは、なんともわかりやすかった。 「細い川の集合場所だったか」  片手に菓子を持ち、もう片方の空いている手をカケルに差し出し地図を受け取るをその速度で何が確認出来ているのか、凡そ読書のスピードにもならないがパラパラ漫画では遅すぎる、そんな仕草でマチは地図の確認を進めていく。何度か同じ年代のものを確認した時には既に、一つめの菓子が腹に収まっていた。 「こんな場所が井戸水なわけがないな」 「井戸? このご時世に? アパートも多い場所だから浄水じゃないと無理があるんじゃない? 土地的に」 「ここにあった川は、大きな川に繋がってたのか」 「地図外の前後については、申し訳ありません、指定住所ではなかったので印刷はありません」 「そっちの方も必要だった? 明日でいいならどうにかするよ」 「早めに頼む」  食事休憩を終えたマチとカケルが作業に戻っても尚、千葉(ちば)(かがみ)は少々居座り、きっちりと腹を満たして涼んだ後漸く家を出て行った。
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