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※  マチのスマートフォンが鳴ったのは、作業を中断して体を休めていた時だった。自室のベッドで仮眠をとっていたカケルが自身のスマートフォンの画面で時刻を確認すると深夜零時を回った所だった。  眠るのが下手なマチは夜が近づくにつれ明るい内とは違った部分でエンジンが回るのか、ひとつの疲れも見せずに作業を続けていた。カケルにはわからない、難解な漢字と地図、そしてマチ自身の記憶をすり合わせては唸り、小一時間程前には何かが腑に落ちたのか一度外に出て行った。戻った時には小さな紙袋を携えて、今はその中身の調合をしているはずだった。  三コール目で受話したマチの声は眠るカケルに配慮していつも以上に小さく、抑揚のなさに拍車がかかって聞こえた。その声が「なにがあった」という一言を発した時に、カケルはベッドから起き上がりマチが作業するリビングへと向かった。  電話の主は依頼人の大ケ谷三月(おおがやみつき)であった。こんな時間に、また夢を見てしまったのだろうかと危惧したが、状況はそれ以上に悪いのかもしれない。  マチの受け答えから察するに、夢以外のなにかが起きていた。つまり、夢が「夢の外」に出たのであろうとカケルは判断した。夢と現実がリンクしたということは、大ケ谷三月(おおがやみつき)にその夢を見せているものに確実な行動理由があるはすで、その結果から原因を探ることが可能になった瞬間だった。  カケルはそれまでの作業の情報を元にパソコンを開いたが、すぐにマチが目配せをして、手元の地図を裏返して住所と、その住所にやじるしをして「祖母宅」と書き足し、更に「山、土地、土地神、周囲の水場と神」と加えた。  大ケ谷三月(おおがやみつき)から情報を聞き取りつつ宥めるマチの横でカケルは「灰色独自」のネットワークで探り、けれど指示された住所周辺にはそれらしい神の存在は見当たらなかった。カケルが結果の画面をマチへ向けるのと同時に首を振るが、マチは反して頷いた。  「祖母の家は井戸水を使うのか」問いかけ、数秒後にマチはカケルに目配せをした。そうして数分、マチは大ケ谷三月(おおがやみつき)を宥め、必ず薬を飲むように促して通話を切った。 「依頼人の祖母の家は夏場、冬の内に降った雪を使って浄水じゃなく井戸水になる。信仰も言い伝えもない無名の古物がその井戸水を引く水場に流れたはずだ。名のある神仏がその場からいなくなったなら土地になんらかの影響が出る、それすらもなかったなら、同等に古くからいる存在で間違いない。住人が日常的に触れない場所でないと名前もつくはず……」  そう言ったマチが突然、焦点の合わない目を宙に投げたまま固まった。「どうしたの」とカケルが問いかけても尚固まり続けた後、その抑揚のない声で呟いた。 「……依頼人は夢で見たものが現実に〝なっていた〟と言った。これまで意味不明だった夢の内容が全て事後のものであったとしたら、千葉(ちば)の言っていた事件は」  聞いて、カケルはぞっとした。数時間前に千葉(ちば)(かがみ)の口から聞いた彼らが今対応している事件は水場での事故死であった。一人の中学生が溺れ命を落としたが、その場にいた友人達は「気が付いたらいなかった」と証言している。それがもし、真実であるとしたら。 「三月(みつき)さんの体を拠点に、人を殺してるってこと……?」 「もしそれが目的なんだとしたらこいつには名前があるはずだ。人間に干渉して名前がないわけがない。結果が目的でないとしたら、もう殆ど答えが出たな」 「結果そうなってるっていうこと? じゃあ捕食?」 「自業自得だったとしても移動させられて、僅かに自分の一部でもある水脈が残る場所に運悪く辿り着いて、違和感はあるが多少なり自由がきいてしまった。帰巣本能か、防衛本能かだろう」  カケルが調べてパソコンの画面に表示しておいた地図を操作し、「住人が干渉出来るような道がないもの」に焦点を当てて幾つか絞った後、マチは千葉(ちば)へと連絡をした。大ケ谷三月(おおがやみつき)の祖母宅周辺の古い地図を要求し、深夜に殆ど叩き起こしたにも関わらず千葉(ちば)は快諾してくれた。  そして大ケ谷三月(おおがやみつき)が見た夢でもあり、現実でも起きていた事件について問うと『なるほどね』とさして驚いてもいない様子で返答した。 『まあ、おかしかったんだよね。今日話した中学生の話だけならそこだけで腑に落ちていられたんだけど』  そう言って語られた内容は確かに違和感を感じずにはいられなかった。  夕刻、男児とその母親は入浴中であった。男児はまだ三歳ということもあり、母親は常にその姿を視界に入れていた。そう広くもない浴室で、その姿を見失うわけもなかった。  けれど、男児は溺れた。母親の目の前で、突如として湯に消えたというのだ。  突然の出来事に母親は一瞬なにが起きているのかわからなかった。男児が沈んだ音も、波打つ湯もなく、まして苦しんでいる様子も溺れている様子すらもない。ただ、男児だけがその場から消えたというのだ。  理解するまでに数秒はかかった。母親は慌てて男児を湯から引き揚げようと腕を差し込み、その体を確かに、抱えた。だが―― 『母親が言うには、びくともしなかったらしいんだよね。三歳の子供の体が、水の中とはいえ大人の母親が抱き上げられないとは思えないよね。それに、母親はそれだけ慌ててる状況なのに子供は暴れてもいなかったみたい。救急隊員が見ても母親の体にも、子供の体のどこにも暴れてついた怪我もなかったって言うんだ。おかしいよね、浴槽だって三歳とは言え全身が沈むような深さもない。で、夕方に話した中学生の話に繋がっちゃうってわけ。音もなく突然いなくなって、気が付いたらもう沈んでる。マチ君の領分かなって思ったけど、夏だしね。もう少しはっきりしてからにしようと思ってたんだけど』  ひと息、呼吸を置いた後、マチが「もう一件水場の事故はあったか」と問いかけると、機械越しでもわかる間延びした千葉(ちば)の声が納得したように声を漏らしているのが聞こえた。腑に落ちた、まさにそういった風に。 『公園の大きな湖で孫と水浴びして遊んでた老人が死んだね。目撃者はその孫だけで、五歳ってこともあって証言はどうにもならなかったけど、そういうことね』  大ケ谷三月(おおがやみつき)の体を介して、そして彼女の自宅真下に残る自身の一部とも言える水脈の名残を棲み処に、〝それ〟は行動していた。結果がこうであれ、〝それ〟自体には悪意がない。〝それ〟にしてみればいつの間にか移動させられ、何故か棲み処もおかしい。違和感から手探りで状況を確認していた、もしかしたら、それだけだったかもしれない。結果がどうあれ、〝それ〟としては。 「依頼人が見た夢は祖母の家の分も含めて計七回、その内人を見たのが六回。祖母の家の分は土地が違うので除外、五回はこの土地で人影を見てる。内三回分が現実に事件として起きていて、残り二回分の、自宅で初めて見た夢は手を伸ばしたが掴んではいない、人影も降って来なかった。残りの一回分の夢は、多分俺なんだろう。左右に人影が行き来するのを見ていた、だからあの日、あの土地で神仏の気配が強かった。あの時、大ケ谷三月(おおがやみつき)の体にはいなかったが水脈の名残の中にいたんだろう」  祖母の土地でそうした〝現象〟として言い伝えがされていない以上、人間との接触がなかった〝それ〟には名前がついていない。そこに互いの存在への干渉もなければ理解するだけの情報も持ち得なかった。それはつまり、マチの範疇ではあるが未知であることに変わりはなかった。 「人間との接触も干渉もなかった存在だけに俺でも把握出来なかった。まして本来の場所でもなければそのものの状態でもない。いよいよ、本当に話の通じない相手らしいな」  神仏の方がよっぽどマシだ、カケルには生涯使用することがない言葉を呟いて、マチはもう一度外出していった。いつものように、状況と相手に合わせた道具を手に入れて戻るのだろうが、今回に至ってはそれすらあるのかもわからない。けれどそれを心配した所でなにか代わりが思いつくわけもなく、家に残ったカケルは早朝から出発するであろうJRの時刻表を眺め、指示があればすぐに席が取れるように待機して待った。  時刻は深夜一時半を過ぎていた。夏の空は虫の鳴き声をも吸い上げて、どこまでも反響しているかのようだった。
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