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依頼人が待ち合わせに指定したフードコートに現れたのはマチがアイスコーヒーを半分にした頃だった。
周囲を何度も確認しながら一席に腰かけ、年齢相応らしい服装をした彼女は白いブラウスとカーキのスカートにサンダル、黒いリボンがまかれたペーパーハットをかぶっていた。目印として伝えらえたままの姿をした彼女を見つけて、カケルが知らせるよりも早くマチが席を立ち、彼女の元へと向かった。
マチが近づき、決まりの「灰色の者です」と言ったのであろうその瞬間の依頼人の表情は、視力の良いカケルにははっきりと確認出来た程の困惑と、カケルの苦手なきらきらとした戸惑いが窺えた。
こちらに背を向けた角度のマチの表情は窺えなかったが、わかりきったもので、このきらきらとした戸惑いにもマチはその能面の一つも緩めることはない。暑さに茹だる表情の方が、よっぽど人間らしく感情を表すのがマチらしさだった。
「大ケ谷三月さん。灰色のヒナキです。お話はここで構わないものですか」
問いかけて向かいの席に座るマチの姿を、依頼人はまともに見ていられない様子で何度もまばたきを繰り返した。しきりに周囲を確認しているのはなんの感情の表れか、けれどマチには慣れたものであった。
「はい、あの、灰色の。話は、はい、ここで大丈夫です」
喉が上ずって、上手く声が出なかったのであろう。依頼人の大ケ谷三月は数回咳き込み、顔を背けた。
「では、内容によっては時間が惜しいので、早速ですが聞かせてもらえますか。無理に伝えようとするのではなく、おかしいと思ったことも、疑問も、そうかもしれないと思ったことも、感じたままに話して下さい」
真夏の太陽を裸眼で見続けているような、そんな仕草で大ケ谷三月はマチを直視する様子はなかった。
大ケ谷三月は祖母の家で見た夢から始まった悪夢を詳細にマチに語った。自分が〝どこかの底〟にいると確信していること、伸ばす腕に感じる冷ややかさ、〝落ちて来る〟又は〝降って来る〟人物、それらに目を背けるころもなく直視し続ける自分自身、感覚の全てを。
「夢なはずなのはわかってます。だから凄く曖昧なはずなのに、はっきりそうだってわかるところも多くて。でも、夢っぽさもちゃんとあって、その前後は全く覚えてないですし、それに人を下から見てるのも、もう、夢っぽいですし。後、見えるものがこう、陽炎みたいに揺れてるんです。夏に道路とかにゆらゆらしてるあの感じで、夢の中ずっとそんな風に揺れてるんです」
一寸も否定的な態度も言葉も挟まないマチの様子に大ケ谷三月の語りは次第に力が入り、徐々にマチに対する反応も薄れていった。
頭の中に思い起こされるのであろう悪夢の記憶に時折表情を歪め、時折恐れを含んだ困惑にも染める。けれど自分が語るそれらに自分自身が疑心を持ってもいるのだろう。発する言葉を選んでは、「なにを言っているのか」と首を振る仕草が何度もあった。それにもマチはなにも示さない。ただじっと、真面目に彼女の話を聞いていた。
「出て来た人物には、一切見覚えがないんだな」
漸く言葉を挟んだマチの口調が少し崩れたものになっているのに気が付くと、大ケ谷三月は現実に引き戻されたようにぎくしゃくとした仕草で目を逸らした。
「ないです、知らない人でした」
「他に感じたことは。場所や時間、気温、そんな気がすることは」
「他に……気温は、手を伸ばした時に感じた涼しい感じと、後は、そうですね、晴れてた気がします。天気が良かったっていう、そんな感じですけど」
大ケ谷三月が答えると、マチは眉間を寄せて目元を渋くした。テーブルに肘をつき、顎を押さえて視線はどこか別の場所へ向かっているが落ち着かない。〝専門家〟であるというマチがその顔をするということが、大ケ谷三月には不安で仕方がなかった。
「出来る限り早い方がいい」
マチのその言葉に大ケ谷三月は不安が勝り、仕事後、この日の夜に予定をつけた。
互いに番号を交換し就業後、二十一時十五分、商業施設正面入り口で落ち合うこととなった。
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