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これは、一体どういったことだろう。大ケ谷三月は困惑していた。
それでなくとも今日の仕事は上の空でどうにもならなかった。なにせ怪しいサイトの怪しい謳い文句に釣られて相談をしたはずが、ふたを開けてみればとんでもない美少年が現れた。それはもう、本当に見たことがない。テレビの中でもあんなにも綺麗な顔をした男の子にはお目にかかれていない。
そんな美少年の声がまた、低く、囁くようで語尾がほんの少し掠れる。尚且つ仕草にも現れている気怠げさも相まって、良い。
少し右上がりになる唇の動きも、容赦なく合わせられる目線も、どれもが理想的な強引さを醸し出している。
学生の頃はただただ優しく笑顔の似合う男子が好きだった。けれど大人になるにつれ意図せず冷たい印象になる男性の冷静さが好ましくなっていった。彼はまさしく、大ケ谷三月にとって理想的な恋愛対象であった。
――の、はずだった。大人になった自分は優しいだけの男性にそこまで惹かれることはなくなったはずなのだ。だが、だがこれはどうだ。ほんの数年前までの自分にとって完璧と言える人物が、今、目の前にいる。灰色のヒナキという人物との待ち合わせ場所に、そのヒナキと一緒に。
全身が黒でまとめられているヒナキとは相反して、殆ど色素のない服をまとうもう一人は身長までもが完璧である。「一八〇センチ以上の人がいい」なんてことを言っても、学生時代にもそこまでの身長の男子は少なく、更に自分好みの「優しく、笑顔でかっこいい」なんてものを付け足してしまえば選ぶ程の人数にも満たなかった。
だが、どうだ、この突如現れたもう一人の人物は。「優しく、笑顔で、かっこいい、一八〇センチ以上」をまとめても情報が余る程に、完璧ではないか。
これは一体どういったことだろう。
(目がチカチカする……)
とんでもない美少年と、完璧な王子様が並ぶ姿はどこを見ても眩しい。こうと知っていれば、もっともっと人気のある場所か、職場の店の前で待ってもらうべきであった。
今日初めて顔を合わす仲でも下の名前を知らないでも何も知らないでもとにかくなんでも良い、〝この状況を〟自慢したいと、大ケ谷三月は心底思った。
「一人増えても構わないか。人手がいる可能性がある」
ヒナキは突如現れたもう一人を「灰色のもう一人」と紹介し、王子は会釈をして「サクマです」と挨拶をしたが、その目線はヒナキの容赦ない視線とは正反対にどこか違う所を見たままだった。一切視線が合わない。
専門家が言うのならそうなのだろう、大ケ谷三月は一瞬戸惑ったがその様子を察したのであろうヒナキが「家には上がらせない」と続けたので快諾した。別にそうした危惧を感じたわけではないのだが、気を遣わせてしまったのも申し訳なくなった。
アルバイトを経て社員となった職場に近い場所にと一人暮らしを始めたアパートは、季節天気を問わず徒歩で通える範囲を選んだ。「十五分くらいなんで」と、美少年と王子を先導して夜道を歩きながら、大ケ谷三月は本来の目的を何度も忘れては思い出した。この状況で、真面目にだけなどいられるわけもない。
道中、なにに関係があるのかわからない質問を幾つかされたが、十分以上歩いてからそれがヒナキの気遣いなのではないかと気が付いて、一層心が躍った。一見冷静そのもののヒナキがそうしているのなら、尚更そこが良い。冷たい印象だけではない、そして冷たい印象のヒナキに正反対の印象である王子が友人なのが良い。それだけでヒナキがそれだけではない人物なのであることが窺えるからだ。
日々、仕事終わりの道がこんなにも早く、短く感じた試しはない。心躍って、気が付いたら家の前にいた、そんな説明にしかならない程、体感がはっきりと違っていた。
「ここで待ってろ」
アパートの敷地に入る前、建物を見上げたヒナキが一瞬首を傾げた後、王子に向かってそう言い放った。王子はひとつの文句も言わず、ともすれば言い方が荒いヒナキに嫌な顔ひとつもしない。
関係性が成り立っているからこそなのだと思うと、なんだか羨ましくもなった。正反対の存在でなくとも、似通った間柄であっても友人関係でいられるのは難しいことだと高校生の頃から既に学んだ。こと、社会人になったこの一年間では、特に。
現に、大ケ谷三月にはこの悪夢について相談出来るような友人はいなかった。友人自体がいないわけではないのだ。だが、これを打ち明けて相談したとしても言われる言葉がわかりきっている人物しかいなかった。「疲れてるんだよ」「夢なんてそんなもん」「なにそれ、夢占いしてみたら?」、浮かぶ反応は数あってもそんなもので、このヒナキのように、真摯に聞いて、受け止めてくれることはない。
「いってらっしゃい」と、家に着いたばかりの大ケ谷三月とヒナキに王子がそう言って、アパートの二階、自宅へと階段を上った。
大ケ谷三月の自宅アパートは四部屋のみで、正面から見るとHの形に似ており、四端に部屋がある。自宅はその左上で、ほんの僅かな階段をくるりと回って上がりきるとすぐに扉が現れる。
その、扉へと向かいきる前の階段を三段残して、ヒナキは急に立ち止まった。あまりに不意で、大ケ谷三月は鍵を開ける動作をするまでヒナキが立ち止まったことにも気が付けなかった。
「どうしたんですか?」大ケ谷三月がそう問いかけようとした時、怪訝そうな表情に変わったヒナキは両手を胸下まで持ち上げ、「パン」とひとつ、手のひらを叩き合わせた。まるで蚊を見つけた動作にも似ていたが、それよりは弱く、ただ、拍した、という風体だった。
それがなにかはわからない。大ケ谷三月こそも怪訝にヒナキを待っていると、まるでなにもなかったかのようにヒナキは鍵が開くのを待っていた。
その様子があまりにも当然のように、なにも言わず静かなもので、大ケ谷三月は暫し戸惑い、待たれているのやもと気が付いてからは慌てて鍵を差し込む動作がまごついた。
その間もヒナキはなにも言わない。ひとつ、なにかどやしてくれればいいものの。この時ばかりは冷静過ぎるのもいかがなものかもしれないと、ヒナキの印象にマイナス評価がついた。
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