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「家の中にもあんたにも、なにもないのが逆に問題でもある。心身に影響が出始めているのも、万が一ただの疲れではなかった場合大事にもなる。まずは応急的でも〝夢を見ない〟ようにするのが先決だろう」  言って、ヒナキはポケットから財布を取り出し、二つ折りのそれの札入れ部分から小さなジップロックの袋を取り出した。中には小ぶりな濃い緑色の錠剤が十数個入っていて、なんだか少し不気味に思えた。 「……なんですかそれ」 「〝夢を見ない〟薬」  手渡され、受け取る手が戸惑った。  信じてもらえたのは寧ろ自分自身で、大ケ谷三月(おおがやみつき)にはヒナキを疑う余地もない。けれどこんなものを出されては、流石に身構えてしまう。  手のひらに乗せられた袋にそれ程重みもない。見方によっては金魚の餌のようにも見える。尚更、気味が悪くなった。 「飲むには不安があるのはわかる。それでも夢への恐怖が勝ったらでいい。飲めばその日、〝夢は見ない〟。けど、その日その日で効くだけの薬だ。一度飲んで〝見なかった〟からと翌日飲まなければまた夢を見る。一週間分で、一応倍数の十四用意した。無理に飲めとは言わない。けど飲めば〝夢は見ない〟保証はする」  これが専門家故なのか、本人のらしさなのか、ヒナキの声とその調子はやけに大ケ谷三月(おおがやみつき)を安心させる。幼い頃に一人で眠るのが怖い時、父が大丈夫と、いない勇者とモンスターの作り話で落ち着かせた夜を思い出させた。低い音に安心するのは母のお腹の中にいた名残だとか、そんな話も聞く。  ヒナキの声にはそれだけの安心感がある。飲む、飲まないは最終的には自分自身の決めること。大ケ谷三月(おおがやみつき)にはそれを委ねる所にもヒナキの優しさを感じた。 「ひとまずは、土地とあんたの人間関係を調べる。その間はこっちが勝手にやっておくからあんたはなにもしなくていい。必要になれば連絡もするが、そっちもなにかあれば連絡してくれて構わない。些細な変化でも、思ったことでも、気づいたことでも、なんでもいい。いつでも連絡を」  受け取った薬を手の中に、切り上げようとするヒナキを玄関まで見送りに向かった。そこでヒナキはもう一度、大ケ谷三月(おおがやみつき)に背を向けたまま首を傾げた。アパートの敷地に入る時にも、玄関を開ける前にもそうしたヒナキはなにに疑問を感じているのか、部屋を出て行くその瞬間にも把握は出来なかった。  けれど、去り際怪訝な表情でヒナキはひとつ、大ケ谷三月(おおがやみつき)問うて去った。 「最近神社や寺、道祖神、地蔵、祀られたもの、そういうものに触れたことは?」  記憶を辿っても最後にそういったものに触れたのは前厄のお祓いと母親に連れて行かれた神社程度で、パワースポットに通う友人すらもいない。  最初に夢を見た祖母の家は確かに田舎で山を背にした立地でもあるが、大ケ谷三月(おおがやみつき)の記憶の中には祖母の家周辺にはそういった類もない。気が付かないだけで本当はあるのかもしれないが、自分の記憶にない時点でヒナキの質問の意図からは外れていた。  去り際、最後の質問もなんの意味があってのことなのかはわからなかった。  部屋に戻り、窓の外を覗くと待ちわびた様子の王子と合流したヒナキの背が遠ざかっていく。今日まで少しばかり奇妙であった大ケ谷三月(おおがやみつき)の日常は、それらの度合いを大幅にはみ出して本日、人生でこれ以上ない程に大揺れだった。自分自身に起きていることは奇妙で、ほんの少し怖くもあるが心躍らずにはいられない。  依頼した事実があってのことであれ、ヒナキに「いつでも連絡を」と言われるのは嬉しいばかりである。大ケ谷三月(おおがやみつき)はこの日、スマートフォンを手放すことなく終始手元に置いた。そうして何度も画面を確認しては早々と来るはずもない連絡を待った。  眠れないのも今日からは少しだけ意味合いが変わるのかもしれない。時間が過ぎるのを嫌に思うこともなく足りないとすら思える。  きっと今「眠れない」と連絡を入れてもあのヒナキの様子であれば着信を受けて幾つか言葉を交わしてくれるのだろう。それだけでも良く、考えているそれだけでも心の重みが軽くなった気がしていた。
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