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『butterfly』
ひとの体のなかで一番醜いのは、唇だと思う。
何より気に喰わないのは色味。だって、わざとらしいじゃないか。顔のなかで唯一、血を纏ったような淫な色。
他の肌が懸命に隠し通そうとしているソレを曝け出してしまっている。
まるでお互いに発情できるよう、あらかじめそう作られたかのような惹かれ合う磁力。涎で塗らすと真珠みたいに淡く艶立って目に余る。
ぼくは唇が嫌いだ。硬いし、強引に押し付けてくる。
主張の強いそれは、反発すると首の骨が折れてしまうんじゃないかってくらい痛い。
だからいつも、逆らわず、押し倒されるようにベッドを軋ませる。
アイツのキスは長い————。
激しいからシている間は息ができないほどくるしい。ボクはそれでいつも窒息するんじゃないかって思う。
呼吸困難で意識が飛びそうになって、へろへろになる頃にようやく離れる。だから主導権はいつもアイツが握っている。
まあ、ボクが動いたところで体格差で負けてしまうのだけど。
アイツに対する表現において『優しすぎる』なんて言葉をよく耳にする。
ボクに言わせてみれば、そんなのはまやかしだ。
こいつほどサディスティックなやつはいない。ただ、人一倍性欲が強いから、スキンシップのハードルが高いだけだ。
夜のベッド。静けさはある種のメロディー。カーテンをめくる風の音が喘ぎをバックにファックする。浮き沈みの激しい天井は絶対に喉から出てくることのない声であふれている。
ぼくは全身を震わして達したことを訴える。けれど、アイツは止めてくれない。
服のどこかがブチッと音を立てて裂ける。隙間から見えた白い肌に興奮したのか、激しさは増した。
とても一般人には見せられない醜悪さ。アイツもわかっているから、今までひた隠しにしてきたんだろう。
まあ、ぼくという存在によって今では水を得た魚になってしまったが…それはそれとして。
舌を這わせて夜を縫う。ベロは好きだ。ざらざらして心地いい。
開ききっていない瞳を上目遣いにやって、終わりを懇願する。
色のない目。曇った窓ガラスみたいなネイビーは、けれども硬い胸に覆われて、汗とも涙ともつかない体液を垂らす。
摩擦で擦れたヒップライン。指のなぞりでデッドライン。肌の感覚が敏感に耳裏をくすぐり、鈍感な頭をノックする。
こつんこつんと振動が身体の芯をアツくして、ボクはアイツの上で天井を見上げる。
苦しくたって痛くたって、お構いなし。ぼくの意思なんて知るもんか。下着からはみ出したぼくの存在証明は、ピエロみたいに盛ってる。
ララバイ、ララバイ。
真っ白い余韻をひいて満足げに笑顔するあいつがぼくをなでる。
濡れた髪の毛は自分でも嫌なくらい艶だって、ぼくは仕方なくあいつが欲しいがっている言葉を言うんだ。
「もっとシて……?」
行為が終わるとアイツはぱたりと眠ってしまう。
ダブルベッドの真ん中で、抱かれたぼくはテディベア。
かすれたような数字は午前2時を描いている。
ボクはシーツを剥ぐように寒さを被ってベランダに降りた。濡れた髪が夜風になびく。
明けてない夜はけれども明るい。ネオンの灯りは燦然と夜を彩っている。
灰皿のタバコを拾って、口に含む。
アイツと同じ味——。
東京という街はむせ返るように狭苦しい。表向きはオフィスビルを名乗っていても、一つ逸れればホテル街。
ビルという体裁に本性を隠して、みんな必死に仮面を被っている。
不格好なこの街で、さながら僕らはネオンに集った蛾ってところだ。
煙草を戻して、浴室に向かう。途中、鏡の前で足を止めた。
鏡に映る女の子。それはボクじゃない。華奢な肩からこぼれたストラップ。
薄いヴェールは破けてしまっていて、代わりにざらざらと花弁を縫ったようなカップがぺったんこな胸に張り付いている。
ブラジャーというものは、ある程度胸がないと縁がないものようで、サイズに合わせるとデザインが限られてしまう。
だからいつもぶかぶかの服を着せられるわけだ。動きづらいったらありゃしない。ホックの位置に手間取りながら外して、ゴミ箱に投げる。
以前は私物をもってきていたけれど、最近はアイツが買ってきたのばかりだ。今日のは特別可愛かった。そのことに関してはすこしだけアイツに感謝する。
自分の匂いを嗅ぐ。ひどい匂いだ。
大きな如雨露で水を浴びて、ホテルを出れば日常が始まる。
色のない目で映す世界はどこまでもモノトーンで、いい加減飽きてしまう。
誰か真っ白に染めておくれよ。ぼくの世界を。
蝶も蛾も違いなんてないのだから。
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