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風の匂いが嗅ぎ分けられなくなったのは小学校を卒業する少し前だったような気がする。それまでは、外で遊ぶ僕の嗅覚は、確かに微妙な風の匂いを嗅ぎ分けていた。
それは僕の心を自然へと埋没させる魔法の芳香だった。草の匂い? 焚火の匂い? 溜池の匂い? それとも地球の匂い? 風は僕の周りにあるさまざまなものの匂いを運ぶ。そして僕は風の匂いを嗅ぎながら一喜一憂したものだ。
成人になった僕がこの町から出て行かなかった理由は漠然としている。高校も大学も実家から通える距離だったし、いまの職場も実家から通える。若者の安月給でなにもいらぬ苦労をする必要はあるまい、父は口癖のようによくそう云っていたし、僕もそう考えていた。
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