結婚という選択

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 彼を諦めないで良かった。  心からそう思える。  彼が大好きだから離れなかった。諦めなかった。  もちろんそれが一番の理由だ。  でも、それだけではないのかもしれないともう一人の私が思う。  幼少からなんでも母の言うことをきいてきた。  母がAと言えばAを選んだ。習い事も、志望校も、服装も。  結婚もきっと母の選んだ相手と見合いでもするのだろうと思っていた。  それが幸せなのだろうと疑うこともなかった。  でも、人は恋に落ちると変わるものだ。  彼は自分をしっかり持った人。私にないものを持っているからこそ惹かれたのかもしれない。  そして、彼は母ではなく、私の意見を聞きたいと言ってくれる人だった。  私は戸惑った。私の意見? そういわれてもなかなか分からなかった。 「母だったら……」  という言葉が必ず冒頭に付くことに気付かされたときは驚いた。私は自分の意志が今までなかったのだ。  自分で考える。自分で選ぶ。自分で責任を取る。  それは私にとっては未知の世界。  でも、恋をした。すなわち彼を選ぶことはできたのだ。他のことだってできないのではないかもしれない。やらなかっただけかもしれない。  私が自分の意志で物事を考え、選び出したことに母は焦ったようだった。 「聡子ちゃんは変わった。前はいい子だったのに。全部その高志君とやらのせいね」 「聡子をたぶらかして、なんて酷い男」 「そんな男、ろくな奴じゃないわよ」  母は何かと彼を悪く言うようになった。  それでも私の心が変わらないことが分かると、母の攻撃は私に向くようになった。  母は何度も言った。 「あんたは捨てられる。私ならあんたとは付き合わない。なんのとりえもない子だもの」 「いつか飽きられるわよ。私なら退屈だもの」 「あんたはいつまでたっても私から離れられないのよ。誰もあんたを愛しなんかしないんだから」  私は彼が好き。それは変わらなかったが、それまで影響を受け続けた母の言葉は無視できなかった。私の心は不安定になり、母が言うことが正しいのではと不安になった。そして、それを彼にぶつけた。 「どうせ私を捨てるんでしょ? 一番身近にいた母でさえそう言うの」  その度に彼は悲しい顔をして、 「俺はお前の母親とは違う。俺を信じてくれ」  と言った。  幾度となく繰り返されたそのやりとり。彼は何度言っても信じようとしない私に疲れ、私の不安はいつまでも解消されず。でも彼は私を見捨てることはなく、私も彼から離れなかった。  いつも母の言うとおりにしてきた。でも彼だけは譲れない。  彼は私が初めて選んだ人。そして私を選んでくれた人。  彼をののしり、私から遠ざけようとする母を憎んだ。  私から自信を奪うことで自分のそばに置こうとする母を恨んだ。  私が実家から出るまでの4年間それは続いた。    今、彼は私の夫だ。  結婚してから、母は私を諦めた。段々と遠ざかっていく私に不安を覚え、また、彼への見方も変わっていった。 「いい旦那ね」  本音は分からないが、今、母は言うようになった。  母からだけではない。夫は誰からも好かれ、親戚の間でも評判がいい。  夫が褒められる度、誇らしくなる。そしてほくそ笑む私がいる。  結局以前母の言ったことは全く見当違いで、気に掛けるほどのものでもなかったのだ、と。  私がこの人を夫に選んだの。諦めなかったの。誰よりも大好きだから。たった一人の愛する人だから。  私は母でなく夫を選んだ。そしてそれは間違っていない。                        了
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