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物にしがみついて、時間の流れにとどまることができたら。
気がつくと、僕は自室のベッドで仰向けになっていた。まるでサウナにいるような暑さで全身が汗だらけだ。
さっきまで祖父の家にいたはずなのだが、いやそれよりもおかしなことに気づく。
起き上がろうとするが、身体が動かない。
「ふぅ」
何だ? 勝手に自分の口からため息が出た。
身体は僕の意志を無視して動き始めた。
一体、どうしてしまったんだろう。
僕は洗面所で顔を洗い始めた。鼻毛なんかを気にしている場合じゃないのにいつまでも鏡を見ている。
それから朝食にたまごサンドを食べてコーヒーを飲む。両親と他愛のない話をしている。
僕は混乱しつつも黙って自身を客観視するしかなかった。
それから髪を整えて紺色のシャツに着替えてジーパンを履く。千夏から誕生日にプレゼントされた腕時計を身につけ、ショルダーバッグを背負って鏡の前に立った。
その時床に落ちていた画鋲を踏んでしまい飛び跳ねる。
救急箱から絆創膏を取り出して足の裏に貼り付けた。
足を気遣いながら玄関でスニーカーに履き替える。
「じゃ、行ってくる」
また意志に反して声を出した。
僕は自転車を漕いでどこかに向かおうとする。
時間が経つにつれ、僕の行動に既視感があることに気づいた。
勘が正しければ、この先の曲がり角から白猫が飛び出してくる。
「おっと」
予想通り白猫が飛び出した。間一髪で僕は避ける。
やっぱりそうだ。いつだったか、今と同じことをしたことがある。
間違いなく、僕は過去にいる。
ただ、瞬きや呼吸などの細かな動作さえ微塵も変えることができない。身体だけが過去の時間に従ってそのまま動いている。
祖父は、なぜこんな不思議な力を持っていたのだろう。
戻れるのは1度きり。今まで使わずに取っておいた力を僕に譲った。確かに、そう言っていた。
これが夢じゃないなら、ちょっと待ってくれ。
僕がこれから待ち合わせをしている相手は。
長い一本道の坂道を下る。その先に駅があって、近くには街路樹が並んでいる。
一本の街路樹の木陰に、白いワンピースを来た女の子が立っていた。
「夏希!」
僕に気づいて手を振る彼女は、元気だった頃の千夏だった。
この日は去年の8月、2人で出かけた日だ。
僕の感情は慌ただしかった。大声で彼女の名を呼びたかったし、泣き出したかった。それができないことがどうしようもなくもどかしい。
僕の目は千夏を直視せずあちこち見渡して落ち着きない。靴先や自転車のタイヤばかりを見ている。もっと千夏を見ろと念じても叶うはずはなかった。
「今日は暑いねぇ。かき氷を食べるには最高だね」
過去とはいえ、死んでしまった大切な人が目の前にいる。かけたい言葉は山ほどあるのに、僕の意志は狭い檻の中に閉じ込められている。
どうにかして指先一本でも動かせやしないかと試みるも、できなかった。
「それより大学受験合格祈願に行かなきゃな」
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