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85.人間の女を見なかったか
テントの上に飛来したドラゴンが、巨体ながら森に着地する。魔王城からもっとも近い湖の端に降り、どかどかと足音も荒く人間のテントに歩み寄った。
「ドラゴン……」
驚きに続く言葉が見つからない見張りの騎士が、我に返って叫んだ。
「急襲だ!!」
咄嗟に焚き火から火のついた薪を引っ張り出す。だが攻撃する意思を見せないドラゴンは、きょろきょろと周囲を見回した。探し物があるようで、人間を踏み潰したり突きまわす様子はない。
「……これは、大きい」
感心しきりのリアトリスは呑気な発言をする。魔王城へはひとまず話し合いに来たのだ。こちらが攻撃しなければ、いきなり殺されないだろう。そんな思惑もあった。
過去の因縁を正しく理解していれば、リアトリスもそんな悠長なことは考えなかった。しかし人間側は、異世界からきた勇者の英雄譚しか知らない。勇者や聖女、賢者がどれだけ非道な行いで魔族を苦しめたのか。人間側に伝わっていなかった。
背に翼ある人型の魔族が舞い降り、両腕が翼のハーピーが付き従う。さらに大量の魔狼や魔獣が集まるに至り、ようやく様子がおかしいと気づいた。
「テントの中を検めさせてもらうぞ、人間」
「どうぞ」
セージはあっさりテントの入り口を譲り、彼らが丁寧に絨毯や荷物の隙間に手を入れ、僅かな隙間も逃さず確かめる姿に眉を寄せる。勇者や賢者がいるのに、全く興味を示さない。騎士が剣を抜いて集まっても、放置された。
「攻撃されるまで手を出さないよう、命じてくれ」
セージの言葉の意味を理解し、リアトリスは騎士に落ち着くよう言い聞かせて命じた。魔族が手出ししない状況で、さきに自分たちが攻撃すれば話し合いの余地がなくなる。今回の役目を理解する騎士達は、肩を寄せ合いながらも一度剣を納めた。
抜き身で手元に持てば、驚いて振り回しただけでも魔族を傷つける。しかし鋭い牙を持つ魔狼が足元をすり抜け、巨大なドラゴンが羽を広げて興奮した姿を見せる場で、武器を抜かないのは勇気が必要だった。
「そこの者……せい、人間の女を見なかったか?」
今、聖女って言いかけた? リアトリスとセージが顔を見合わせて頷き合う。一歩前に出たのは、リアトリスだった。
「女性ですか? 見ていません」
「嘘をついて匿ったら……」
「我々は魔王様への使者です。話も聞かずに暴力を振るうのは、魔族にとっても恥なのではありませんか」
外交手腕も叩き込まれた元王太子の堂々とした振る舞いに、魔族は顔を見合わせた。人型ながら首筋に鱗があったり、腕に羽毛が生えている。人間と明らかに違う外見の魔族相手に、一歩も引かないリアトリスの姿勢は見事だった。睨みつけても怯えない人間が珍しいのか、足元に魔狼も集まる。
「わかった。宰相閣下にお伝えしよう」
「お願いします。それと逃げた人間の女性とは……聖女様でしょうか?」
その肩書を口にした途端、魔族は苛立ちに似た感情を露わにした。
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