90.貧乏男爵家と言わないで

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90.貧乏男爵家と言わないで

「勇者? 何それ、すごい人? じゃあ知らないわ。お父様とニーム兄様、今はいないけどお母様とセージ兄様の5人家族だもの」  家族構成をあっさり魔族に公開するクナウティアに、危機感や情報管理意識は皆無だ。魔族は親切な種族で、優しいのだと本気で信じている。間違っていないのだが、正解でもない。  もし敵に回したら、家族を狙われる可能性を考慮すると……ニームは複雑そうに溜め息をつく。妹の扱いに慣れたセージなら、上手に会話を誘導して隠しただろう。情報を秘する意味や価値を考えない聖女へ、父ルドベキアがさらに付け足した。 「ティアが拐われて、セージは勇者になったぞ」 「え?」  驚いて絶句したクナウティアに、直球で告げたためショックが大きかったのだろうとルドベキアは後悔した。しかしクナウティアが引っかかったのは、勇者の部分ではなかった。  私、拐われてたの? 誘拐された自覚がないため、一番驚いたのはそこである。じゃあ、誘拐したのに縛って閉じ込めたり、食事を抜いたりしないのは、よい人達なのね。考えをそう締め括った。  他城塞都市リキマシアの住人は、身分関係なく避難の心得を学ぶ。国が攻め込んできたら、女子供は真っ先に逃される仕組みだった。国家間の争いで攻め込まれた場合、財産を没収され、女が汚され子供は売られる。それが通常の戦争の観念だった。  幼く見えても16歳のクナウティアは、しっかり教えられている。セントーレアと手を取り合い、母と一緒に砦に駆け込む――人間同士の方がよほど怖いのだ。  魔族が襲ってきても、抵抗しなければ殺されない。人間相手だと無抵抗でも殺される可能性があった。その意味で、危険な城塞都市に住んでいたクナウティアの認識は間違っていない。 「そう……」  セージ兄様、驚いたでしょうね。目の前で拐われちゃったみたいだし。まだ実感がないクナウティアは、魔王シオンを振り返って尋ねた。 「私を誘拐しても、うちは貧乏だからお金ないわよ」  金持ちの娘は身代金目的で誘拐される。裕福な商家の子や金のある貴族家はよく狙われると聞いた。うちは貧乏男爵家で、野菜はあってもお金はない。そう告げるクナウティアに、シオンは頭を抱えた。 「身代金はいらぬ」  金銭を重要視しないし、なんなら魔王城の下に金鉱脈が眠っている。必要なら精錬すればいい話だった。さらりと言い放った途端、クナウティアの頬が赤くなる。 「そ、そうなの……」  じゃあ、私に惚れたのね。一目惚れってあるんだわ、運命的! クナウティアは盛り上がった。  ご近所さんに借りて読んだ恋愛小説を思い浮かべ、親友セントーレアと視線を合わせる。同じ本を借りた彼女も、目を輝かせた。頷き合う、間違いない――魔王を虜にするなんて、罪作りなわ、た、し!  幸せな誤解に頬を染める妹に、兄は複雑そうな顔で俯いた。婚約するセントーレアの前で、そんなに貧乏貧乏言わなくても……。  食べるに困らせた記憶はないんだが……ルドベキアも陰で溜め息をついた。
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