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93.人間が目を背けた不都合な事実
「魔族の方々のご要望をお伺いしたいの。それによって、リクニスは今後の方針を決める予定ですわ」
リナリアは取り出した言霊を手に、魔族の出方を尋ねる。人間を侵略して殺戮し、滅ぼす気なら相応の対応をすると匂わせるが、ネリネは平然と受けた。
「使者殿は勘違いされていますね。我々側から襲撃したのは、今回のクナウティア嬢の誘拐以外ございません」
魔族が好戦的だというのは誤解だ。人間側が魔族の子供を拐ったり、魔物を殺したから受けて立っただけ。自分達から開戦したりしない。明確に立場を口にして、ネリネはリナリアに委ねた。リクニスの使者であるリナリアは、曲者だ。出来るだけ細切れに情報を交換しないと、足元を掬われる。外交担当の宰相へ、リナリアはにっこりと微笑んだ。
「わかりました。では魔王陛下にこちらの言霊をお渡ししま……きゃあっ」
「それは何だ?!」
騎士の1人が間に割り込もうとして、ルドベキアに排除された。一瞬で懐に入り、身を沈めて騎士を背負う形で投げ飛ばす。地面に叩きつけられた際に受け身を取り損ねた騎士の肺から、一気に息が逃げる。苦しそうな姿を、同僚が慌てて抱き起こした。
「何をする!」
「それは、俺の言葉だ。我が妻はリクニス最高峰の巫女ミューレンベルギアの使者である。そなたが手を伸ばしてよい女性ではない」
先ほどまで娘の無自覚な言葉に切り裂かれて泣いていた面影はない。リクニスという魔術師一族にあって、武闘派の一角を担うルドベキアは特殊な部類に入る。何かあれば外に散った一族を守って村に連れ帰る役目も持っていた。
今は使者に立つリナリアの護衛である。彼女に手を出せば、それが魔王であれ王子であれ排除するだけ。無遠慮に他人の妻に手を伸ばしながら、反省しない騎士に舌打ちした。
「行儀が悪いですよ、ルドベキア。守ってくれてありがとう」
嗜めと守られた礼を一度に口にしたリナリアは、後ろで介抱される騎士を見下ろした。その視線に家族へ向ける優しい色はない。
「あなた方、人間はいつもそう。魔物を攻撃して殺し、魔術の腕があるからと我が一族を追いかけ回す。もっとも脆弱な種族なのに、もっとも傲慢。他種族への差別や偏見に満ちているわね」
感情を滲ませない冷たい声が広間に響いた。気怠い所作で玉座に寄り掛かるシオンが、リナリアの発言に身を乗り出す。過去にミューレンベルギアの使者が来たことはあるが、このような女傑は初めてだった。
魔族の今までの対応や歴史を、彼女は正しく認識している。攻撃されれば受けて立つが、こちらから攻めたことはない。その意味を理解し、正面から魔族を擁護する人間を初めて見た。夜空色の瞳を瞬く魔王は、そこでようやく口を開く。
「……リクニスも迫害されておるのか」
「8代ほど前の人間の王は、我らの巫女を穢そうとしました。王家にリクニスの血を得たいと……その醜さに嫌気がさし、一族は森の中に逃げましたの」
知らなかった事実に、リアトリスは絶句した。
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