借り物競争

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借り物競争

『では、午後からのプログラム一番、借り物競争を行います』  わーっとグラウンドが湧いた。僕は昼食でいっぱいになった腹をさすりながら、借り物競争に参加する選手たちを眺めている。  僕が参加した競技は百メートル走だった。運動が特に得意じゃなくても参加できる、無難なやつ。それは午前中に終わってしまったから、僕に残されているのは「応援」しか無い。 「あーあ! 早く走りたいな!」 「……っ!」  森山が僕の肩に手を置いて絡んで来た。こいつはクラスの人気者で、成績優秀、おまけにスポーツ万能ときた何でも出来る凄い奴だ。勉強だけが取り柄の僕とは大違い。 「リレー、まだかなぁ」  早く始まんないかなぁー、と森山は溜息を吐く。そう、彼は体育祭の花形である最終種目の男女混合リレーに出場するのだ。もちろん、アンカーで。放課後、遅くまでメンバーと残ってバトンの受け渡しの練習をしていたのを、図書室の窓から見ていた僕は知っている。その努力を発揮するのが今日だ。そわそわしても仕方が無いだろう。 「二時前くらいに始まるって、プログラムに書いてあったけど」 「あと一時間もあるじゃん! あーあ、待ちきれねー」 「落ち着きなよ。怪我するよ?」 「しない! 俺は本番に強いから!」  クラスの人気者の森山と、クラスではそんなに目立たない僕。どうしてこんなに会話が出来るのかというと、それは好きな本の趣味が合うからだ。五月の席替えの時、偶然、隣同士になった僕たちは、お互いの机の上に置かれていた文庫本にくぎ付けになった。 「あ! それ、シリーズの新作だよな!」 「それは……今度ドラマ化が決まったやつ?」 「そーそ! この作家好きなんだよ! お前も?」 「……うん」  それで、本の話をするようになって、勉強の話をするようになって……仲良くなった。あの時、机の上に本が置いてなかったら、絶対に仲良くなんてなれなかっただろう。  僕にとって彼は、大切な友人のひとりであり、誇れる人であり……憧れであり、もっと近付きたい人だ。  森山と居ると、何故か心がぞわぞわして落ち着かない。一緒に居ると、楽しいのに、同時に苦しい。僕は、彼のことが好きなのだろうか。分からない。だって……初恋とか、良く知らないし。それに、一歩踏み出すのが怖い。変なことを言って、森山の隣に居られなくなることが、何よりも怖いのだ。 「何だよ。ぼーっとしてさ」 「……別に」  そんな会話をしていると、体育祭実行委員の生徒が、青い顔をして応援席に駆け込んで来た。 「二組の方で、誰か代わりに選手になっていただける人は居ませんか!?」 「何だ? どういうことだよ?」  何でも、実行委員の手違いで、選手の数がひとり少ないまま書類が通ってしまったらしい。なので、うちのクラスだけ借り物競争に出場する選手が足りないのだ。これは困った。さっそく、クラス委員長が応援席の中心に立ち「誰か、出れる人居ませんかー?」と声を張り上げる。すると、ひとりの生徒がぴんと手を上げた……森山だった。 「俺! 出ます! ちょうど、走りたくてむずむずしてたんだよな!」  他の生徒の「お前、リレーの選手だろ!」、「怪我しても知らないぞ!」という声を聞かないまま、森山はグラウンドの中心までぴゅんと飛んで行ってしまった。僕はその背中を呆気に取られたまま見つめていた。 「……元気だな」  そう呟いた声は、誰にも聞かれることなく、風に乗って消えてしまった。 ***  うちの学校の借り物競争の借りてくるものは、全校生徒から募集したものがランダムに選ばれる。去年は「校長先生」っていうのがあって面白かった。他にも「文化部の人」とか「数学の教科書」とかジャンルはバラバラに選出されている。今年は、どんなのかな。森山はどんなお題を引き当てるのだろう。 『では、位置について、よーい……』  空砲と同時に、借り物競争が始まった。森山はダントツ一位でお題の入った箱の元まで辿り着く。そして、箱の中に手を突っ込んで、中から一枚の紙を引っ張り出した。 「森山君、何を引いたんだろ?」  応援席の皆が森山に視線を注ぐ。森山は紙を見たまま、硬直して動かなくなってしまっていた。どうしたんだ? 無理難題を引き当ててしまったのか?  しばらくして、森山は顔を上げて、応援席の方を見た。  ばちり。  視線がぶつかる。  次の瞬間、森山は僕の方に向かって、一直線に駆け出して来た。 「中野! 来てくれ!」 「は? え?」  僕の元に来た森山は、僕の返事も待たずに僕の手を掴んで、ゴール目掛けて走り出した。僕はもつれそうになる足で、それに必死について行く。僕は彼に訊いた。 「それ! 何て書いてあったの!?」 「説明は後だ! とにかく今は走れ!」  ああ、きっと「大人しい人間」とか「読書好きの奴」とかが書かれていたに違いない。まさか「友達」なんて書いてあったら、森山はもっと親しい奴を選んだだろうし……複雑な気持ちだ。  そんなことを考えて心を曇らせる僕をよそに、森山は走るスピードを上げる。とうとう僕は足がもつれて転びそうになった。 「ちょっと、待ってよ!」 「待てない! 待ってたら優勝出来ないだろ!?」  そういうと、森山は、なんと僕の膝の裏に手を差し入れて、僕のことを、その、つまり、お姫様抱っこした。わー! きゃー! と応援席が騒がしい。僕は恥ずかしくて、たまらなくて、森山の胸に顔を押し付けて顔を隠した。 『ゴール! 一位は、三年二組の森山君です!』  司会者のマイクの声がグラウンドに響く。勝った……森山が、勝ったのだ。 「やった! 俺ら一位だぞ!」 「わ!」  僕を抱えたまま、森山はその場でくるくると回って喜びを表現した。自分のクラスの応援席以外の他のクラスからも「おめでとー!」とか「森山―!」と歓声が飛んでくる。全校生徒の注目を浴びているという現状に、僕はますます恥ずかしくなった。 「森山! もう良いだろ! 僕は応援席に帰る!」 「おっと!」  僕は森山の手の中から飛び降りた。森山は不満そうにくちびるを尖らせた。そんなやり取りをしていると、実行委員の人が僕たちの元にやって来た。 「では、お題と合っているかチェックさせてもらいます」 「はーい」  ここで紙に書かいてあるお題と借りてきたものが違えばアウトだ。  森山はジャージのポケットから少し皺になったお題の紙を取り出して実行委員の人に見せた。 「……これは、あなたにとって、彼はそういう人ということですか?」 「そうです!」 「分かりました。お題と一致しているので、優勝は決定です!」  そう言って実行委員の人は、金色の折り紙で作られた金メダルを森山に手渡した。森山はそれを自分の首に掛けずに、何故か僕の首に掛ける。安っぽいメダルがきらきらと太陽の光を反射して眩しい。  僕は森山に訊いた。 「お題、何て書いてあったの?」  それを聞いた森山は「あー……」と言葉を濁す。 「気にしなくて良いから!」 「いや、気になるよ。何で僕を選んだの?」 「それは……」 「それは?」 「……好きだからっ!」 「……は?」  言うなり、森山は校舎の方に向かって一直線に走り去ってしまった。僕はしばらくその後ろ姿をぽかんと眺めていたけど、数秒後に我に返って、慌てて森山のことを追いかけた。 「待てってば!」  さすがリレーの選手だ。足がめちゃくちゃ速い!  僕はへろへろになりながら、森山が消えた方に向かって彼を探した。すると、校庭の隅の方でうずくまる森山を発見した。僕は急いでそちらに駆け寄る。 「森山! 何で逃げるんだよ!」 「……別に、逃げてない」 「逃げてるだろ、どう見ても!」  沈黙。  何だって言うんだ? 僕はただ、お題の内容を訊いただけなのに。  しばらくだんまりを決め込んでいた森山だったが、粘り強く待つ僕に諦めたのか、ぼそぼそと口を開いた。 「……きな人って書いてあった」 「え? 何? 聞こえない……」 「だーかーらー! 好きな人って書いてあったの! だから俺はお前を選んだの!」 「……はい?」  好きな人? 何だそれ?  ……ああ、分かった。本命を連れて行くのは恥ずかしいから、適当に僕を選んだに違いない。  僕は「そっか……」と呟いた。複雑だ。めちゃくちゃ苦しい。こんなことなら、訊かなきゃ良かった。  森山は立ち上がって、少し高い目線で僕を見つめた。 「本当はさ、卒業式の時に言うつもりだったんだけど……好きです! 受験前で忙しい時期だけど、俺と付き合って下さい!」 「……はい?」  意味が分からない。えっと……つまり、森山の本命が僕で、僕が本命で?  混乱する僕の顔を、森山が心配そうにのぞき込んで来た。 「……嫌だったか? ごめん……」 「は、いや、違う! 嫌とかじゃなくて、その……びっくりして……あはは、そっか。僕のことを好きでいてくれたんだ……」 「だって、お前と居ると凄い楽しいんだ! 本の趣味も合うし……一緒だと、落ち着くし」  森山の手が、ゆっくりと僕に伸びてくる。僕は、震えるその手で抱きしめられた。 「……もっと近くに居て欲しい」 「……うん。良いよ」 「へ?」 「僕も、森山のこと、好きだし」 「ほ、本当か!?」 「うん」  僕が頷くと、森山は嬉しそうに笑って、ゆっくりと顔を近付けてきた。キスだ。そう思った瞬間には、くちびるとくちびるがくっついていた。 「……しょっぱい」 「はは! 走って汗掻いたからな!」 「そういえば、本番前にリレーのバトンの練習やるんでしょ? 行かなくて良いの?」 「えぇっ……せっかく良い雰囲気なのに」 「……格好良い姿、もっと見せてよ」  小さな声で僕はそう言った。森山は目を見開いて僕を見て、こくこくと強く頷いた。 「分かった! リレーでも優勝して、もっと惚れさせてやるからな!」 「……うん」  僕は今になって震え出した心臓の音を悟られないように笑顔を作りながら、森山に「早く行きなよ」って促した。「それじゃ……」って森山は名残惜しそうに僕を解放して、またもの凄いスピードで走り出して、グラウンドに消えた。 「……は」  僕は糸が切れた人形みたいにその場にへたり込んでしまった。夢みたいだ。あの森山が、誰でもない、僕を選んだなんて。 「好き……」  僕はさっき触れ合ったばかりのくちびるにそっと触れた。くっついただけの、軽いキス。それなのに、僕の体温は一気に上がってしまう。ああ、信じられない……キスまでしてしまうなんて。  僕は、よろよろと立ち上がって、グラウンドに向かうことにした。森山の勇姿を見届けるためだ。心配しなくても、きっと彼なら――。  平然を装って応援席に戻り、森山の出番を待つ。僕の心臓は、ずっとばくばくと鳴りっぱなしだった。 『では、リレーに出場の選手は集合してください』  大丈夫。 『位置について、よーい……』  走れ、森山!  空砲と共に、選手たちが走り出す。物凄い迫力だ。選手たちのスピードは速く、あっという間にアンカーになった! バトンを滑らかな動きで受け取った森山が、走る! 「森山!」  他の生徒と共に、僕も声を張り上げて応援した。森山の、学校指定の運動靴が力強く土を蹴る。髪を乱して、ただ一直線にゴールに向かって、走る! 「森山!」  ゴールテープを切ったのは、誰でもない、僕の、恋人だった。 *** 「それ、まだ持ってんの?」  森山が、金色の折り紙のメダルを指でつまんで眺めている。僕はくすぐったい気持ちで頷いた。 「持ってるよ。栞にしてる」 「恥ずかしいだろ。こんなの大学で見られたら」 「見られないよ。家で読む本だけに使ってるからね」  外で失くしたら困るし、と言うと、僅かに森山の頬が赤く染まった。 「森山も貰っただろ? リレーで優勝した時に。あれからどうした?」 「……アルバムに貼ってある」 「そっか。もしかして、あの写真?」  僕はベッドサイドの写真立てを指差した。そこには、メダルを首からぶら下げて写真に納まる僕たちの姿がある。担任の先生に撮ってもらったものだ。このメダルの次に、宝物にしている。 「来年で大学も卒業だね」 「そうだな」  高校を卒業してからも、僕たちの関係は続いている。大学は別々だけど、週末はこうしてどちらかのアパートで会うんだ。 「……あのさ、メダルも良いけどさ……今度、指輪とか買いに行かない?」 「指輪?」 「そう。その、お揃いでさ……」  照れ臭そうに言う森山の肩に僕は凭れた。 「良いね。バイト代三か月分?」 「いや、もうちょっと安いやつ」 「ふふ」  あの借り物競争の時、森山が選手にならなかったら、借りてくるものとして僕を選ばなかったら、僕たちの関係はどうなっていただろう。もう今となっては想像も出来ないや。 「キスして良い?」 「……良いよ」  僕は目を閉じる。いつだって、森山と触れ合うときはどきどきする。森山は気付いてないかもしれないけど。  あの頃の森山も、大人になった今の森山も、どっちも格好良い。そう、僕の自慢の恋人はいつだって格好良いんだ。  ふ、と森山が近付く気配を感じたので、僕は手を伸ばして森山の背中を目を瞑ったままで探った。  くちびるが重なって。互いと互いを確かめ合う。  僕たちはあの校庭でした時よりも、ほんの少し大人のキスを交わしたのだった。
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