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爆ぜる 四
出火の原因は明らかにならなかった。
静に逃げろと言われたのにもかかわらず、夕は屋敷を出なかった。
京一郎には電話で助けを求め、その直後に従業員が逃げたあとの無人の厨房から火が出た。
その時間、調理は終わっており、ガスの元栓は既に締めてあったと従業員の女性は言っている。
陽は、夕が自ら火を放ったのではないかと思った。
しかしその考えを口にすることはなかった。
懸川統は火事がひどくなる前に助け出され無事だったが、爆風に飛ばされた際に骨折をしたようだった。
命に別状はなかった。
入院先の病院に丈一郎が直接出向き、病床の懸川に向かって、系列会社を全て潰すと言い放ったと、後日、陽は聞かされた。
あの時、屋根から飛び降りた夕は軽い打ち身だけで済んだものの、逃げる途中で着物の裾が焼け焦げ、足には痛々しい火傷がいくつもあった。
それに加え心因性ショックが大きく、3日の間、死んだように眠っていた。
4日目の朝、夕は目を覚ました。
「あき・・・」
「夕・・・夕っ!」
「僕・・・は・・・」
「良かった・・・目が覚めて・・・」
陽はベッドに顔を伏せた。夕の手を握り、声を殺して泣いた。
夕はゆっくり上半身を起こした。
病室の壁と天井、窓から見える並木道をぼんやりと見つめる。
「ここ・・・」
普段は京一郎が相楽の屋敷で看てくれる。
が、今回は都内の病院に搬送された。かつて京一郎が務めていた総合病院だ。
陽も全身打撲で外科にかかったが、幸いにも外来通院で済んだ。
静も入院しているが、夕は丈一郎の希望で一等個室に入れられていた。
「京一郎さんが務めていた病院だよ。足の火傷と心因性のショックで3日寝てたんだ」
「病院・・・」
夕は弾かれたように、患者の名前が書かれたネームプレートを探した。
陽はそのうろたえぶりに気づいて、夕の手を強く握り直した。
「夕・・・大丈夫だから・・・」
ベッドのヘッドボードには、「懸川 夕輝」と書かれたプレートが貼られている。
夕は半泣きの顔で陽から目を逸らした。
陽は、夕が眠っている間、前オーナーの丈一郎から夕の過去について説明を聞いた。
孤児だった夕を、懸川統は養子にした。
囲っていた少年たちのなかでも特に気に入っていたという。側に置いておくために養子縁組みをしたのだ。
丈一郎とは違い、愛情ではなく、単なる性欲処理の相手として。
丈一郎は夕の身元を調べた時に、懸川の息子にされていることを知り、余計に夕を不憫に思った。
同業であり、すこぶる評判の悪い懸川の慰み者。命辛々逃げてきた、やせ細った少年。何とかしてやりたい、その一心だった。
いずれ情が沸くことも想像出来たという。
それでも懸川の手から守れるのは自分しかいないだろうと思った。
極上の接客のノウハウ、西の言葉、女性と見紛う優雅な身のこなし。
上等の着物を着せ、髪を伸ばさせ、その美しく均整のとれた身体で男を喜ばせるテクニックを教えた。
懸川統のように、己の欲求をぶつけるではなく、極上のものを与え育て、新城 夕という新しい人間を作り上げた。
その周りには、夕を懸川統の魔の手から守る、考えつくかぎりのあらゆる方法でガードを張っていた。
相楽の力、相楽の人間をふんだんに使って、夕を守る。
夕が以前刺された時に病院に運ばれなかったのは、懸川 夕輝という名前を隠すため。
京一郎が常に夕の側にいるのは、それが理由だった。
(そういうことだ。お前が特別だという意味が分かったか)
(はい・・・)
(流石に懸川統本人が乗り込んでくるとは想定外だった。実子の洋矩が父親同様、下衆な男だったのを忘れていた・・・)
(あんな接客をしなければ・・・こんなひどいことにならなかったのでしょうか・・・)
(・・・遅かれ早かれ、愚息から父親に情報は入ったはずだ。洋矩が夕に気づかなかったとしても、懸川本人が見れば気がつく。まあ・・・お前たちがやったことは得策とは言えんがな)
(申し訳ございません・・・)
(・・・潮時だったのかもしれん。夕が、ずっと見ない振りをしてきた自分自身と向き合うきっかけになった。・・・これからどうするかは、夕に決めさせる)
(これから・・・?)
(もう身体を売ることは出来んだろう)
(・・・・・・)
(お前がそうさせたんだ。もう相楽の家に束縛はしない・・・責任を取ってやれ)
(オーナー・・・)
(オーナーは晴登だ。俺は・・・ただの口うるさい隠居じじいだ)
相楽丈一郎は、陽に向かって初めて、柔らかく微笑んだ。
そして、俺も子離れしなきゃなあ、と小さく呟いた。
「・・・知られたくなかった」
夕は窓の外に視線をやったまま、抑揚のない返事をした。
「この名前を見ると吐き気がする・・・・どんなに相楽の人たちに大事にしてもらっても、これだけは変えられへん。捨てたいのに、ずっとまとわりついてくる・・・」
陽は椅子から立ち上がった。そして、夕の頭を胸に引き寄せ、その髪を優しく撫でた。
「辛かったな」
年上の夕。
対等に話せるようになってからも、陽はどこか夕に遠慮していた。
が、今は夕が小さく見える。
「よく頑張ってきたと思う。でも、もうひとりで耐えなくていい」
「あ・・・き・・・」
「夕輝なんて名前じゃない。夕は、夕だよ。これから時間はたっぷりある。そんなこと思い出す暇がなくなるくらい、これから楽しい時間を一緒に過ごそう」
「でも・・・臥待月は無くなった・・・」
「・・・夕はもう、身体を売る必要はない」
臥待月は全焼した。
町外れだったのが不幸中の幸い、まわりの家に延焼することもなかった。
「僕は・・・ほかに何も出来ひん・・・」
「出来ることがあるよ」
「え?」
「前に俺が倒れたとき作ってくれたスープ、覚えてる?」
「・・・スープ?」
「あれが食べたい。できるなら一日置き・・・いや、毎日でも」
「・・・そんなん、まるでプロポーズみたいや」
「まるでっていうか・・・そのつもりなんだけど?」
「あき・・・っ・・・」
「俺だけのものになって、夕」
夕は陽のシャツの生地を掴んだ。
引っ張られて陽が見下ろした夕の目には涙が今にもこぼれ落ちそうに溜まっていた。
陽は夕の顔を上向かせ、唇を合わせた。
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