123人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ
爆ぜる 参
晴登が指を指しながら叫んだ。
陽はその声につられて顔を上げた。
平屋の「臥待月」には、小さな屋根裏部屋があった。
通常は正面からは見えないようになっているが、建物の一部が燃え落ちたために今、その姿ははっきりと確認できる。
使わなくなった食器や、古い家具などを仕舞っておく部屋だが、運良くまだ燃えてはいなかった。
その屋根裏部屋の窓から、直接屋根に出ることが出来る。
屋根の上に、夕がいた。
陽は息を呑んだ。
偶然か必然か、今朝夕が選んだ着物は、深い臙脂色。黒の帯には真っ赤な鳳仙花の花が描かれている。
熱風に髪をなびかせ、燃えるような赤を纏い、燃え落ちる「臥待月」の上に立つ夕は、まさにこの館の主そのものだった。
「ゆ・・・・夕!!」
陽は叫んだ。
早く降りないと、火が回る。足場が崩れ落ちているから梯子を懸けるのも難しい。
夕は、下から叫ぶ陽を見下ろした。
泣きもせず、おびえもせず、哀しげに陽を見つめる。
陽は嫌な予感がして、叫んだ。
「何やってるんだ、早く逃げ・・・っ」
「もうええの」
ゴウゴウと燃えさかる炎と、木材の朽ちる音の中、陽にははっきりと夕の声が聞こえた。
「ここを汚されるくらいなら、「臥待月」と一緒に逝く」
「なに馬鹿なことっ・・・」
「僕の居場所はこの「臥待月」だけや。懸川の手に渡るくらいなら、いっそなくなってしまえばいい」
陽の後ろでは、消防車の梯子が急ピッチで夕に向かって伸びてゆく。
消防隊員が必死に夕に向かって叫んでいるが、夕は、陽にだけ語りかけていた。
「臥待月は夕のものだ!誰の手にも渡らない!だから早くっ・・・」
「あき」
夕の背後には、炎が近づいている。
限界だった。
夕は言った。
「僕は・・・ここでしか生きられんの・・・他に、生きていく術を知らないから。「臥待月」が無くなったら、男娼でなくなったら、生きる意味を失う」
「建て直せる!みんな・・・きっと力を貸してくれる!」
「無理や・・・もう・・・僕には出来ひん」
「どうしてっ・・・俺がいるっ、一緒にいるから!」
「だからやないの・・・っ・・・!」
陽の周りが一段とあわただしくなる。梯子車が建物に横付けされ、消防隊員は注意深く夕に向かって上がっていく。
地面には万が一落下したときのためにマットを敷き詰め、たくさんの人間が屋根を見上げている。
夕は、陽が聞いたことの無い大きな声で叫んだ。
「もう、僕には出来ひん!陽じゃないひとに抱かれるのはもう嫌や!」
「夕・・・」
「こんな僕、役立たずや・・・・・価値がなくなってもうた・・・」
夕は哀しげに微笑みながら泣いた。
バキバキ、と背後の屋根が崩れ落ちる音がして、足下の板ががたんと凹んだ。夕の身体がバランスを崩し、大きく傾く。
消防隊員がもうすぐ手の届く場所に到達する。しかし炎が邪魔をして、あと一歩のところで届かない。
下から見ている人間が、間に合わない、と叫んでいた。
「夕!」
陽は、落下防止用のマットの前で、ひときわ通る声で呼んだ。
そして、大きく両手を広げた。
「夕、お前の居場所はここだ!」
「あき・・・っ・・」
「臥待月がなくなっても、俺は夕の側にいる!俺が夕の居場所だ!」
「あきっ…」
「飛べ!」
背後2mにまで近づいたオレンジ色の炎の中、真っ赤な着物の袖を翼のようにして、夕は、陽の腕に向かって飛び降りた。
最初のコメントを投稿しよう!