そっと押して……

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 それでも私が毎回足を運ぶのは……。 「今回であきらめて、実家に帰ろうかって……」  戻した顔でいった彼女の本心は、読みとれなかった。  無理にとりつくろった笑みが、躊躇を示しているようでもあり、断念を表明しているようでもあり……。  どう答えれば……。  単に自身の想いを吐露するためだけに、私を誘ったわけではあるまい。 「自分で決めるべき」―――そんなまっとうな返事を突きつけるには、あまりにも気の毒な、彼女の弱々しく、そして疲れた素顔だった。  どう答えれば……。  自ずと私自身も追い込まれた。  ガラス製の盃を見つめながら脳内を急かした。  すると、ヒントにさせようとでもしたのか、思考は彼女との想い出を引きだしてきた。  もしくは、今夜が別れの夜になるのかも……といった意識が、知らず私を感傷的にさせたのか……。  この街へ引っ越してきたので―――。  週に幾度かここの社に訪れるわけを、彼女はそう話した。  バイト終わりに寄るという参詣は、いつもすっかり日が暮れてからだった。 「お疲れさまです」  それがはじめて彼女にかけられた言葉だったように記憶する。  人気もなく、しかも光の乏しい境内ででも気軽に声をかけたのは、知り合いもいない新しい街での人恋しさからだったと思う―――と、のちに明かされた。 「もちろんそれ、同年代の女性で、巫女さんてわかったからですけど」  そう添えた彼女は、田舎者でも、そこまで危機意識は低くありません、と頬を緩めた。  巫女―――私の着衣が彼女にそう思わせたのか、 「ミコさん」  しばらくそれが私の呼び名になった。  夜間に巫女が境内をうろうろしているものか……。といった疑問は、彼女にはなかったようだ。あるいは、彼女の地元の神社には、仕事熱心な神の仕者が多いのか……。  夜のささやかな時間をともにする中で、問わず語りに彼女は語った。  地方から出てきて小劇団に所属していること。  高校のときの演劇部の活動とは、なにからなにまで違ったこと。  劇団員たちの変わった癖や生活風景。並びに、彼らとの人間関係。  ―――ほとんどが芝居に関した話題。  そして、そんな話をしているときの彼女の表情に、灯籠の明りがつくるもの以外の陰りは、微塵も浮かんではいなかった。  そのうち、公演があるたびにチラシと招待券をもらうようになり……。
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