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「―――わたし、やめようかと思ってて……」
その言葉は、間断なく続いていた哄笑の隙を衝いた。
低価格を売りにしているこの居酒屋は、そのぶん、酔客の交わす声が隅々でばか高い。
だから、
「え?」
私は訊き返す声を少し張った。
「今回で……芝居……」
続けた彼女の視線は、手もとにある紅色の酒に落とされたままだった。
なにかあると思った―――。
終演後、彼女から誘ってくることなど今まで一度もなかったから。しかも、彼女の友人らしき女の子たちも、二、三人観にきていたというのに。
たしかにそのような悩みの告白なら、私のような立場の者のほうが適しているかもしれない。―――灯籠の灯がぼんやり照らす境内で、わずかな時間の共有を幾度となく重ねただけの、友人というにはいささかしっくりこない、しかし、微細な親密感は生まれていたであろう間柄。
あくまで「親友」、とまではいかない「友だち」からであれば、
「だめだよ~」
「せっかく今まで続けてきたんだから~」
「頑張って~」
といった無責任な応援しか期待できないだろう。
「どうして?」
冷酒で口を湿らせると、冷静な問いを返した。
彼女の―――たしか“カンパリソーダ”といったか―――飲むような洋酒は、やはり肌に合わない。
「―――なんだか、疲れちゃって……」
減る予感をさせないグラスの雫を指でなぜながら、彼女は口を開いた。
高校卒業後上京し、バイトと稽古の毎日を送りながらプロの女優を夢見た八年。
数々のオーディションにそっぽを向かれ、所属する劇団には、未だ上昇機運が微かにも感じられない。
梅雨空と同じ、日の目を見ない日々―――。
「そんな生活に疲れちゃった……」
自らに向けた投げやるような台詞には、舞台では見られないリアリティーがあった。
よくある話だ―――との思いを飲み込み、テーブル脇の窓ガラスに流した彼女の視線を、ゆっくりと追った。
無数の雨滴が滲ませた窓外のネオンや車のテールライトが、舞台照明を甦らせる―――。
最終日前日の今日。古く狭い小劇場での夜公演は、土曜日だというのに三分の一ほどの客席しか埋まっていなかった。それは、続く梅雨空のせいばかりではないはず。
ただ騒いで泣いて、最後には短絡的に大団円を迎える毎度の内容に、客足が遠のいていくのは至極当然の結果だろう。
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