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あなたが消えた日
深夜の一月の空気は、宮部君と二階のテラスで感じた時よりも、容赦なく叩きつけてくるようだった。歩き始めてすぐ、耳と鼻が痛くなる。
田舎に、夜遅い時間帯まで開いている店なんて、ほとんどなかった。カラオケは二次会の会場だ。私とミコトちゃんは、その近くのマックに入る。
飲み物とポテトを頼んでグダグダして、少しした頃に平井君がやって来た。パーティー会場の上品な照明の下では気付かなかったけど、マックの灯りの中の彼は、優等生よりも、いかにもくたびれた大人といった感じだった。
「ごめんね。本当は、百田ちゃんとデートのつもりだったんだけど。平井君がどうしてもって云うからさ」
「女の子二人、この時間に出歩かせるのは危ないだろ。って、ヤマトなら云うと思う」
「だろうね。お疲れ、我らが生徒会長」
「昔の話だよ。今は、こーゆう時の責任の押し付けられ先だ。だから逃げてきた」
コートとマフラーを外しながら、平井君は少し迷ったみたいに、私とミコトちゃんを交互に見る。二人だと思っていたので、私はミコトちゃんの正面に座っていた。だから迷ってるんだろう。
ミコトちゃんがすっと、平井君に手を差し出した。
「平井君。上着こっち貰おうか」
「あ、うん。じゃあ」
隣ごめん、と云って、平井君は私の隣に座った。コーヒーのカップの蓋を外して、深く息を吐き出す。
「ヤマト、帰っちゃったな」
「そーね」
「久しぶりに会えたのになぁ。お洒落になって、さ。てか俺以外皆お洒落になってさ。裏切り者かよ」
「それは、お洒落になろうとしなかった平井君が悪いと思う。可愛くなるのに努力した女の子を裏切り者扱いするのは、良くないなぁ」
「もしかして、ヤマトがあんなフェミニストっぽくなったのは、小暮井さんの差し金?」
「逆に、わたしの方がヤマトに影響受けて、女の子に優しくなったくらいだよ」
「……はあ。ごめん、言葉のアヤと云え、俺が悪かったよ。元々可愛かったのに、更に可愛くなってくれてありがとう」
「平井君も」
私が口を開くと、二人の視線がそっとこちらに流れる。その注目はなんとなく苦手だ。早口で続ける。
「平井君も、カッコよくなってるよ。多分、一番スーツが似合ってたと思う」
居心地が悪くて、買ったコーラに口を付ける。二人と喋れるようになったとはいえ、まだ慣れない。トラウマ、っていうのとはちょっと違うかもしれないけど、そういうのは簡単にはなくならない。酔いも醒めてきた今なら尚更だ。
「……ん、そっか。そっか、うん、う~ん……そう云われると、照れるなぁ」
平井君はコーヒーをすする。ゆっくり、ゆっくりすする。
ミコトちゃんが指先を紙ナプキンで擦ってから、スマホを取り出した。
「連絡先交換しようよ、百田ちゃん。インスタやってる? 百田ちゃんならTwitterでも良いよ」
「あ、うん。どっちもやってる」
「おっけ。平井君はLINEだけで良いや」
「え、なんで」
「おすすめ欄から同窓生に勝手にフォローされたくないし。どうせ生徒会長は人気者だから、いろんな子と繋がってるんでしょ。まっさらなアカウント作って出直してきなよ」
「俺だって誰にも見せてない愚痴垢くらい持ってるけど!」
「んはは! 笑った。それなら良いよ」
「くっそ。……百田さん、俺も交換してもらって良いかな。ついでに」
「あ、うん。もちろん」
「ん、良かった。ありがと」
QRを表示する。二人に覗き込まれて、順番にフォローされるたびに、スマホが震えた。
最後に平井君とLINEを交換して、私たちはそれぞれしばらく画面を眺める。最初に、さっそく平井君から送られてきたスタンプに、スタンプを返す。
へえ。ミコトちゃん、美術大学に行ってたんだ。キラキラの写真よりも、絵の方が多い。平井君の愚痴って、ちょっと気になるなぁ。こっちはあとで、ゆっくり見よう。
五年の空白。それを埋める手紙のように、私たちは私たちの足跡を辿る。
ふと思い立って、私はLINEのグループのメンバーを見てみた。元々参加はしていなかったけど、招待中の欄から、宮部君の名前が消えていた。
ミコトちゃんのフォロー欄にも、平井君のフォロー欄にも、それらしいアカウントは見つからなかった。彼は完全に、私の前から消えていた。だからと云って、ミコトちゃんや平井君に彼の連絡先を聞く勇気は、まだなかった。
もし。もし、彼に本当に、刺青があるとしたら。本当に危ない職業の人だったとしたら。だから多分、頑なに「恋人になれない」って云ったんだと思う。好きな人を、自分から遠ざけたんだと思う。
なら、これ以上追い掛けるのは、迷惑だろうな。私が彼の好きな人じゃなくても。
私はそっと、グループから退会する。マックの薄黄色の光が、それを他人事みたいに錯覚させる。
私に続いて、三軍と四軍の子たちが、次々グループから抜けるんだろうな。一軍と二軍は、なんとなくしばらく居座って、喋ってるんだろうな。
土台の消えた、張りぼてみたいな中学生のカーストの頂上で。一足先に私は、大人になっているから。早いとこ追いかけて来いよ、キラキラ勢。
ミコトちゃんと平井君はきっと、それには参加しないんだろう。そのうちミコトちゃんが出て、平井君は生徒会長だから最後まで残って、でも通知は切ったままで。
あーあ。私は、天井を仰ぐ。
たったそれだけのことに、すっきりした。窮屈さがなくなった。
氷の溶けた薄いコーラが、余計気持ちを軽くする。物足りないけど、なんとなく、この駄菓子のガムみたいな甘さの、偽物みたいな味が好きだ。
なんだか今、着飾って入ったこの深夜のマックで。卒業式よりも、卒業したっていう実感があった。
【終わり】
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