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王子様
会場に戻ると、宮部君はいなくなっていた。ミコトちゃんもいなかった。平井君は、他の男の子たちのところで、生徒会長みたいに振舞っていた。
仕方なく私は、グラスにおかわりを貰って、友達のところに戻った。ごめんね、酔っちゃって、と簡単に云い訳をすると、彼女はまた私を話の輪に入れてくれた。
ここが、落ち着いた。三軍の女の子は、優しい。背伸びをしなくて良い。容姿に酷くコンプレックスを抱かなくて良い。可愛くないって云ってるんじゃない。キラキラしてない。眩しくない。それくらい。
梅酒と、ポカリを交互に飲みながら、二次会どうしよっか、と話していると、友達の顔にきゅっと緊張が走るのが分かった。
「ね、百田ちゃん」
背後から聞こえた声に、私も緊張する。無視も出来ずに、振り返ると、ミコトちゃんが少し首を傾けて立っていた。ああ、可愛い。でもなんで。
「ヤマト知らない?」
「え。さぁ……」
てっきり、ミコトちゃんと一緒にいるものだと思っていた。ミコトちゃんはそっか、と云って、ありがと、と笑う。
「良かったら入れて貰っても良いかな。喋れる子、今百田ちゃんしかいなくて」
「えっと、良いけど、ほらあの、一軍の女の子とかは、大丈夫なの……?」
「一軍? 何それ」
「グループって、いうか。何となくあるでしょ、中学のクラスとか学年とかで、目立つ子のグループとか……」
「もうわたしたちは中学生じゃない、大人だよ」
「大人、だけど」
宮部君の言葉を思い出す。二十歳って、思ったよりも子供で。権利と義務と、少しの自由を得ただけの、子供。
それを否定するみたいに、と云うとニュアンスが強いけど、優しく違うよ、って首を振るみたいに。ミコトちゃんが続ける。
「我侭になって良いってこと。あんまり大声で云えないけど、ああゆう、いかにもキラキラしてるぜって感じの雰囲気、ちょっと苦手でさ」
「嘘。キラキラしてるのに」
「わたし? キラキラしてた?」
「してるよ」
「それは可愛いキラキラ? カッコいいキラキラ?」
「……可愛い。あのさ、ミコトちゃん、凄く可愛い。だからちょっと敷居が高いって云うか」
にや、と意地悪そうに、ミコトちゃんは口角を上げる。
「そっか。なら、良かった。いや、敷居が高いのは良くないんだけど。可愛いなら、良かった。嬉しい」
彼女は居座ることを決めたように、私の隣でグラスを傾ける。居心地悪そうにしていた友達が、一瞬私を睨んで、他の女の子たちと喋り始めた。
あーあ。もう、云い訳しても効かないな。中学校だったら、なんとなく裏切り者みたいな感じでハブられてるんだろうな。
でも、そういうのに固執するのって、馬鹿馬鹿しいと云うか、疲れるって云うか。
そうだ。私たちはもう、大人なんだ。
ミコトちゃんは隣で、彼氏を振った後みたいな気丈な顔で、オレンジのリップを引いた口角を上げる。そうするとそれが果物の断面みたいに、オレンジの小さな一粒みたいに、光る。
「『王子』って呼ばれるのさ、ホントはちょっと嫌だったんだ」
でもキャラってあったしさ、と、当時のショートヘアを思い出すように、ミコトちゃんはくしゃ、と頭の後ろの髪を揉んだ。
「だから少し、王子って呼んでたあの子たちが、苦手で。百田ちゃんたちのグループ? は、わたしをちゃんと名前で呼んでくれたから。ホントは、百田ちゃんたちの話してたアニメの話に入りたくて、読んでた素敵な絵の表紙の本も貸してもらいたかったけど。どう話して良いか、分からなかった」
「私もだよ。苦手っていうか、怖くて。一軍の子ってさ、言葉が強くて。ウザい、ダサいとか笑われたら、もう平穏な学校生活送れなくなるくらい、決定権持ってたもん」
「ふふ。今思えば、一五歳そこらの子供に、そんな権利ないのにね。ここは日本だし」
「ホント」
「……中学校卒業して、ようやく、そこから髪を伸ばしてね。でも高校は、メイク駄目で、大学でようやくお洒落できるようになって。出来るだけ底の低い靴を履いたけど、やっぱり去年までは『王子』だった」
ああ、そうか、と思った。ミコトちゃんがどうして宮部君と仲が良いのか、なんとなく、察する。
二人は、中学校の時、そんなに喋っていた記憶がない。どこかお互い距離を置いていたように見えた。どちらかと云うと、宮部君が。一軍の女の子に対して、遠慮しているように見えた。
「去年、進学先の飲み会で、たまたまヤマトと会ったんだ。最初はさ、全然分かんなかった。だって、昔はあんなに目がぱっちりしてて綺麗な子だったのに、ずーっと細めてるんだもん」
「確かにね」
気付けば、私はミコトちゃんの話に相槌ばかり打っていた。面倒くさがってるとかじゃなくて、元々、私は喋るより聞く方が好きだった。ミコトちゃんの、距離をあまり感じさせない、でも不快なほど近くもない話の距離感に、少しずつ好感を抱いていた。
「あの子、ずーっとわたしのこと、可愛いって云ってくれた。カッコいいじゃなくて、可愛いって。せっかくそんなに可愛いのに、わたしが可愛くなりたいって云うなら、王子様なんてもったいないって。『王子』って呪いを、あの子が馬鹿みたいに褒めて、解いてくれた」
目に浮かぶ。彼はきっと、そういう時は笑顔じゃなく、本当に真剣な顔で、云ったんだと思う。
「シャドウもリップも地味だったけど、好きな色にしたら可愛いって云ってくれた。男の子より高くなるからヒール履けないんだ、って云ったら、『隣で僕が同じ高さのヒールを履く』って云ってくれた。誰も、女の子の可愛いを否定する権利ないんだって」
だから今日も、踵の高いブーツを履いていたんだ。ミコトちゃんのために。
「なんか、宮部君が王子様みたいだね」
ミコトちゃんはちょっと言葉を止めて、王子様か、と呟く。
「うん、ホントだ。でもそんなに云って、本人は全然告白のつもりもないんだから、笑っちゃうよね」
「王子様なのに、女心には疎いんだ」
「奥手なんだろうね。あんなに大口叩いて、今日は帰っちゃうんだし。爪が甘いって云うか」
遠くを見つめるように憂うお姫様の表情は、国が傾くほど綺麗で、可愛くて。
だから、それは私が困らせたからかもしれない、とは云えなかった。
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