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11
神崎の資料作成を手伝うことを決めた時点で残業になるのは分かっていたので、柊太は実家に迎えをお願いしている。今日はそのまま実家に泊まるというので、涼は実家に顔を出してから家に帰った。
「……また暗い」
カーテンは開いたままだから、余計に暗く感じる。ビルやショッピングモールの明かりを遠目に見ながら、カーテンを閉める。そうして、いつになく花の香りに似た匂いがすることに気づいた。
「律?」
ちょっと横になりたい時、律はリビングの三人掛けソファにいることが多い。案の定、照明をつけるとそこには律が寝ていた――何故か、涼のシャツに包まりながら。テーブルに視線を移すと、ラスクのイメージ写真がプリントされた小箱が置かれていた。三つあり、そのうちの一つはクマの耳がついた可愛らしいデザインになっている。もしかしたら、土産として買ってきたのだろうか。
「――律、大丈夫か?」
青年の頬に触れると、自分よりも体温が高いのは分かる。手で触れているうちに頬をすり寄せられて、涼は微笑む己に気づいた。しかし、こうやって寝ているということは――もしかして、と訝しみ、律を起こす。青年はゆっくりと瞬きを繰り返し、ふわりとあくびをしてから大きな紫色の瞳で涼を見てきた。
「ごめ……おかえりなさい、茜さん」
「起こしてすまない。もしかして、抑制剤を飲んだのか?」
真剣な表情で律を覗き込むと、もともと赤みを帯びていた青年の顔が更に赤くなり、それから首を左右に振った。
「ごめん、もしかして匂う? そろそろかなっては思っていたんだけど……今、飲むから」
慌ててキッチンへ向かおうと動いた律の手首を、気づいたら掴んでいた。驚きでこちらを見上げてくる青年を、見つめ返す。それから自分の腕の中に抱き込んでしまうと、ほっとする感じがした。
「飲まなくていい」
涼が一言告げると、「でも」と青年が困り声を出した。大抵はこちらの意見を取り入れる柔軟性はあるのに、律には頑なな一面もある。
「……次の発情期が来たら、律と番いになりたい」
自身でもどう切り出せば良いかずっと悩んでいたのに、存外すんなりと言葉にできた。そこから、律がどう返してくるのか。緊張しながら待っていても、大きな瞳でこちらを見上げたまま、少しの間律は身動ぎ一つしなかった。
「……律?」
もしかして、律にとっては想定外のことだったのだろうか。涼としては、番いになることと籍を入れてパートナーになることは同義のつもりなのだが。青年の名前を呼ぶと、律はようやく目を瞬かせてから盛大に顔を赤くした。
「えっ、あ……つ、番い……!」
「他のアルファにとられる前に――俺の番いだと、証をつけたい」
ほっそりとした首筋に口づけを落とすと、花に似た香りが更に強まった気がした。愛撫を続けていると、「ん……」と律があえかな声を漏らす。そのままソファにもつれ込み、深く律の口腔を奪うと、自分でも驚くほどの凶暴さが身体を駆け巡っていった。
「――律」
怖がっていないだろうか。しかし、必死さを押し隠すことすら難しいくらい律に愛しさを覚えて、急激な感情の盛り上がりに飲み込まれそうになる。かろうじて名前を呼ぶと、律は色に濡れた眼差しでこちらを見てきた。
「……綺麗だな」
初めて言葉を交わした時から、ずっと綺麗だとは思っていたが。己に見せてくれるこの表情を、独り占めにしてしまいたいという衝動性が己を突き動かそうとしている。しかし、最初から無理やり身体を繋いで無理をさせたくもなくて、青年の柔らかな髪に触れながら口づけを落としているうちに、「……おれも、あかねさんのつがいになりたい……」と舌足らずな口ぶりでようやく青年は答えを返してくる。
「で、……でも、笑わないで聞いてほしいんだけど……。俺、本当に誰ともまだ、したことなくて。は……発情期くるまで、待っててくれる?」
「笑ったりしないよ。律の気持ちが整うまで、いくらでも待てると思う……たぶん」
たぶんって何?! と顔はまだ赤いままの律が上体を起こした。「冗談だ」と返すと、そうは見えないなと律が首を傾げてから笑いだす。
「そうだ、今日行った喫茶店のラスク、美味しいって聞いてお土産に買ってきたんだ。一人、一箱ずつ」
「このクマの耳がついたやつは柊太の分?」
そうそう、と律が笑いながら相槌を打つ。
「でも、茜さんがクマさんラスク食べたいなら、今こっそり食べちゃうのもありかもね」
「……ゴミ箱に捨てた箱が、万が一見つかって大泣きされたら大変だから、やめておこう」
最近の柊太は、以前よりも感情を素直に出してくることが増えた。その時の様子が目に浮かびそうで、涼が苦笑いをすると「……なるほど」と青年が神妙な面持ちで頷いてくる。まさしく今ここで、律と繋がりたい、番いになりたいという気持ちは――あるけれど。
「茜さん?」
「……予行練習だ」
歯を立てることなく律のうなじに口づけると、青年がくすぐったそうに身じろぐ。涼は己の熱が落ち着くまで、しばらくの間青年の身体を後ろから抱きしめるのだった。
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