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「なるほど。なかなかいい男じゃないか、茜さん」  うん、と俺が頷き返すと、友人の(かなで)が明るく笑った。  奏は俺と同じ、男性のオメガだ。俺よりも背は高いし、肩とかもしっかりしている。青紫色の瞳をしていなかったらオメガには見えないとよく言われるタイプだ。俺も努力しなかった訳ではないけれど、筋力の付き方にはあまりオメガ性は関係ないのかもしれない。  奏は以前から勤めていた飲食店の店長を任されていて、その事務を俺に委託してくれている。  ほとんど従兄弟の光だけが話し相手だった俺の前に、高校入学と共に現れたのが奏だった。奏は「宵待の顔が好き」と会うなり言い放ち、光とワイワイ毎日のようにやりあっていた。俺にも積極的に話しかけてくれたし、面倒見の良さにいつも助けられてきた。  光同様、前の夫と離婚した頃は心配をかけてしまったので、茜さんのことを話せたのは昨日のことだ。最初は驚きで固まり、それから茜という人間は大丈夫なのかと訝しみ、俺が頑張って茜さんについて語り続け、ようやく納得といった感じで昨日は終わっている。  茜さんと話し合い、抑制剤なしで発情期をそのまま迎えることを決めた。それは良いけれど、抑制剤を飲み続けてきた俺が発情期をまともに迎えるなんて久しぶりだ。茜さんは昨日に引き続いて残業になるらしく、柊太くんは今日も茜さんの実家に泊まることになる。  何となく不安になり、茜さんに話してから奏に連絡を取ったところ、友人は急いで茜家に駆け付けてきてくれた。  ちょうど出勤前だった茜さんと慌ただしく挨拶を交わした奏は、茜さんが家を出た後から夕方の今まで、俺を見る時はニヤニヤとしている。日中はほとんど仕事を先取りで取り組んだので、お互いに気づいたら夕方というありさまだ。 「光のやつが、訳分かんないメールだのなんだの寄こすからさ、身構えていたんだけどね。オメガ相手だと、でかい態度に出るアルファって多いしさ。律は世間知らずなところがあるのに箱の蓋が開いている箱入り息子だから、頑張って心配していたのに……一見取っつきにくそうだけど、丁寧な人だね」 「ひかりちゃん、奏に連絡していたのか! うちの親に、変なこととか言ってないといいけど」  それは大丈夫じゃないかな、と奏が苦笑する。 「多分だけど、光も茜さんに会っているんでしょう? それがショックだったみたいだ。同じアルファでも、相手が上だったら自分はベータになっちゃうわけ、これが群れだとしたら」 「うん……? 何の話?」  オオカミの群れの話、と楽しんでいる声が返ってきた。 「つまり、光は茜さんに負けたって思っているんじゃないかな。光だけじゃないかもしれないけど、自分より格上の相手ってあまりいないでしょ、アルファ様たちって。だから、同じアルファでも自分より能力だとか、いろいろ上をいっているアルファっていう存在に打たれ弱いみたい。そんな自分が恥ずかしいから、律にも連絡できていないと見た」 「確かに……。いつもなら土日のどっちかには、元気かってメッセージ来ていたのに……なんにも音沙汰がない」  ほらほら、と奏がニヤリとする。    「ところで、この家って小さい子がいるのか? なんか、あちこちにオモチャが……まさか律、僕に内緒で……!」 「俺の子どもじゃないよ、奏だって知っているくせに。茜さんのお子さん、すごく可愛いんだ。柊太くんって名前で」  友人はラグマットの上に直接座って足を伸ばしている。友人の青紫色の瞳が、興味津々にこちらを見てくるのを見返してから、俺は抱きかかえているクッションに顔を埋めた。  抑制剤を飲んでいないのに、眠い上に何となく体が気怠い。これから自分が理性を失って、ただのけだものになるんじゃないか、という恐怖。そして、発情期の予兆とセットで思い出されるのが、前の夫の言葉だ。前の夫は、一切俺を――男の身体をしたオメガを、受け付けなかった。俺が男だと知っていて結婚したのに。 「……気持ち悪いって、茜さんにも言われたら……どうしよう」  ずっと、心の奥底で燻ぶって来たものは一向に消えてくれない。  間違いを防ぐために、結婚してから初めて迎えた発情期で、相手を受け入れるはずだった。けれど、前の夫は発情期で理性を失いかけていた俺を見て、『気持ち悪い』と言い放った。  自分の、発情期を迎えた際の姿は醜いのだ。同じくベッドで相手を受け入れるその際になって、茜さんからも同じことを言われたら――もう、完全に立ち直れないだろう。そんな予感がする。 「はあ? だからさあ、発情期の可愛いオメガ妻を目の前にして萎えるとか、絶っっっ対あいつはアルファじゃないって!」 「……胸を作ってから出直してこいみたいに言われたのは、さすがに言いがかりだなって思えたんだけどさ」   いやいやいや、と奏は鼻息を荒くした。 「ベータ性の連中ですら、発情期のオメガを目の前にしたら、目がハートマークになるっていうのに。律は、絶対に気持ち悪くなんかない! 修学旅行でばっちり裸を見たこの僕が保証するし、なんなら僕は律のこと抱ける。……あいつさあ、あの頃にはもう番い持ちだったんだろうって、今になって思うんだ。番いがいるアルファは、発情期のオメガに惹かれるどころか、うざったく思うらしいから。僕の番いの話だけどね」 「ああ、守正さん? そういえばしばらく会ってなかったな。元気?」  まあ、相変わらずかな、と友人がすました顔をするのを見ながら、俺はクッションから顔を離した。奏のように魅力のある性格だったら違ったのだろうか、と思うことは未だに多い。俺は、自分がオメガであるということくらいで、他には何の特徴もなく、面白みもない人間なのだ。  そんな風に自分のことを考えてきた中で、前の夫に正々堂々と浮気されたのはかなり堪えた。とにかく、発情期がなくなれば良いのかと思い、抑制剤を飲み続けたけれど、前の夫との結婚生活で残ったのは、抑制剤を飲むという習慣だけだった。  奏との会話が途切れたのを知っていたかのようなタイミングで、メッセージの着信音が鳴った。今から帰る……茜さんからだ。 「……茜さん、仕事早めに終わったみたい。明日は、お休みにできたって」 「おっ、良かったじゃない! なになに、二人でデート?」  普段抑制剤で止めているせいもあって感覚は鈍っているけれど、予兆が出てから数日後にヒートは起こる。明日茜さんが休みなら、もしかして柊太くんも一旦帰ってくるかもしれない。  昨日のラスクはまだあるけれど、シュクレのプリンがあったらもっと喜んでくれるかも。  俺がその話をすると、奏は「相変わらずの甘党め」と眉根を寄せた。
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