08

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「――どちら様でしょうか」 「私はこの家の者ですけど!」  すごい。かなりご立腹の模様だ。 「……俺も、この家の者なのですが」 「はあ!? あんた、誰よ! いい加減、玄関開けなさいよ。柊太を迎えに来たんだから! さっき柊太の声が聞こえたわ、とっとと出しなさい!」  こちらこそ、あんた誰なのだが。まだ対面すらしていないのに、凄まじい剣幕。できるだけ、人には優しくありたいのだけれど。 「柊太くんは実家に行っているので、今はいません。俺は留守番なので、知らない人がいるのに鍵を開ける訳にはいきません。主人が帰ってきたら確認しますから、お引き取りください」  直接会うとこじれるパターンな気がする。とにかくモニターだけで帰ってもらおうと頑張っていたが、「涼に会う必要はないわ!」と女性がまくし立ててきた。  ……茜さんのこと、下の名前で呼ぶのか。 「とにかく、玄関で騒がれてもご近所さんに迷惑なので」  実は鍵を持っていて、乗り込んできた時に備えて武器は必要だろうか。情けないが、腕力にはまったく自信がないのだ。周囲を見回しても武器になる物が見当たらず、ここはフライパンあたりでいくしかないか、と俺が思案してるうちにガンガンと扉を女性が叩き始めた。これは、いよいよまずい。覚悟を決めてフライパンとレッドの剣を片手ずつに持って玄関へと向かう途中で、まだ通話が切れていなかったモニターから「何をしている」と低い声が、聞こえてきた。 (茜さんだ……!)  パパレッド、参上。とりあえずフライパンと剣は靴箱の上に置いて玄関の扉を開けると、先ほどまでの勢いが嘘かと思う程に大人しくなった女性がいた。本性を隠すのがお上手らしい。 「あっ、さっきのふざけた男は、あんた……なの?」  ひょこりと顔を覗かせた瞬間に女性が憤怒の表情に――なるかと思いきや、ひどく驚いた顔で俺を見てきた。 「……うそ。すごく可愛いじゃない!」 「夏野さん。あなたと我が家は、もう縁を切っている。柊太にも二度と近づかないと、念書を認めているはずだが」  やだ、だってと女性が俺を見ながら、突然身体をくねらせ始めた。  戦う覚悟を持って出てきたのに、あまりの相手の変わりように俺の方が泣きたくなる。茜さんは茜さんで、目が怒っている。そして俺と女性の間に長躯をねじ込ませると、俺の身体はすっぽりと茜さんの影に隠れて、ほっとした。 「保育園にも、自分が母親だと言って無理やり連れ出そうとしたらしいな。これ以上付きまとうなら、こちらもまた考えなければならないが」 「なによ、種無しのくせに! しゅうたちゃーん、ママと一緒にかえりま……きゃあ!!」  小さな、けれど激しい足音と共に俺の傍を小さな影が走り抜けていき、ぴゅう、と水鉄砲が発射された。いや、水鉄砲なんて可愛いものじゃないか。プールで撃ち合いをする時の、あの水圧が激しめのやつだ。 「ぜったい、いっしょにいかない!!」  怒りながら叫ぶ、幼い声。その頭には鬼のお面がくっついている。止めとばかりにもう一発発射され、「ふざっけんな!!」と女性がキレている。子ども相手に掴みかかろうとしてきたので俺が柊太くんの前に出てはみたが、茜さんが今度も盾になった。 「改めて、警察署で話し合った方が良さそうだ。ご両親とも、また改めて話し合う必要が――」 「なによっ! わざわざ迎えに来てあげたのに……!」  興奮した女性の声。それに対して、声を出さずに唇を噛み締めている柊太くんを抱きしめると、ぎゅう、と小さな手が俺の服を握りしめてくる。 「――出ていけ。二度と、俺たちの前に現れるな」 「そっちこそ、私に会いたいとか言って泣きついてきても、知らないから!」  低い声で、静かに警告してから茜さんが携帯電話を操作しようとしたのを見ると、女性は捨て台詞を吐いてささっと走り去っていった。茜さんが「中に入ろう」と言って、玄関の中に俺たちを押し込む。柊太くんに声をかけようとしたところで、今にも泣きそうなのに、必死に我慢している柊太くんの顔を見た。 「柊太くん。思いっきり泣くと、すっきりするよ」 「かっこうわるく、ないの……?」   もちろん、と俺は真面目な顔で返す。 「泣いた分だけ、嫌な気持ちが出ていくから。とっても、大事なんだぞ。ここは柊太くんの家なんだから、いくら泣いたっていいんだよ」 「……りつちゃんが、つれていかれると、おもったの……!」  そう言ってから、柊太くんは声を出して泣き始めた。あれ、なんで俺? と思いつつ、小さな背中をさすってみる。少しずつ泣き声はしゃくりあげるものから寝息に変わった。静かになり、ぐっと俺に寄りかかる重みが増す。玄関先で立ち膝のまま抱きしめていたので、ここからどうやって動こうかと悩んでいると、茜さんが軽々と柊太くんを抱え上げる。寝ている子は重いのに、さすが手馴れている。すぐに目が覚めるだろうからと、リビングのカーペットの上に横にすると、タオルケットをお腹の上にかけている。  その間に、俺は帰ってきた茜さんの分のコーヒーとプリンをテーブルに出す。食べないと、もったいない。  柊太くんを寝かせて落ち着いた頃合いを見計らっていたけれど、茜さんは三人掛けのソファに座ると、深く息を出した。 「余計なこと、しちゃったよね。勝手に出ちゃったりとか……コーヒーとプリン、どうぞ」 「余計なことは、なにも。こちらこそ、巻き込んでしまって申し訳ない……驚いただろう。」  茜さんの顔、疲れている。手招きされて茜さんの隣に座ると、茜さんに抱きしめられた。少し悩んで、抱きしめ返しながら、必死に頭を動かしつつ口を開いた。 「俺、事情も知らないけど……あの人、柊太くんに近づけちゃダメなんじゃないかなって。子どもいるの分かっているのにキレてたし。柊太くんが大丈夫か心配だったけど、さっき泣けたのを見て安心しちゃった。頭ぶつけた時とかもさ、泣けば大丈夫、みたいなのあるしさ。……説明下手でごめん。うまく言えないけど」  俺はあまり人と接して来なかったのもあって、説明がものすごく苦手だ。ちゃんと伝わるだろうか、と不安になりながらも話していると、ようやく茜さんが視線を上げた。男前が目の前に現れて緊張する。毎日見ているはずなのに。 「あいつは、俺が一人で出かけたのを見計らってやって来たのだろう。親からも見放されたらしいと聞いたから、柊太の親権を取り戻して手当の類をもらおうと考えたのかもしれない。自分から置き去りにした柊太に近づこうとした上に、あいつが律を見て、途端に媚び始めたのを見たら怒りで目の前が真っ白になった。あれも、アルファだから」 「そうそう、態度急変したからびっくりした。あっちもまさか、茜さんの家からオメガが出てくるなんて思わなかったんじゃないかな、たぶん」  そう返すと、薄鳶色の瞳が俺をじっと見てくる。それから無言で身体を離すと、俺の髪を優しい手つきで撫でてきた。それから、「話しをしても、良いだろうか」と断ってきたので、俺も頷き返す。 「元妻は、柊太が一歳を過ぎた頃、ある日突然家を出ていった。買い物に行ってくるからと、小さなバッグだけを持って。柊太もいつも通り、笑いながらバイバイをしたのに母親が帰って来なくなって、それ以来、その頃のことはもう記憶にないはずなのに、頑なにバイバイをすることはしなくなった」  そういえば、いってきますを言うことはあっても、柊太くんからバイバイを聞いたことはない。まさかそんな理由があったとは……俺まで泣きそうになって、唇を噛み締める。 「彼女が家を出ていった後、離婚届が送りつけられてきた。俺とは所詮家同士の結婚だった、自分の人生を生き直したいという手紙までご丁寧についていた。柊太への仕打ちは許せなくても、離婚を認めざるを得なくなった。だが、少ししてあの女は、実家で遊んでいた柊太を連れ去ったんだ」  茜さんの話し方は淡々としているのに、俺の中の緊張感は増してくる。何か、握るものが欲しい。俺はすぐ傍にあったテイッシュボックスを抱きしめてみた。 「元妻が心を入れ替え、柊太が母親を恋しく想って、それで幸せになれるのならと自分を納得させようともした。だが、柊太のいない部屋にいると、夜泣きする柊太をあやしたり、中々眠れないのを外に連れ出して、小さな柊太を背負いながら夜道を歩いたりしたことを思い出していって――いてもたってもいられなくなった。本当に柊太が幸せなのかをせめて確認しようと探して……あの女が、男と暮らしているアパートを見つけた。寒い日に、薄着の柊太を平気で外に締め出していたよ。柊太は、それでも泣くことすらしていなかった」  柊太くんが茜さんの姿を見つけた時のことを、想像してみる。俺だったらボロ泣きしそうだけど、柊太くんは笑ったのかもしれない。 「柊太に折檻の痕があったことでこちらに引き取ることはできたが、検査やら何やらを散々して、俺はアルファ性の人間との間に子を成すことができないことが分かった。だが、生まれてからずっと我が子と思ってきたのに、今さら血が繋がっていないからと言われても引き下がるわけにはいかなかった。戸籍しか根拠がないとしても、俺の子だ」  俺は抱きしめていたテイッシュボックスからティッシュを取り出し、ボロボロと出てくる涙と鼻水を拭いているのに一向に止まらない。なんなんだあの女、よくも平気な顔して茜家に顔を出せたな。可愛い柊太くんを虐待していたのか、あいつ。  そして、柊太くんがとても聞き分けよくて、いつもずっとニコニコしている理由が分かった気がして、とても切なくなった。  必死に好かれようとしているからだ。自分を庇護してくれるはずの存在に、置き去りにされて――酷いことをされたから。 「もっと早い段階で話すつもりだったのに、俺が想定していた以上に柊太が律に懐いているから躊躇してしまっていた。――狡いな、俺は」  茜さんと柊太くんが抱えていそうな事情は、何となくは分かっていたんだ。でも、思っていた以上に二人とも辛い道を辿っていて。俺がもう、過去の二人に出来ることはなにもないかもしれないけれど。 「……お、おれ……! おれが、これからのふたりを、まもるからああああ!!」  ティッシュでは足りず、ひよこ柄のフェイスタオルを握りしめながら俺に言えたのはそれだけだ。茜さんは驚いた顔で俺を見てきたけれど、少ししてから返ってきたのは「……ありがとう」という穏やかな声と、俺を再び抱きしめる力強い腕だった。
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