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09
「りつちゃん、おしごといそがしい?」
鬼母襲撃事件からすっかり落ち着きを取り戻したこの頃。
今日も元気よく帰ってきた柊太くんを見て、もうそんな時間かと俺は大きく伸びをした。俺は友人や実家がやっている会社から、在宅でもできる仕事を融通してもらっている。
「おかえりなさい、柊太くん。もう仕事終わらせるから、大丈夫だよ」
柊太くんが俺の部屋までやって来るのはめずらしい。相変わらず常にニコニコしている子だけれど、今日はめずらしく緊張した面持ちをしていた。
「……あのね、ほいくえんでね、えをかいたの」
そっと差し出される、水色の画用紙。そこにはカエルらしい緑色の可愛い生き物や、傘をかぶった柊太くんらしい小さな男の子と、その子と手を繋いでいる男の人が描かれている。小さな子が描いた物だから、不思議なところから手足が生えていたりはするけれど、絵の中の柊太くんもニコニコとしている。その隣で、同じくニコニコとしている男の人の目は――紫色に塗られていた。
「もしかして、俺?」
紫の目の男の人を指さしながら尋ねると、緊張した面持ちで柊太くんが頷いた。どうしよう、お父さんそっちのけで俺がお隣ポジションだ。茜さんに嫉妬されそう……と思いつつ、顔がにやけるのを止められない。
「こういう風に描いてもらえたのなんて、初めてだ! 嬉しいなあ。この絵、俺の部屋に飾ってもいい?」
まだ絵をもらえるとも決まっていないのに、とても嬉しくて俺自身も笑顔になる。そこでようやく、柊太くんもはにかみながら笑みを浮かべた。そうか、俺の反応にドキドキしていたんだ。
「このあいだ、りつちゃんとあめのひ、ふたりでおでかけしたの……たのしかったから。ぷれぜんと」
「やった、ありがとう! これは額縁に入れてちゃんと飾らなきゃ」
明日あたり、早速額縁を買って来ようと呟いていると、柊太くんが、俺の座っている仕事用の椅子のあたりをちらちらと見ている。そういえば、部屋に顔を出すことはあっても、ここまで中に入ったことがないからもの珍しいのかもしれない。俺が「一緒に座る?」と尋ねると、満面の笑顔で俺の膝のところによじ登ってきた。それから、また俯き加減になってもじもじとしている。
「柊太くん。もしかして何か、隠し事でもあるのかな?」
「な、ないよ!!」
冗談めかして尋ねると、慌ててこちらを小さな顔が見上げてくる。血は繋がっていないと言うけれど、咄嗟の表情だったり、眼差しだったり、茜さんに似ているなあと思ったところで「……りつちゃんは、ぼくのぱぱのこと、すき?」と俺にぽつり、尋ねてきた。
「もちろん、大好きだよ」
「ほんとう?」
唐突過ぎる、ストレートな質問に、俺は真面目に頷き返した。それから少し表情を緩めて、「柊太くんのこともね」と続ける。
「じゃあ、これからもずっと、いっしょ?」
「柊太くんと、柊太くんパパの邪魔にならないなら、一緒にいたいなあ」
そう返すと、柊太くんの表情が明るくなった。ひょいと俺の膝から飛び降りると、「ぱぱーーー!」と大きな声を上げながら俺の部屋を出ていく。
「りつちゃん、ぼくとぱぱのこと、だいすきだってーーー!!」
それから、階段をかけ下りていく音と共に聞こえてきた声に、俺は目をひん剥きそうになった。そういえば、好きとかなんとか、茜さんとそういう話をしたことは、まだなかった気がする。茜さんがうっかり不機嫌になっていないか心配になって俺も柊太くんの後を追いかけていくと、柊太くんにじゃれつかれている茜さんと、早々に遭遇してしまった。
「りつちゃんは、ぱぱのこと、だいすきだもんね! だいすきっていったもんね!」
「う……うん、言いました。あ、あの……柊太くんも、ね?」
本人を前にして更に言い募る柊太くんの言葉に、俺は更に気恥ずかしくなり、項垂れてしまう。
「ぱぱもりつちゃんのこと、だいすきだもんねー」
「そうだね。……大好きだよ」
その茜さんの一言に、俺はつい顔を上げてしまう。「じゃあ、これからもずっといっしょだね」と笑った柊太くんを、茜さんが両脇に手を入れて抱え上げる。それからようやく、俺を見てきたのだけれど――茜さんの顔まで赤くなっている気がして、恐る恐るチラ見をしていた俺は目を瞬かせた。
「あ、ぱぱにも、えをみせてあげるんだった!」
それは、さっきの絵のことだろうか。身をよじらせて柊太くんは茜さんに床に下ろしてもらうと、階段をまた駆けていく。大人二人、取り残されてしまった。気まずくなりそうで不安になっていると、茜さんの方から口を開いた。
「……実家で、いつ結婚する予定なのか聞かれたのを、柊太も聞いていたからかもしれない」
「なるほど」
柊太くんなりに、色々確認をしたかったということだろうか。そういえば、俺からもう少し落ち着いてから入籍を考えようとお願いしていたせいで、実は結婚の話はまだ進んでいなかった。
「……自分が律ちゃんに聞いてくるからと。……驚かせてしまって、すまない」
茜さんが照れたように笑った。そんな風に、想ってもらえているとは思っても見なかったから――まるで、自分が必要だと言われているような錯覚に陥りそうになる。
「……入籍の話を、具体的に進めても良いだろうか」
穏やかな、茜さんの声。俺ができたのは、「ドウシマショウ」と上擦った声で返すことくらいだった。
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