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序章5 疑問と苦痛
奇妙な共同生活を始めて三日目のことである。佐竹が外出中の時だ。
「あの、有希さん」
雑誌を読んでいた有希は返事をすることはなく顔だけ紅葉の方へ振り向いた。
「おじさんって仕事しているのかな?」
そんな疑問が出たのは買い出し以外、基本家にいることから出たものである。紅葉はここへ来て日が浅いからただの長期休みだと思っていたが、それも怪しいと思っていた。
「さぁ。仕事をしているようには見えないわね」
「じゃ、生活費はどうしているの?」
「さぁ。どうなんだろうね」
「さぁって。疑問に思わないの?」
「思わないこともないけど、変な詮索はするだけ無駄」
「そういうものなのかな」
何も知らないのかと言いたくなったが有希は佐竹のことに全く興味のない様子である。自分の生活が守られていれば後はどうでもいいのだろう。それに対し、紅葉は自分の置かれた状況に不安を抱いている様子だ。確かに元の生活に不安があり、ここで生活をすることになったがどことなく身の危険を感じるのだ。自分の生活を支える存在である佐竹のことを何も知らないことがまず大きな不安だ。それに学校に行かず勉強もしない生活に対しても不安が残る。
「することがないならゲームでもすれば? 好きなんでしょ?」
「どうしてそれを?」
「あの人がやっていたゲームの相手があなたでしょ。だから」
「あ、うん。でも、勝手に弄って怒られないかな?」
「大丈夫でしょ。大抵のことは許してくれる。帰りたいって言ったら怒るけどね」
「言ったことあるの?」
「うん。退屈だったから。そしたら大激怒。欲しいものがあれば言えば買ってくれるよ。それで暇つぶしになるし」
「そうなんだ」
紅葉はここから逃げ出すことは考えないようにした。どのみち居場所はない。
試しに紅葉は本当に欲しいものを買ってくれるのかおねだりすることにした。
「あの、おじさん。欲しいものがあるんだけど」
「どうしたの? 言ってごらん」
「その、音楽プレーヤー。気晴らしに音楽聴きたいんだよね」
遠慮気味に言う紅葉に対して佐竹は即答で「良いよ」と答えた。
「どれがいい? 選んで良いよ」
佐竹はスマートフォンから通販サイトのページを開き、紅葉に選ばせた。
本当に買ってくれるとは思わなかった紅葉は驚きと感動の感情が入り混じっていた。
母親と暮らしている時は欲しい物は誕生日やクリスマスなど特別な時にしか買ってくれない。対してなんでもないタイミングで欲しいものが手に入った衝撃は大きい。
「ね? 言ったでしょ。買ってくれるって」
有希は鼻で笑いながら言う。
「うん。でも、本当にいいのかな?」
「何が?」
「こんな簡単に買ってくれることは今までなかったから」
「あの人が好きで買ってくれるんだからいいんじゃない?」
「そうなのかな」
「考えすぎ。素直になりなさいよ」
「うん。そうだね」
佐竹の機嫌さえ損ねなければ安定的な生活が保たれる。
機嫌さえ損ねなければ。
そう言い聞かせて紅葉はひっそりとこの隠れ家で暮らす。
しかし、そんなある時である。
紅葉が家出して佐竹の家で暮らすようになってから一週間。
暇つぶしにテレビを付けた時である。たまたま合わせた画面にはあるニュース番組が報道されていた。
「続いてのニュースです。先日、行方不明になった少女に関するニュースです。行方不明になったのは甘栗紅葉さん。十二歳。少女は自宅で留守の時に居なくなったと母親に証言され、現在、警察は懸命の捜索を行なわれております。以前と手掛かりがなく……」
自分のことを報道されて紅葉はテレビ画面を直視していた。フルネームと顔写真がバッチリ映し出されているのだ。このような形で大ごとになっていることはたった今、知ったのである。
「これ、あんたでしょ。ニュースになっているわね」
有希はお菓子を齧りながら他人事のように言う。目の前に本人がいるにも関わらず無関心だ。その姿は清々しく思える。
「お待たせ。有希ちゃん。紅葉ちゃん。ご飯持ってきたよ」
気分良く部屋に入ってきた佐竹だったが、テレビのニュースを見て驚愕した。
状況を把握した佐竹はすぐにテレビの電源をリモコンで消した。そして真っ先に紅葉の元に向かい言い放つ。
「分かっているだろうな。帰りたいとか通報とかしたらどうなるか」
完全に我を忘れた佐竹は豹変したように紅葉に脅しをかけた。
「わ、分かっているよ。何もしないし、ずっとここにいるよ。私」
「そうか。ならいいんだよ」
佐竹は笑顔になり、距離を置く。
突然のことに紅葉の心臓が早く動いていた。殺されると本気で思った。
紅葉は佐竹の機嫌を取ることだけを考えるようになった。
この時の紅葉はどちらかと言えば生き残る方法を考えていた。どのようにして佐竹と共に安全に暮らしていけるか。死にたくない。殺されたくない。
次第に紅葉は有希の行動を観察するようになっていた。
有希は佐竹の家で既に半年以上暮らしている。つまり生活を続けていく知恵を持ち合わせているはずだと考えたのだ。
有希は基本、無口で大人しい。ずっと本や雑誌を読んでいる印象だ。佐竹に対する接し方も基本受け身で自分から何かを要求することは少ない。それがここで生活する為の知恵だと紅葉は考えた。そこから紅葉は自分の感情を押し殺し、本を読むかゲームをするかして紅葉の一日を過ごした。すると佐竹も豹変することはなくなり、何でもない生活をすることができた。
とは言うもののこの生活をいつまで続ければいいのか終わりのない生活に不安を抱く。
「有希さん。外に出てみない?」
「どうして?」
「ずっと家にいると身体によくないよ。たまには外に出て運動しないと健康に悪いと思うんだけど」
「行きたいなら一人で行けば?」
「でも一人だと不安だし」
「私を巻き込まないでよ。あの人に見つかったら何をされるか分かったものじゃない」
「分かったよ。じゃ、一人で行くから。告げ口しないでね」
「うん。何も言わないわよ」
佐竹が外出した直後だったので三十分くらいの外出なら大丈夫だろうと思っての行動だった。たまには思いっきり走って汗を掻きたい。そう思って扉に手を伸ばした時に扉が開いた。そこには佐竹の姿が立ちふさがっていたのだ。
さっき出かけたはずの佐竹がどうして戻って来ていたのか疑問を抱いている以前に紅葉は恐怖を感じた。
「あ、わわわ」と紅葉は声にならない感情になっていた。
そう、佐竹は財布を忘れたことに気付き、家に戻ってきたのだ。まさに最悪のタイミングの鉢合わせである。
「何をしているの?」
「ちょっと散歩をしようかと。最近、運動していなかったから」
その時である。紅葉は佐竹の強い力で押し倒されたのだ。その反動で紅葉は後方の壁に激突し、背中を強く打った。
「ガハッ!」
「誰が出ていいって言った? えぇ?」
「ご、ごめんなさい。でも、犬でも散歩は必要だし、たまには運動しないと」
「そんなの家の中で適当に動き回れば済むだろう。もし外で誰かに見つかったらどうする? えぇ?」
佐竹は紅葉の存在を見つかることに酷く恐れていた。当然、佐竹には誘拐の自覚はあるが故の行動だ。佐竹の頭の隅には常に警察の存在がチラついている。そんな事情を知らない紅葉は訳がわからなかった。
「でも」
「でもじゃない」
次の瞬間だった。紅葉の腹部目掛けて足蹴りが飛んで来たのだ。
「グハッ!」
強い痛みに耐えられず、紅葉は胃の中の物を吐き出してしまった。今まで感じたことのない痛みである。全身の力が一気に抜けて床に転げ落ちた。
「悪い子だな。君は。二度とこのようなことがないように躾が必要だな」
ナワナワと震える紅葉に佐竹は問答無用で暴力を振るわれる。
無抵抗にも関わらず、佐竹に手加減の概念はない。助けを求めようと声を出そうとしたが、恐怖で言葉にならない。
それから紅葉は暴力を振るわれ、痛みに耐えきれず意識を失ってしまった。
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