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02 矛盾する呪い
「こわい事件ですね……」
病院廊下を歩く、黒セーラー服の背中に声を投げかける。先生。わたしたちのお師匠さま。
「そうだな。目が見えなくなるというのは厄介だ。耳にしか頼れなくなる。ああ面倒だ」
「面倒だ……って、まるで目が見えなくても対処できる風ですけど」
「なんだアユミ、できないとでも思ってるのか?」
いっそキョトンとした顔で見返される。どこまで冗談で本気なのかまったく分からない。それもそのはず、この先生、女子高校生の見た目に反して日本刀一本で軍艦でも沈めかねない異次元の強さなのだ。縁条市最強。あざなは『七式の魔女』。
「……だが、目的はなんだ? 目を見えなくさせる。意味がわからないな……」
考え込む先生に、いつでも気だるそうな羽村くんがぶっきらぼうに返答した。
「そりゃ、目隠ししたいんじゃないですか? そういう願望が具現化した。分かりやすいと思いますけどね」
まるで今晩の献立でも考えるように、羽村くんは変わらないトーンで告げる。
「苦痛憎悪絶望渇望、それらいきすぎた人間の負の感情は現実を捻じ曲げる”呪い”となって具現化する。先生がいつも言ってることじゃないですか」
現実を歪め狂わせる幻想。
異常現象。
「――”呪い”だ。犯人は”呪い”を使って一般人を襲ってる。まさに俺たち”狩人”の出番ってわけですね。だからあの刑事も俺たちを呼んだんでしょう?」
縁条市所属・異常現象狩り、”狩人”。それがわたしたちの裏の肩書だ。
今回は、これは異常現象の仕業であると睨んだ刑事さんの応援要請を受け、事情聴取に立ち会ったわけ。
そこで何故か、先生がじとりと羽村くんを睨んだ。
「…………」
「な、なんですか。俺の顔にハエなんて止まってないから、日本刀振り回さないでくださいね、病院で」
「少年。オレはそういう当然の知識の話をしてるんじゃない」
「はい?」
やれやれ、と先生は自販機の前で足を止め、肩をすくめてみせる。
「呪いは、願望だ。願望には動機がある。人間的な理由がある。それが今回は、失明させる呪いなんだぞ? まったく意味が分からないじゃないか」
「はぁ……そりゃ失明させたかったからなんじゃないですか?」
「だからそこだ。なぜ、失明させたいなんて考える? そんなことして何の得があるっていうんだ」
「――――ああなるほど。確かに……」
確かに、意味が――目的が分からない。誰かが視力を失うことで、一体何の利益があるっていうんだろう。ましてや、
「そっか。そういえば、たしか犯人は――」
「ああ。被害者に、親を殺す現場を見せつけた。」
それは矛盾だ。
あまりにも矛盾している。
「見せたくない、という感情が原因なら筋が通るさ。隠したいから視力を奪う。見られたくないから失明しろ。単純な話だ。だが、この犯人は何だ? 逆に、呪いを解いて見せつけているじゃないか。一体何がしたい。意味が分からん。まったくもって、理屈が通っていないんだよ」
「……確かに。どういう感情がそんな呪いを生んだのか、そしてどういう理由でその真逆の行動を取るのか、感情と行動が結びつきませんね」
もんもんと三人で頭を捻る。考えても考えても答えが出ない。
「――――よし、保留だ。忘れることにする」
あっけらかんと言い放ち、黒のスカートを翻して先生は自販機に小銭を投入するのだった。羽村くんが半眼になる。
「いいんですか。そんなんで」
「いいに決まっている。答えが出ない。理由が分からない。分からないものはしょうがない」
「しょうがないっつったって……」
「いまある材料でそれ以上考えても答えが出ないのなら、それは材料が不足しているってことだ。よっていま考えても無駄だ。ただの徒労。そんなことより、オレはそろそろ帰って一休みしたい」
そう言って、先生は眠そうにあくびした。
「昨日の夜から働き詰めなんだぞ。ふざけるなまったく。それなのに、あの刑事から突然の呼び出しだ。だいたい、あんなのは資料で十分な内容じゃないか。警察は無碍にしづらいから来てやったが、犯人探しのヒントにもなりやしない」
「ええと……じゃあ肝心の犯人探しは」
「無駄だ。手間だ。帰るぞ寝るぞ。眠いときに働いたって非効率なんだよ。残業なんて無駄だ。帰れ、死んだように眠れ。目が覚めてから考えろ。仕事なんてものは二の次だ。健康が優先する。なんたって取り返しがつかないからな」
「ああ……さいですか。じゃ俺たちも帰りますね」
「おまえたちは働け。阿呆が、なんのための狩人だこのたわけ。世の平和はどうするつもりなんだ」
「………………」
相変わらずめちゃくちゃだ。歩く横暴のかたまりこと先生は、早々に踵を返して去っていってしまう。
「じゃーな。何か進展があればメールで送れ。メールで。電子文書で。間違っても非番に電話なんてしてくるなよ、急ぎなら雪音に連絡しろ。非番に電話してくるようなクソ非常識人には草でも食わせておけ。じゃ、おつかれ。」
日本刀のような鋭利さ。ずばずばいろんなものをぶった切っていく。
「……なぁアユミ。あれ、刑事から逃げてるよな」
「だね。話すのが面倒だったんだよきっと」
「俺たちもとっとと逃げよう。病院にいたら、『あの黒セーラーはどこへ行った!』とか怒鳴られかねないからな」
体制上、狩人と警察は協力関係だ。けれどそれはあくまで組織同士の停戦協定であって、現場の人間たちが仲良くやっているとは限らない。わたしたちは、早足で病院をあとにする。
「しっかし……本当、気分の悪い事件だよな。呪いの内容まで含めて、犯人は一体何がしたいんだ?」
「分からないね。被害者さん――花村さんだっけ、本当に苦しそうだった」
目の前で家族を順番に殺される。想像しただけで、陰惨な気分になってくる。
「なんとかしよう、絶対に。それが俺たち狩人の役割だ。だろ?」
そう、明るく言った羽村くんの後ろの窓ガラスに、おそろしい鬼の影が見えた気がした。
「…………」
「ん? どうかしたかアユミ」
「……なんでも」
少し前の事件での出来事がよぎる。地下駐車場で、大事なひとの血に両手を濡らして慟哭する羽村くんの姿。この世のすべてを憎んでも足りないほどの絶望。あの日、羽村くんは初めて狩人として、人を殺したんだった。
「………」
いまも仮死状態にある、あの人はきっと二度と目覚めることはない。ただ緩慢に、肉体まで死んでいくだけだ。漫画のように、彼女が復活して味方してくれるなんてこともない。現実に奇跡は起きないのだ。少しずつ、肉体も衰弱しているらしい。
「なぁアユミ。ずっと気になってたんだが」
「え?」
隣を歩く羽村くんは、平気そうに見える。あんな出来事のあとに平静を装えるなんて、よほどの苦労があるに違いないのに。
「……大丈夫なのかよ、アユミは。」
「何の話?」
「前の、ショッピングモールの事件の時とか……それ以外の時も、ずっと調子が悪そうだ」
「……えっと」
痛いところを突いてくる。さすが、相方の目はごまかせなかったらしい。
「戦いの時――たまに、アユミの肩が震えてる気がするんだ。俺の錯覚じゃないよな?」
「そう……だね」
自分の右手を見つめる。雨の日の記憶が脳裏を掠めるが、見ないふりして笑顔を浮かべる。
わたしは嘘つきだ。
「大丈夫だよ」
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