なあ、話してもいいか?

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 雨がアスファルトを激しく叩く音が、耳鳴りのように不快感をあおる。暗い路地を急に街灯が照らした。  圭司(けいじ)はハッと我に返る。何故かぼんやりとしてしまっていたようだ。 「そうだ。俺はこんなことをしている場合じゃあ……」  そう言いながらも、はたして今まで何をしていたのか、これから何をすればいいのかが、なかなか思い出せないでいた。 「疲れてるんだな」  たしか……何かから逃げてきたのだ。  そうだ。あの女。  徐々にだが記憶が戻ってくれば、辺りを見回す余裕もできる。  雨の音が絶え間なく耳を打つ。人気(ひとけ)のない裏通りにある鄙びた喫茶店の軒下で、圭司は雨を凌いでいたのだった。 「まだしばらくの間、やみそうにないな」  疲れているし、少し喉が渇いた気もする。急いで先に行きたい気もするが、この雨だ。過去から逃げてはきたものの、行くあてもない。  だったらこの喫茶店で、一杯コーヒーを飲むのも悪くない選択だ。  扉に手を掛けると、意外にも音もせずにすっと開く。  圭司はするりと店内に入った。  カウンターの向こうからマスターがちらりと目を向け、会釈した。絵にかいたように典型的な、田舎の喫茶店だ。 「いらっしゃいませ」 「ああ。アイスコーヒーを一杯貰いたいんだが」 「メニューはこちらです。お勧めは、うちの店のオリジナルブレンドですよ」 「じゃあそれでいい」  カウンターに座ってコーヒーを飲みながら、圭司はこれからどうするかをぼんやりと考えてみる。未だに頭は重く、記憶は途切れ途切れでハッキリしない。 「お客さん、お疲れのようですね。これをどうぞ」  マスターは、小さなクッキーが数枚入った皿を差し出した。 「サービスですよ」 「ああ、すまないな」  甘いうえにさらに砂糖をまぶしたようなクッキーは、意外にもコーヒーとよく合って美味しかった。  ひとつ、ふたつとクッキーを口に運びながら、圭司はゆっくりと店内を見回した。小さな店内に、客は他には誰もいない。店員はマスター一人だけだ。 「こんな天気ですから、今日はもう誰も来ないかもしれません。商売あがったりですよ」 「喫茶店の経営も大変そうだな」 「ええまあ。でもお客さんの話を聞くのは面白いですよ」 「話か……。なあ、マスター。俺の話を聞いてくれるか?」 「もちろんですとも」 「俺の事じゃない。知人の話なんだけどな」 「知人の……ですね。ええ。分かりました」 「これは俺の知り合いの話なんだ」  圭司が話したのは、少しだけ重荷を下ろしたかったからかもしれない。 「知り合いがな、そいつはまあ、人がいい奴なんだけど。付き合ってる女がダメ女なんだよ。浮気はするわ、金遣いは荒いわで、ほんと腹が立つ。いや、そいつの話を聞いてるだけで腹が立つような女なのさ」 「それは、困った彼女さんですね」 「ある日その女が、酔っぱらって帰ってきやがって、違う男の名前を口にしたのさ。それでカーッときて。俺の知人がな。その辺にあったコップを投げつけたら、それを避けた女が派手にコケやがって。運悪く頭を打って死んじまったんだ」 「それは……大変なことですね」 「知人の話だからな。俺は詳しくは知らねえ。けどその知人は、女の死体を山奥の林道から崖下に転がしたらしいんだよ」 「……そうなんですか」  マスターの困り顔を見て、圭司は笑った。 「俺も話を聞いたときは、どうしようかと思ったさ。けど知人はバレずに上手いことやってな。今頃どこかに逃げてるんだと思うぜ」  そんな圭司の話を、マスターは時々相槌を打ちながら聞いていた。 「なあ、マスターはそいつが逃げ切れると思うか?」 「どうでしょうか。逃げようと思えば逃げられるような気もしますが、やっぱり捕まるような気もします」 「そうかねえ」 「だって人って、思ったよりも内緒事が苦手なもんなんですよ」 「へえ。まあ、俺もこうして喋っているものな。するってえと、喫茶店のマスターってのは、いろんな人の秘密の話を聞いていそうだな」 「そうですね。ここはある意味、懺悔室のようなものです。私には聞いた話を持ち帰って話すような家族もいませんし」 「そりゃ、残念だね」  そう言うと圭司は窓の外を見た。  雨がやまないうちに、そろそろ先に向かった方がいいだろう。  圭司は立ち上がるとポケットの中を探る。 「いくらだい?」 「580円です」 「懺悔を聞いてもらってそれなら、安すぎるかもな」 「いえ」  笑って首を振ると、マスターはレジに金額を打ち込むために下を向いた。  それを見て圭司がポケットから取り出したのは財布ではなく、小さなナイフだ。  下を向くマスターの首筋に、身を乗り出して思いっきり振り下ろす。  これで何人目だったかな。 「そうだよ、マスターもよく分かってるな。秘密は誰かに喋りたくなるもんさ」  けれど喋った相手が死んだなら、それは喋ってないのと同じことだ。  殺人を犯した『知人』の話なんて、誰も聞いてはいないのさ。  動かなくなったマスターの体を見下ろして、圭司は慣れた手つきでレジから金をとった。  音のしないドアを開けて外に出れば、やまない雨が返り血を洗い流してくれる。  そして濡れるのもかまわずに、喫茶店の(ひさし)から一歩道路へ踏み出した。  けれどその瞬間、圭司は意識を失ってしまう……。  ◆◆◆  モニターを眺めていた男たちが足早にドアへと向かった。  EM検査室(アイデティックメモリールーム)と書かれた部屋の中には、細かい機械と太いケーブルで飾られたカプセルがある。  凶悪犯の深層心理を探る為に嘘発見器の代わりに映像記憶再生機(EMM)が導入されたのは、ここ数年のことだ。これは被験者の最近の記憶を動画として読み取ることができる。  記憶に基づくため不正確なことも多く、今はまだEMMで読み取られた発言や行動に証拠能力はない。けれど捜査の参考にすることは許されていた。 「今回の容疑者はよく喋ったな」 「連続殺人犯の犯行動機が、実はまだ知られていない殺人事件にあったなんて。捜査範囲が増えるよ」 「まあまあ。動機も分かったし。これでこの捜査も一気に進むだろう」 「金のなさそうな流行らない喫茶店ばかり狙うのは、ただ喋りたかっただけってことか」 「こういう寂しげな雰囲気だと、人は秘密を話したい気分になるのさ」 「そうかな。ただ単に、こいつがお喋りなだけだと思うけどなあ」  カプセルから起き上がって重い頭を振る圭司に、再び手錠がかけられた。  ――了――
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