羊水に浮かぶ

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 窓からは地平線まで広がるビル群と、葉脈のように枝分かれする道路、交差点を行き交う人々の濁流のような流れが見えた。 「そうか。話は分かった」デスクで書き物をしていた中尾は手を止めた。六十代半ばになるが、銃弾を思わせるようなその眼差しの強さは昔と少しも変わらない。「残念だな。俺は、お前を可愛がってきたつもりだったが」  遠野はデスクに腰掛け、ポケットから煙草を取り出した。 「中尾さんには本当に世話になりました」十二歳でこの世界に入って、中尾とは十五年の付き合いになっていた。「これでも、感謝してんです」  中尾は肘を立て、指を組んだ。「何の不満があるんだ」 「不満なんて」遠野はそう言って首を竦めた。「ただね、飽きたんです。この家業にも、債務者に泣きつかれる毎日も」  中尾は溜息を吐いた。「そうか。元々お前は欲のない男だった。いつかはこうなると思ってた」  遠野は煙草を咥え、火を点けた。「それで、どうしたら解放してくれます?」 「お前は、この世界で少々目立ち過ぎた。お前の組抜けを歓迎しない奴も多い」中尾はそう言って、塔のように指と指を合わせた。「お前、五代目を知ってるな?」 「ええ、中尾さんとはノレン兄弟でしたね」 「そうだ。つい最近、そこの本部長がケツを割ったそうだ。そいつは幅広くシノギをしていたみたいでな。今や、クビの取り合いだ」 「なるほど」 「兄弟の間柄は絶対だ。お前にも分かるな?」と、中尾は言った。「こんな事を、お前に頼むのは忍びない。だが、お前がこれをやり遂げれば、組抜けに文句をいう奴は居なくなるだろう」 「分かりました」遠野はそう言い、煙草をもみ消して立ち上がった。 「すまないな」と、中尾は言った。その眼差しにはいつもの鋭さは無かった。「お前、辞めた後はどうするんだ?」 「さあ、どうですかね」と、遠野は言った。この街は巨大な棺桶みたいなもの。この街からは離れる事は出来ない、それだけは分かった。 
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