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地下のバー、剥き出しの白熱電球が店を蜜色に染めていた。カウンターには一人の男。遠野は一つ隣の席に座ってモヒートを注文した。小ざっぱりとした黒髪に上等なスーツ。一見して、IT企業の社長か上場企業の会社役員にも見えた。
モヒートを飲みながら遠野は頃合いを伺い、酔客のふりをして男に声を掛けた。
「そのカクテル美味しそうですね。レモンが入ってて、何系の味――」
「誰に頼まれた?」と、男――三井真一は言った。振り向きもせず、視線さえ合わそうとはしなかった。「お前、友盛会の遠野樹だろ?」
「バレてたか」先手を打たれてしまい、遠野は口を曲げた。
「お前はそこそこ顔が知れてる。随分、あくどい事をやってきたらしいな」
「あんたには負けるさ」遠野は笑う。「組を抜けて全方向から狙われるなんて、大したものだ」
「どうしてお前が選ばれた?」と、三井は言った。琥珀色のカクテルを一口飲む。「俺を殺しに」
「どうしてかって?まあ、組を抜けようとしたらそうなった。成り行きみたいなもんだ」
「女か?ガキか?」
「いや」遠野はそう言って、一拍間を空けた。「飽きたんだよな。何もかも。セックスだって最初は楽しいが、いつかは飽きる。それと同じだよ」
「だから、辞めるのか」そう言って、初めて三井は遠野の方を見た。鋭い一重。それは何となく沼に住む変温動物を思い起こさせた。「面白い奴だな」
「そうかね」遠野は肩を竦める。
「いいね」と、三井は言った。「お前ならいいよ。手柄を取らせてやる。お前が送り込まれたのも何かの縁だ」
ジェットコースターのような急展開に、遠野は頭の中でその言葉を何度か咀嚼しなければならなかった。
「あんた、状況分かってんのか?」
「逃げられない事は分かってる」三井はそう言い、カクテルを飲み干して煙草に火を点けた。「あいつらは俺を恐れてるんじゃない。俺のここ」三井はそう言い、自分の頭に指を差した。「この中に詰まってるものを恐れてる。こんな物が垂れ流しになったら、人生が終わる奴が何人も出てくる」
「リストがあるのか」
「判断は正しかったと思うぜ。捕まえられてリンチでもされりゃあ、喋らねえ保証はねえ」
「なら、あんたはどうして組を抜けた?」
三井は煙草を一吸いすると、青い煙を鼻から吐き出した。
「それは、お前と同じだよ。俺も飽きたんだよ。この生活に。ぬるま湯のような暮らしにな」
「あんたも変わってるな」
「自業自得だからな」
「そうだな」
「人を殺した事は?」
「あるよ。昔に」
「そうか。なら、安心だな」三井はそう言った。「殺させてやるが、それは三日後だ」
三井は椅子から立ち上がった。遠野もつられるように席を立った。カウンターには三井が飲み干した、カクテルグラスが置いてあった。
遠野は言った。「なあ、このカクテルって」
三井は眉を上げる。至極、面倒臭そうに、「ああ?シャーリー・テンプルだよ」
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