羊水に浮かぶ

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 二日目、二人はレストランで食事を終えた後、散歩がてらに川沿いを歩いた。高層ビルの灯り、ライトアップされた橋の光が川面に反射していた。まるで、十二月のイルミネーションのようだった。  二人は無言で煙草を吸い続けた。闇の中に紫煙が溶けていく。三井は短くなった煙草を地面に放り投げた。 「お前、組を抜けた後はどうするんだ?」と、三井は聞いた。 「さあな、展望なんてねえさ。俺はどうせ、この街を離れられねえしな」 「組を抜けるんだろ?この街に居続ける理由がない」 「俺はな、この近くの下町で生まれ育ったんだ」と、遠野はそう言った。「いつ潰れてもいいようなボロ家だった。俺はこの街で、金と女と酒の味を覚えた。俺は、この街しか知らねえんだ」 「街から出たいと思った事は無いのか?」  遠野は曖昧に首を振った。「俺は、この街でしか生きられない。魚みてえなもんだよ。陸に上がったら窒息しちまう」  三井は手元でライターを弄っていた。 「昔話になるが」と、三井は言った。「俺はずっと前に闇金をやってた。ホストに狂った馬鹿な女が金を借りに来たんだ。そいつには二歳のガキが居た。よく泣く、うるせえガキだった」  水面が揺らめている。滲んだ光は大都会の影を映し出している。 「女は返済が出来なくなった。だからAVに売った。暫くは稼ぎがあったが、新鮮さも無くなれば後はお払い箱だ。次にソープに売って、最後は数千円で街に立たせた」  三井はそう言って、煙草を咥えた。ライターを近づけるが、火を点ける気配は無かった。 「女は死んだよ。灯油をかぶって焼身自殺だ。ガキも道連れにしてな」と、三井は言った。その声は平坦だった。「別に、債務者が死のうがどうでもいい。だけどな、いつしか声が聞こえるようになったんだ」 「声が?」 「そうだ。最初は一つだった。それが数を増してきて、今じゃあ、頭の中が叫び声だらけだ。俺は知り過ぎたし、知らなくていい事を知り過ぎた。ゴミ溜めの中が一杯になっちまったんだよ」 「だから、組を抜けたのか?」 「結局、俺はこの街から出て行きたかったんだよ。生まれ変わりたかったんだ」 「だから受け入れたのか?」 「どうせ逃げられないなら、来世に期待するしかねえんだ」  三井は自嘲気味に笑うと、煙草を捨てて立ち上がった。 「お前はこの街を出ろよ。この街は居心地のいい羊水みたいなもんだ。いつまでも浮かんではいられないんだよ」
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