10人が本棚に入れています
本棚に追加
それから、コンペ当日までは時間に追われる日々だった。
「姐さん、今回報電社がいるって、本当ですか?」
まるで円卓を囲む騎士の様に、事務所のテーブルに円を成して座る部下たちは、中央の上座に座る私に視線をよこす。
核心をついたのは、私の右腕でもある主任の守屋太一だった。
守屋の下には、中堅の木村祥子と、手嶋和矢、その下に新人の須賀奈緒美がいる。
私を含めたこの五人が、所謂“企画部の阿久根組”だ。
「本当よ。それがどうかした?」
「ココ姐さん、それデキレースじゃないっすか?」
「手嶋、やる前から弱音吐くんじゃない」
「でも、正直勝てる気がしないって言うか……」
「やってみなきゃわかんないでしょ? 木村」
「わ、私! 足手纏いにならないように、頑張りまっす!」
「良い心意気ね、須賀。空回りして、物壊さないでよ?」
「じゃあ、姐さんは勝つ気でこの仕事、やるんですね?」
いつも冷静で、希望的観測を許さない守屋が、私を追い詰める。
二言は許さない、とでも言いたそうな顔をしている。
「守屋、ピンチは?」
「チャンス」
「よく出来ました。この壁、全員で越えるわよ」
先輩からの受け売りを、さも自分の言葉の様に後輩へと告げる。
私は、ここでは出来る先輩、動じない上司、結果を出す“企画の阿久根組”の組長でなくてはならない。
「ターゲットはF1層」
「ここにいる私達女性は、全員ターゲットってことですね」
「男でも、悩んでいる人はいるだろうけど……」
「守屋、あんた肌荒れに悩んだことあんの?」
そう問い返した私に、守屋は言い辛そうに答える。
「まぁ、学生の時ですけど……結構、ニキビ酷かった方です」
「ココ姐さんは……ずっと悩んでますよね?」
そう切り込んで来た手嶋に、全員がバカと言いたそうに注目している。
「悩んでる……。うーん、どうだろ?」
「え? 悩んでないんですか?」
新卒で入社間もない須賀は、素直に目を見開いて私を見た。
ふっくらとした頬が愛らしい、これぞ女子と言った雰囲気を持っていながら、空気を読まないド天然な所がある。
「治ってもまた繰り返しだし、真剣に考えてる時間もなくて、なすがままって言うのが、正直な所かしら?」
「諦めてるって事ですか?」
「そう言われると、私が努力してないみたいじゃない、守屋」
「諦めてはないけど、それにばっかり構っていられない?」
ツメないと気が済まない守屋が、淡々と微調整してくる。
「あぁ、そう。そんな感じかしら?」
「でも、姐さんみたいな人、結構多いのかも……」
木村はそう言って、一人考え込んでいる。
少し年下だけど、二十代も後半になった木村には、思い当たることもあるのかもしれない。
「継続するって、難しいのよね。治っても、また年齢を重ねて違う悩みが出て来るし、この手の悩みは人それぞれだし、これいいよ、って言われたって、合う合わないもあるじゃない?」
「あぁ、分かります。自分が使って良かったからって、無理に勧められると、すっごい困る!」
「なるほど。木村の言う事も一理あるな」
「守屋さん、化粧品勧められたりするんですか?」
「いや、化粧品と言うか……何でもごり押しされたものって、受け入れにくいと言うか……」
「つまり、自分がやりたいと思わないと、難しい……?」
天然の須賀が、そう言って首を傾げた。
でも私はその言葉に、後ろ指を刺された様に、ドキッとさせられる。
やりたいか、やりたくないか、で言えばやりたくないのだ。
綺麗にはなりたいけど、勝負に負け続けていると面倒になってきて、もういいやって白旗上げた方が楽になれる。
頑張っても、綺麗になれる保証はどこにもない。
醜い自分と向き合うのは苦しいし、それをずっと続けることにも、意味を見出せなくなって、繁忙の彼方にそんな意欲は押し流されてしまう。
そして、たまに思い出して後悔する。
「そう考えると、ダイエットと一緒かも?」
「どういう事? 木村」
「姐さん実は私、昔今より十五キロ太ってて」
そこにいた全員が、木村の衝撃的発言に、言葉を失った。
木村はスレンダーだし、ジム通いしているのはチーム全員が周知しているので、イメージとしては健康的で、美意識も高い女性だ。
だから、まさかそんな過去があるとは誰も思いもよらなかった。
「前の会社にいる時ストレスで太って、それが理由で振られちゃって……。相手、同じ会社の同僚だったから、痩せて見返してから、転職してやりました!」
「よくやった、木村」
そう言えば、木村は途中入社だったな、と私は思い出した。
木村は、そのジムで出会った同じような悩みを持った男性と知り合って、今はその彼と一緒に暮らしているらしい。
「色々教えてくれるジムのトレーナーとか、一緒に頑張ってくれる彼がいなかったら、挫折してたかもしれない。肌荒れで悩む人も、同じかもしれないって……」
「木村の言う通り、目標があると頑張れるって言うのは、あるかもな」
「守屋さんは、一人でもコツコツやってそうですけどね。でも私、最近痩せた? って言われるのが、嬉しくて続いてたかも。頑張ってる自分に誰かが気付いてくれると、俄然やる気になれます!」
結局は、他人が認めてくれなければ、自尊心は満たされない。
自分で結果を感じていても、それに他人が気付いて、見つけてくれるのは、格別な威力がある。
「最近、キレイになった? ってこれ、キャッチフレーズに出来ないかな?」
「姐さん、良いですね、ソレ。そう言われたい、そう言わせたい、ユーザーの共通認識にもなりそうです」
珍しく手放しに認めた守屋の隣で、嬉々としたのは須賀だった。
「うわぁ! 原さんみたいなイケボに言われたら、キュンとしちゃうかも!」
「須賀、落ち着け。テーブル、ひっくり返るぞ」
勢いよく立ち上がった須賀を、守屋が冷静に処理する。
「じゃあ、媒体はCMの方が良いかも? 勿論、街頭ポスターも仕掛けるけど、声の方が記憶に残るかもね。他に、何かある?」
「あの……ココ姐さん」
「何? 手嶋」
「アニメとか、どうっすか?」
手嶋は、言い辛そうにそう言った。
「そんな自信なさげに言う発案に、イイネ! って言うと思う?」
「いやあのっ! 僕この前、電車の中からビルのLEDビジョンで流れてる企業のショートアニメ見たんす。別に興味ないけど、ずっと見ちゃったなって……」
「手嶋は何で、ソレをずっと見ちゃったの?」
「先が気になったって言うか……。へぇって、思って……」
興味ないけど、見ちゃった。
そう言った手嶋の言葉に、私は強く惹かれた気がした。
広告は人に気付かれて、初めて効果が発揮される。
人の視線を、人の意識を、人の記憶を、一斉に奪っていく。
まるで観客の視線を釘付けにする売れっ子女優のような、そんな広告を作りたくて、試行錯誤しているのだ。
「やろうか、ソレ」
「え?」
「手嶋のソレ、良いかもしんない。アニメって今、注目度高いし、二十代で六割、三十代でも五割の興味があると言われているわ」
「や、やった……やった! 僕、一度アニメ広告やってみたかったんす」
「頼りにしてるわよ、手嶋」
自分に置き換えてユーザーを捉える木村と、いつも動物的にアンテナを高く張っている手嶋、ド天然で死角から素直に飛び出してくる須賀。
そして重箱の隅を一人コツコツと埋める守屋。
その全員がいて、初めて私は仕事が出来る。
一人じゃないから、頑張れる。
最初のコメントを投稿しよう!