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コンペ前日の夜、私は早めに仕事を切り上げた。
ゆっくりとアロマオイルの香りのするお風呂に浸かって、久しぶりに赤ワインを飲む。
寝に帰る様な生活をしている自宅が片付いてないのが、雰囲気も糞もあったもんじゃないけれど、私にとってソレは儀式の様なものだった。
「原が最初に新規開拓したのも、この赤ワインだったっけ?」
老舗といっても傾きかけた小さな酒蔵が、起死回生をかけた新しい商品がこの赤ワインで、初めて一人でデザインを任された商品だ。
蔵元から初めて「頼んで良かった」と認めて貰ったその日、原と私は鄙びた居酒屋で、焼き鳥を片手に祝杯を挙げた。
その思い出の赤ワインを、勝負の前には必ず飲むようにしている。
三十路を超えたって、赤ワインが似合う大人には程遠い。
ないものばっかり羨んで、持っているものを磨く事すらせずに、言い訳ばかり自分に言い聞かせて来た。
失う事が怖くて、安くて、そこそこ旨い焼き鳥みたいに、手軽な女になったのは、自分のせいだ。
片手で食べれる焼き鳥を、ナイフとフォークで丁寧に食べてくれる男なんているわけない。
久しぶりの赤ワインには、そんな大人の渋みが混ざっている。
そう言えば、と思い出して鞄の中に入れっぱなしだったK社の新商品サンプルを、開けた。
自分を大事にする時間を、たまには味わってみようかと思ったのだ。
これを開発したあの牧と言う人にも、蔵元と同じように、強い思いがあるだろう。
作ったものを、知って欲しい。認めて欲しい。
頑張っている自分を、見つけて欲しい。
そんな気持ちを代弁するのが、広告屋の仕事で、私がそれを無視するのは、やっぱり忍びない。
ふいに、携帯が鳴ってディスプレイには“原”の名前が浮かんでいる。
「原? どうしたの?」
『お前今、あの赤ワイン飲んでる?』
「何、ストーカーでも始めたの? 怖っ!」
『ちげぇよ! 俺も今、あの赤ワイン飲んでるからさ』
「ふぅん」
短い沈黙が、妙に心地よかった。
「ねぇ、原。アレ、言ってみてよ。今回のキャッチコピー」
『は? 何で俺が……』
「良いから、言ってみてよ」
『……最近、キレイになった?』
「もう一回。もっといい声で!」
『なっ、おまっ、酔ってんだろ?』
「早く!」
最近、キレイになった――――?
こんないい男に、そんな事言って貰える日が来るなんて、想像も出来ないけれど、言われてみたいかもしれない。
「須賀が聞いたら、鼻血出すわね」
『お前じゃねぇのかよ』
「でも、悪くないかも」
『え?』
「いつか……いや、何でもない。おやすみ、原」
原に頑張っている自分を、いつも見つけて欲しかった。
いつから、そんな自分を見て見ぬふりしてきたんだろう。
私の中に、ストレスと言う名の不法投棄されたゴミ山があって、勝手に増えるゴミ山を私は放置していた。
片づけないお前が悪い、そう言われるのも嫌で、隠していた。
だから、原が足掻く私を見つけてくれると、ゴミ山に埋もれた宝石を見付けて貰った様な安堵感がある。
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