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夕暮れ時。
赤とオレンジ色に染まる世界と、鳴り響く学校のチャイム。
「ああああああああああああああ!!!!!!!」
それと、異形の化け物に追いかけられる制服姿の男。
奇声を上げながら走る男を追いかける、体が赤黒い手のような物体で構成された、目測5mちょいのヤバそうな化け物。
「空き家」の張り紙がずらりと並ぶ住宅街。
男を除いて言えば、これはまごう事なきここ隔離都市「蠅庭」の日常である。
なんでこうなってるんだと言いますと、それには数十年前の先人のやらかしが起因する。
事の発端は数十年前。日本のある県で、相当な年代物だと思われるつづらが出土された。
中身はもちろん大判小判……などではなく、怪異に妖怪魑魅魍魎、要するに、ヤベー奴ら。そう、そのつづらには人に害なす悪霊の類が封印されていたのである。なんてもんを広大に残しやがったんだ。
まあ今は詳しく説明する余裕とかぶっちゃけないから、その出来事をきっかけに、文明が発達しまくった現代日本に妖怪とか今みたいな化け物が共存した、って言う認識でいいと思う。
あ、自己紹介が遅れてたかな。
前述した通り様式美のようにその怪異に追いかけまわされているのが、これからできるだけ喋りを担当させてもらうこの僕。名前と職業は後ほど。とにかく今を生きてるってことだけわかって。
今は走るのに集中してるからちょっと、待ってて、ね、
「ぶああああああ!!!!?」
瞬間、顔に激痛、足に違和感。
目立った凹凸のないただの道で、顔から地面に突っ込んだのだ。
いや、その分だけ見たら僕がただのおちゃらけクソ野郎に見えると思うから説明させて欲しいのだけど、実際本当の理由はこれ。
「この手遠隔操作もアリなの!?」
そう。不自然にアスファルトから生えてきたこのおててである。
あ?見えない?心の目で見て。すくなくともぼくにはしっっっっかり見えてる。
後方の手の集合体の姿の怪異、その一部と思われる腕は、がっちりしっかり右足を掴んで離さなかった。
わあさすが大型だちからつよーい。あはははは離せ離しておねがいします
「…詰んだな?」
というわけで、怪異の説明をしていくよ。
今僕が追われている化け物は「怪異」と呼ばれているもので、先ほどのつづらから出てきた悪霊の大部分でもある。残りは知能がある妖怪。
基本的に形は不定形。かなり大型__今迫ってきているような物でなければ、大半の怪異はガスでできたような体をしていて基本無害。ヒトさえいればどこにでも湧く。
ヒトの執念から生まれた、まがい物の魂だけの存在。人間になりたいらしく、人間の体を物理的に求めている。つまり、人間を食べる。eatの意味だ。決してエロ同人的ノリではない。ゴアだゴア。
知能があって体を構成する成分に個体差もある。そして執念に応じた不思議な力がある。不思議な力っていうか、存在が不思議だよね。うん。
ええと、基本的に有害無害にかかわらず、怪異の弱点は太陽の光と人がたくさんいるところ、それと神聖なもの。
清められたもの(ナイフとかお酒とか塩とか)とか神社やお寺、お札とかも値すると思う。
土地神様とかは目に見えなくても存在するから、基本的に怪異が市街地や住宅街に出るケースはない。人が集まるほど神様は潤うらしいので。
まあ日は沈みかけだし人いねえし神聖なものとかこの町始めてきたばっかりなのにどうやって探せって話。あはは。死かこれ?いや死にはしないんだけどさ。
と、ここまで脳内早口2秒ジャスト。走馬灯の如く飛ばしてったノンブレス説明は伝わったかな?伝わったらいいな。うふふ誰にだよ
「……………」
そんなことを考えていても空気の読めない手だらけの怪異は、確実にじっくりと無言で距離を詰めてくる。
追われているときに気づいたけど、こいつは僕が止まらない限りずっと一定の距離を保ち続けながら僕を追いかけてきていたのだ。まるで獲物を追い詰める捕食者みたいな……いや、そのまんまだ。そのまんまなのだ。意味が。
目の前のこいつは捕食者で、僕は被食者。なんの例えにもなっていない。なんのひねりもない。体操だったら3点くらいだ。わかりづらいボケをごめんな。窮地に言うことじゃないよなこんな事。
大きな影が地面にへたれこんだ自分に被さる。化け物がついに眼前にやってきたのだ。
「…………」
足に絡んだ手は未だ離れない。
ああ、こんにちは体内してしまう。
ゆっくりそのまま、怪異は手を伸ばしてー______
「…………」
そのまま、ぴたりと動きを止めた。
「……………?」
空中で静止したままの赤黒い手は、僕に触れることはない。
さすがにここまで近づけば気付いたのだろうか。まあ気付いたとしても、食おうとすることに変わりはないだろうけど。
ああ、こっちの話ね。
ええとそれより、足元の手が緩んでいるのにはお気づきですかね、旦那さん。
「爪、お手入れされてるんですね〜……」
怪異が混乱している隙に、地面の手にそっと触れる。ひんやりと冷たい感触がした。死体みたいな生気のない皮膚だった。
僕は隠し持っていたナイフをその手にぶっ刺した。
「…………!!!!!」
「ッシャオラァ!!!逃げろぉおおおおぉ!!!」
この町に入る前に買った、清められたナイフ(効果は実証済み)。人間もそうだけど怪異にはよく効く。ただし使い捨てみたいなもんだから騙し打ちでもしないと確実に逃げれないんだよな。
思わぬ反撃に驚いたのか怪異は雄叫びに似た叫び声を上げて、思わず僕の足から手を離した。
その隙を逃さず、整った息で僕は脱兎の如くその場から逃げ出す。怪異は動かない。どんどん距離は伸びていく。
騙し打ち、と言ったのもそうだけど、実は結構長い間走ってたから、息が整うまでの時間稼ぎもしたかったんだよね。おかげでまだ走れそうだけど、結構危ない橋を渡ってしまった気がする。あっちが止まったのは嬉しい誤算だったけど。
「よっしこのまま逃げ切__」
それは正しく抱負を口に出した瞬間。
ぱん、という破裂音に似た音が、後方から聞こえた。
「………んー?」
嫌な予感はひしひしと感じるものの、走りは止めぬままちらりと一瞬だけ後ろを見る。
先ほどまで怪異と二人きりで留まっていた遥か遠くで、巨大な手のひらが合わさっていた。
「………」
地面から大きく生えた手。それに挟まれた地面は捲れ上がり、コンクリートの下の、土の素肌をのぞかせている。
…警告?合掌?なんのために?弔い?感謝?謝罪?
思わず足を止めてそれを凝視すると、先程の倍の大きさに膨れ上がった怪異は、なんとなくこう言いたがっている気がした。
『 い た だ き ま す 』
「あ、やば」
ぱちぱちぱちぱち。
「おああああああああああああ!!!」
あちこちで不規則に拍手音が響き渡った。僕の隣で、遥か遠くで、すぐ側で。
あちら様も獲物に噛まれたことで、遊びから本格的な狩りモードに切り替えたのだろう。
そこら中降り注ぐ拍手の嵐、スタンディングならぬランニングオベーションのブロードウェイ(住宅街)を走り抜け、まな板の上の人間は逃げる。泣き言を垂れながら。
ぱちぱちばち、みき、みし、ぱん。
「無理無理無理無理むりア゜ーーーーー!!!!!!」
高校生男子の恵まれた体力と身体能力にだって限界はある。まだ余裕はあるといえ、近づく破壊音から飛躍的に距離を離すこともできず、人間の息はどんどん切れていく。
すれ違った放置自動車のボンネットが、音を立てて爆ぜた。
手の照準の精度が上がってきている。
「あっあ、ごめんなさいごめんなさいいくらでも謝るんで助けてください痛いのはヤダーーーーー!!!!誰かああああああああああ!!!」
コーナーで差をつけろとばかりに曲がり角から外へ飛び出し、無機質な建物の迷路を抜けて住宅街の方に出る。
ここからもそう遠くないだろう場所には、茜色の鳥居が見えた。
「____神社、ッ!」
さっきも言ったけど、怪異は神様が嫌いだ。人間にとって怪異が敵である様に、怪異のにとっての敵は神様。なんかじゃんけんみたいだね。人間クソ弱いけど。
神様は一般の人には知覚できないけど、人の住むところには必ず、人間を守ってくれる土地神や地母神がいる。
見えなくても姿はあるのだ。怪異が蔓延る前までもいてくれたのだろうか?そこはわからないが、神様がいるところには怪異は近寄らない。というか、そういう類のものを内側に入れさせないためのバリア的なものが貼られてる。
というわけで怪異は神様を嫌う。神社やパワースポットなんかの神域と呼ばれる、言わば神様のホームグラウンドには、大抵の怪異は入ってこれない。今の便りの綱はそれだ。
神様はどこまでも従順な人間の味方でいてくれた。味方よりの傍観者、という方が正しくはあるが、怪異の敵であることは確かなので何も言わないでおく。
そんなことを説明している間に神社の目の前に着いたはいいものの、そこに広がるのはガッタガタの石段。
さすがにこれは、今は、きついのでは。
「………」
ちらりと後ろを見た。さっきよりも近づいている。
選択の余地はない。生きとし生けるものいけいけgogoなのだ。
「あ、ごあ、おぇ、凄く、つらい、…!!」
ろくに整備もされていない石段を全速力で駆け上がる。筋繊維がちぎれる感覚がある。ヤダ、殺される前に死にそう。だから死なないんだけどさ。
体の構成物が偏っているせいか縦移動には時間がかかるらしい化け物を尻目に、階段を二段飛ばしで走り抜けて鳥居のうちへと滑り込む。こんな時は特にだが、16歳の脚力と体力にはただただ感謝する。ああ若いうちに筋トレやっててよかった。筋肉はいつか世界を……救ってくれ。
さてお待ちかねのゴールライン、真っ赤な鳥居を潜ってみれば、軽くなる空気と重くなる体。
疲労で体の節々が痛みを訴えているが、まずはなるべく社に近づかねばならない。のに、
「……きょ、距離、おかなきゃ」
頭でそんなことを考えていても、体は動かず。無様にひいこらと上半身だけで、階段の向こう側に這いずるのが精一杯。
指定の真っ白いシャツが、黒いズボンが落ち葉や砂利やそんなもので汚れるのも気にせず芋虫は這いずる。下を向いて前に進む。
が、とうとうそれにも限界がきた。
「あ〜……むり、ちょっと、休まねば」
神域に入ったのだから少しは守ってくれるだろう、と緊張の糸が緩んだのもある。
そのまま地面に死体のように寝転がっていると、耳鳴りがしてきた。体の不調は休んだ瞬間やってくる。口の中、血の味して気持ち悪いな。
「ほんまにこんなとこ来てよかったん?」
「よくない、ましろだって好きでこんなとこ来たわけじゃない。でも、しかたない」
「はいはい」
ああ、幻聴が聞こえる。
鈴のなるような声、子供が喚くような声。
「こんな時に駆り出されるやなんて思ってなかったから、炊飯器のスイッチ入れたまま来たんやけど」
「え、なんでたいたんだ。さよはどうせほとんどたべないだろ」
「やかまし。アレ最近新しゅうしたから炊けた後も保温続くんよ。電気代無駄にしたあないもん。うちのごはんがお前のご飯より優先順位低いん腹立つわぁ」
アレ、走馬灯かなこれ。幻聴にしてはやたら似つかわしくないお話なんだけど。
まさか、幻聴じゃなくて本物の人間?いや、この町に人なんて住んでないはずなのに。
だけれども聞こえてくる幻聴はやたらと所帯染みている。
「んあ?」
「死体か?」
幻聴はすぐ上から聞こえた。
目を開けると、小さな影が自分を覆っているのに気付いた。暮れかけた日に伸ばされた、人の形の影。濃く黒いそれが僕を覆っている。
「なあ」
鈴のような声、と称した方の声がした。
もしかして、話しかけられているのだろうか。
「おにいさんは、ただの死体?」
ちがう。ちょういきてる。
そう答えようと思った。けど、肺がうまく膨らまない。
一度休んでしまったのがいけなかった。酷使しきった重い体を動かすのは一苦労で_____それでそれに応えたくて、僕は息も絶え絶えになりながら首を上向けた。
沈む日で照らされた、真っ黒の華奢なシルエットがひとつ。
「ちが、う」
「ふぅん」
上半身だけを上げて答えた。みっともない姿だったけど、気にしてはいないようだった。
それにしても、逆光で顔が見えない。立っている位置の問題もあるだろうが、姿が後ろの光に照らされて真っ黒に_______いや、この人自体がそもそも黒いのだ。
「じゃあ、こんなところでなにしとん」
なにしてる、一言で表しづらい現状に口をつぐむと、話したくないならええよと謎に察される。
「蠅庭に来るってことは、相当な望みがあるんやろうし」
後ろ暗いことの一つや二つ、あってもええと思うよ、うちは。
彼女はまるで世間話でもするかのようににこやかにそう言った。ここにきた理由。違うのだけど、訂正するとめんどくさくなるので黙っておくことにした。
それにしても、浮世離れした風貌だ。観光客ではないのだろう。なんなら、僕の同類かもしれない。
もう一度目を凝らし眼前の少女を見た。
長い髪と上下真っ黒のセーラー服。肌だけは死人のように白くて、前述したセーラー服もおろされた長い髪も大きな目も、余すところなく黒い。
前文で叙述したことを顧みればなにを今更という話ではあるが、あまりにも現実離れしたその出で立ちに、僕はつい失言をこぼした。
「…もしかして妖怪とか」
「あ、うちは人間やから、勘違いはせんようにね」
「はひ……」
釘を振りかぶって刺された。速攻で否定された。違いました。ごめんなさい。
てっきり都市伝説から生まれた怪異かと、いいやむしろ妖怪かと。
全身真っ黒っていう格好だけで、なんでこんな無礼な間違いしたかっていうと、黒は怪異が好む色なんだよね。あちら側としても取り憑きやすいし、見つけやすい。今の怪異だって、体表は赤錆…赤ベースの黒色だし。
だからこんなに真っ黒で揃えてると、怪異にとってはカモがネギ背負ってガスコンロ持ってきてくれた感じで。もしかして、妖怪か追加の怪異かと思ったところでして。
まあそんなことを言いたくても、言葉の一つも出てこない。無様に息を整えていると、ばん、と壁に何かがぶつかるような音がした。
…見なくてもわかる。先程の怪異だ。神域に阻まれて入ってこれないのがわかっているのかいないのか、諦めるそぶりは見せない。ばんばん体を神域の障壁に打ち付けているのだろう。
「……おやあ」
そして全身全霊で神社への侵入を試みるそれを見たであろう少女は、なぜかにやりと笑った。
どう見てもその笑みが似合うような状況ではないのだが、いや表情自体はよくお似合いなんでございますけれどもね。あの、何者?
息を整え、何とか立ち上がる。案外背の高いらしい彼女と僕の身長はそう変わらなかった。
立ち上がった僕には一瞥もくれず、僕以外の誰かに問いかけるようにこう言った。
「良かったねえ毛玉ちゃん、今回は人助けみたいや」
毛玉ちゃん?
どう考えても自分のことは指していないその愛称に、ああさっきのもう一つの声の子かなと一人で納得する。そういえばなぜか、そのもう一つの声の主であろう影は見当たらなかった。いまも、ここにいるのは僕と目の前で呑気に伸びをする少女だけだ。
「んー、さて。おにいさん」
「あ、え、はい」
「早く逃げたほうがええよ。ここ何年も手入れされてないから、このままやと」
われる。
形のいい唇がそう動いた。
「…割れる?」
なにが、と言いたかったがゆえに彼女の言葉を反芻した瞬間、ぱりんと音がした。口から飛び出たセリフと同じく、薄い飴が割れるような軽い音だった。
「え」
その可憐な音を覆い隠すように、ダン!と一際強い音がした。
自分と少女の間に、先ほど嫌というほど追いかけ回された手が突き刺さっていた。
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