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 雨の夜しか開店しないちょっと変わったバーが都内の片隅にあった。不景気が続く不安定な時代に残っているのが奇跡そのものだった。入店の仕方も一風変わっており、2回、ないしは3回ノックしなければ店に入れなかった。例えば一回ノックしてもドアは開かない。中に鍵をかけられたままだ。ましてや0回なんて言うまでもないが、しかし100回は意味が違った。というのもそのバーのマスターは若い大人びた女性であり、まばたきを忘れるほど花も恥じらう美人だった。つまり、100回というのはプロポーズを意味していた。若きマスターは店内から扉を叩き返し、イエスかノーの返事それぞれ1、2回だった。でもいつも2回叩いていた。一回叩く姿を常連の誰一人中から見たことがなかった。ただ、ある常連客が言うには、 「100回叩いたあとに15回扉を叩いた青年がいてね。そのときはマスターも一回にしようか2回にしようがひどく迷っているように見えたよ。とても嬉しそうだった。こっちが面映くなるくらいにね。」  このバーの名は【rain】。雨の日だけに開かれる、そしてマスターの 「水を差してすみません。」 という口癖からもこの名がついた。  飲み歩いて泥酔した客が3回より一回多く叩いてしまうこともあった。すると、扉が何故か開き、がちゃりと閉まり閉店となった。そして、その客が出てくることは二度となかった。  マスターになぜ2回叩くのはいいのですかと聞いた男の客がいた。そのとき、マスターはこう言った。 「虹が見えるのよ。3回は鳥が見える。」  客は首を傾げた。よくわからないけど不思議な人だと感じて興味を持った。  その客は大学生で見た目こそ地味だったが、オシャレな嗜みが好きだった。バーで飲むのにも憧れて、たまたまこの店を見つけてたまたま常連客が入ろうとして3回叩いたのを真似してたまたま入れたのだった。  初めて入ったとき、思わず感銘を受けた。高級感あふれるカウンターがまず目に入った。白い光を放つグラスが立ち並び、西欧の国で作られていそうなシャンパンやワインなどが透明ケースに展示されていた。古めかしいまるテーブルもいくつかあり、店の落ち着いた雰囲気に合っていた。客は様々で上品で紳士的な人もいれば、大口開けて笑う愉快な人もいた。  そして、この店に一番惹かれたのはマスターが美しかったからだ。あまり年は変わらないのに仕草も表情も言葉遣いも礼儀正しく、この世のすべての作法を知っているかのようだった。もちろんカウンターの席に腰を下ろした。頬杖ついてしばらく見とれていると、マスターにそれを指摘された。 「肘ついては徳は生まれませんよ。」  婉曲的に小人(しょうじん)と言われた気がした。気のせいだと思って肘をカウンターから下ろした。  
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