焼ける太陽

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肌に刺さるような張りつめた空気が、小さな部屋を満たしている。 うつむき、静かに待機している少年少女たち。 そのなかで一番端の少女だけは、ずっと退屈そうに足を揺らしていた。 彼女がこの小部屋に閉じ込められてから、すでに1時間は経過していた。 なぜこんなに待たせるんだろう。 なぜすぐに呼んでくれないんだろう。 私が「合格する」ことは、すでに決まっているというのに。 入り口の扉が開き、黒衣に身を包んだ女性が現れた。 「14番、中へ」 「はい!」 少女は、元気よく立ち上がった。 ──よかった、ようやく私の番だ。 「クロエ=デュボア、そこにお掛けなさい」 「はい!」 朗らかな声が、室内に響き渡る。 それだけで試験官の何名かは顔をしかめた。 おそらく、この厳かな空間に不釣り合いだと判断したのだろう。 対する少女は、先ほどからずっと夕焼け色の目を忙しなく動かしている。 「すごいですね、この部屋。さすがこの国最古の魔法学校──」 無邪気な独り言は、咳払いによってさえぎられた。 「14番、あなたはなぜ今ここにいるのかわかっているのですか?」 「もちろんです」 クロエは、はきはきと答えた。 「私の、入学手続きのためでしょう? 任せてください。ちゃんとひとりでできますから……」 「まだ入学するとは決まっていません。最終試験はこれからです」 「わかっています。でも私は合格します」 「ずいぶんな自信ですね」 「自信ではありません。確信です」 ──そう、これはすでに決まっていること。 私は、必ずこの学校に入学する。 だって、あの制服を初めて見た5歳のとき、そう決意したのだから。 忘れもしない、あれはクロエがまだ5歳だったころ。 「お母さーん、お母さーん、どこー?」 クロエは、ひとり泣きながら森のなかをさまよっていた。 つい先ほどまで、薬草を摘んでいる母がすぐそばにいたはずだった。 それが、愛らしい蝶をふらふらと追い掛けているうちに、すっかりはぐれてしまったのだ。 「お母さーん、お母さーん」 何度も呼んでいるのに、木々の間には自分の声が響き渡るだけ。 母からのいらえはまったく聞こえてこない。 どうしよう、このままお家に帰れなくなったら。 どうしよう、ずっとひとりぼっちだったら。 小さな背中を、不安がぞわりとかけのぼる。 クロエは大きくしゃくりあげると、そのまま闇雲に走りだそうとした。 そのときだった。 目の前に、鮮やかな青が広がったのは。 「いけないよ。この先には崖しかない」 クロエは、驚いて顔をあげた。 彼女の前に立ちはだかっていたのは、青空色の衣服をまとった少年だった。 「迷子かい?」 「……」 「君の名は?」 「きれいねぇ」 「キレイネ? それが君の名前?」 「ううん、きれい。このお洋服」 しみじみ呟いて、青空色の布地を握りしめる。 少年は「ああ」と目を細めると、丈の長い上着をつまみあげた。 「これは制服なんだ。学校の」 「がっこう?」 「この近くの魔法学校だよ。知ってる?」 「……ううん」 でも、ほしい。 このお洋服、私も着てみたい。 ぎゅうっと手に力をこめたクロエを、少年は興味深そうに見つめた。 「面白い子だね、制服に興味を持つなんて」 大きな手が、クロエを引き寄せた。 「そんなに欲しいなら来るといいよ。うちの魔法学校へ」 以来、クロエは「15歳になったら魔法学校に入学する」と心に決めた。 とはいえ魔法そのものはどうだっていい。 すべては「制服」だ。 あの魔法学校の制服を、自分のものにできればそれでいい。 そんなクロエを、家族や友人たちはいつもあきれたように見つめていた。 「いい加減、あきらめなよ。無理だよ、魔法学校なんて」 それもそのはず「魔法学校」に進学できるのは、ごく限られた優秀な者のみ。しかも、クロエが目指している学校は、この国で一番歴史のある学校だ。 その分、競争率も高く「狭き門」ということで有名だった。 (でも、知らない) そんなの関係ない。 だって、目を閉じれば、今でもあの日の光景が浮かんでくる。 幼い彼女の目の前に広がった、突然の青空。 決してやわらかそうには見えなかったそれが、まるで意思を持つようにふわりと舞って、小さなクロエを包みこんだのだ。 あの瞬間、クロエの心は決まった。 自分はこれを着る。 この美しくも不思議な衣服を必ず自分のものにするのだ、と。 やがて10年の月日が流れ、クロエにもようやくその機会が訪れた。 一生に一度、15歳の少年少女だけが受けられる「魔法学校」の入学試験。 周囲の予想に反して、彼女は次々と試験を突破した。 そうして、あとは最終試験を残すのみ。 早くあの制服を身につけたい。 私だけの制服を手にしたい。 そのときを、もうずっと待ちわびていた。 この試験さえ終われば、私は制服を着ることができるのだ── 「なるほど。ですが、それならわざわざ入学する必要はありませんよ」 試験官のひとりはそう答えると、黒衣の女性に目配せをした。 その女性が手にしていたのは、真っ白な上着だ。 ずいぶんと丈が長い、見覚えのあるシルエットの── クロエはハッと顔をあげた。 もしや、これは? クロエの疑問が伝わったのだろう。 試験官は鷹揚にうなずいた。 「彼女が手にしている上着は、我が校の制服です」 やっぱり! 「14番、今ここでその制服に袖を通しなさい」 「いいんですか!?」 「ええ。なぜなら……」 試験官はまだ何やら説明をしている。 けれども、そんなものはもはやクロエの耳には入らない。 彼女の頭のなかは、目の前の制服のことでいっぱいだ。 ああ、ようやくだ。 この瞬間を、ずっとずっと待ち望んでいたのだ。 10年ぶりに触れた布地は、クロエの記憶とは違ってやわらかくはない。 しかも、色は真っ白だ。 まるで初雪のような、目に痛いほどの白。 クロエの記憶が正しければ、この学校の制服に「白」はない。 青空・薔薇・草原・月──以上4色だったはず。 つまり、この「白」は新色だ。 おそらくまだ誰にも与えられていない、まさに「初雪」のような── 「14番、早く袖を通しなさい」 急かす声に、我に返る。 そうだ、この制服は「私が着るため」に用意されたものだ。 逸る心をなんとか落ちつかせて、クロエは袖に手を通した。 ああ、この瞬間。 今まで何度夢に見たことか。 「すべてのボタンをとめたら、こちらを向きなさい」 わかっている。 でも急かさないでほしい。 どんなことでも「初めて」は一度きりなのだから。 ようやく一番下のボタンをとめ終えると、クロエは正面に向き直った。 試験官たちの視線が、一斉に彼女に集中した。 ある者は息を呑むように。 またある者は探るように。 刺すような視線、冷ややかな視線、あるいは、あるいは── 「わかりました。14番、不合格です」 一瞬、何を言われたのかわからなかった。 「えっ、あの……」 「聞こえませんでしたか。不合格です。すぐにその制服を脱ぎなさい」 何を言っているのだろう、この人たちは。 私が「不合格」なんて絶対に有り得ないのに。 呆然と立ち尽くすクロエを見て、別の試験官がため息をつく。 「あなたは先ほどの説明を聞き流していたようですが、今のが最終試験だったのですよ」  最終試験? どれが? 「これは公にされていないことですが、魔法を学ぶには適性が必要です。その適性を確かめるのが、あなたが今、身につけている制服なのです」  適性のある者が身につけると、制服は色を変える。  青空・薔薇・草原・月──そのいずれかの色に必ず布地が染まるのだという。 「しかし適性のないものは、何度身につけても色が変化しません。よって、あなたは不合格なのです」  信じられない。  そんな話は認められない。 「さあ、早く脱ぎなさい。次の受験生が待っています」  嫌だ。これは私のだ。  この制服は私のためのものだ。 「14番、さあ、早く」  嫌だ、絶対に嫌だ!  クロエは一番近い窓辺に駆け寄った。  そして、ためらうことなくその枠を飛び越えた。  長い裾をなびかせて、クロエは校内を走り抜けた。  絶対に嫌だ。  絶対に手放してたまるか。  青空・薔薇・草原・月──どの色に染まらなくてもいい。  真っ白なままでも、この制服はすでに私のものだ。  中庭を抜け、池を飛び越え、ただ地面を蹴り上げる。  目指すは正門──いや、裏門でもいい。  この制服を着たままでいられるなら。  この制服を自分のものにできるなら。  走れ、走れ、走れ。  怯むな、ためらうな、失うな。  絶対、誰にも譲れない。  この制服は、間違いなく私のもの── 「きゃあああっ」  突然、世界が反転した。  強い力に右足を掴まれ、気づけば逆さ吊りの状態で身体が宙に浮いていた。 「やだ、離して!」  誰が捕まえた?  誰がこんなことをした?  必死に訴えているのに、聞こえてくるのはかすかな笑い声だけだ。  振り向いて確かめたいのに、身体の自由がまるできかない。  やわらかな銀の髪の毛も、おそらく今はぐちゃぐちゃだ。  暴れる彼女の背後から「先生、こっちこっちー」と声がした。  男だ。  しかも笑っているようだ。  冗談じゃない。  私は逃げなきゃいけないのに。 「離して!」 「まあまあ、暴れるなって」 「知るか、離せ! 離して!」  嫌だ、譲らない。  絶対に手放さない! (この制服は、私のもの──)  次の瞬間、クロエの身体はすさまじい熱に包まれた。 「い……っ」  痛い。苦しい。  燃えるように身体が熱い。 「おい、お前……っ」  誰かの焦るような声が聞こえてくる。  でも、知らない。  そんなの構っていられない。 「ルネ、どうしたのですか、これは!」 「わかんないよ、俺にも! せっかくうまいこと捕まえたのに、なんか急に苦しみだして……」 「ひとまず魔法を解きなさい」 「わかった!」  ルネと呼ばれた少年が、なにやら謎の言葉を口にする。  とたんに右足は自由を取り戻し、クロエの身体は真っ逆さまに落下した。 「きゃあっ」  地面に叩きつけられる──そう覚悟したのに、受けとめたのは誰かの腕のなかだった。  クロエは、恐る恐る目をあけてみた。 「悪い、大丈夫か?」  どうやら彼がルネらしい。  深い森を思わせる緑の瞳──そこに自分の顔が映っていた。  けれども、それも数瞬のことだった。  ルネはふっと顔を動かすと「なんだよ、これ」と興奮したような声をあげた。 「すげぇ……炎の色じゃん!」  ──炎の色?  怪訝に思ったクロエは、ルネの目線を追って息を呑んだ。  先ほどまで初雪のようだった制服が、なぜか赤く染まっている。  例えるなら炎──あるいはクロエの瞳と同じ「夕焼けの色」だろうか。 「ねえ、これって合格だよね」 「は?」 「この色だと、私、合格ってことになるはずだよね?」 「そんなの、俺に聞かれても……」 「どうして!? 大切なことなんだよ?」  制服の色は変わった。  ならば「適性はある」ということではないのか?  だったら、この制服は「私のもの」のはずなのに。 「立ちなさい、14番」  ふいに届いた静かな声。  いつのまにか、試験会場にいた黒衣の女性がすぐそばに立っていた。 「どうしたのです? 歩けないのですか? だったら術を行使して、あなたを試験会場まで運びますが……」 「嫌です! 拒否します!」  それから、とクロエは制服の胸元を強く押さえた。 「この制服を脱ぐのもお断りです」 そのために試験会場から逃げたのだ。 すべては、この制服のため。 「だからまずは認めてください。私は合格だって」 私から制服を取り上げるつもりはないと、この場で誓って。 クロエの訴えに、黒衣の女性はため息をついた。 「合否はひとまず保留です」 「……えっ」 「このあと行われる審議によってすべてが決まると思われます」 「そんなの知りません」 クロエは、黒衣の女性を睨みつけた。 「合格以外、受け入れませんから。絶対に」 数時間後──クロエ=デュボアの合格が正式に決まった。 この夕焼け色の制服を着つづける権利を、クロエは今度こそ手に入れたのだ。 茜色に染まる校内を、クロエは軽やかな足取りで歩いていた。 まずは家族に、それから友人たちに、合格したことを伝えないと── 「よう」 見覚えのある人物が、正門に寄りかかっていた。 クロエを捕まえ、解放した「ルネ」と呼ばれていた少年だ。 「その様子だと合格か。おめでとう」 「……どうして?」 「うん?」 「合格するのは当然だよ。おめでとうでもなんでもない」 事もなげに答えるクロエに、ルネは皮肉げな笑みを向けてきた。 「ずいぶん自信家だな」 「そんなことないよ。単に決まっていたことが形になっただけだから」 「『決まっていた』って、誰が決めたんだよ」 「もちろん私」 「……だからさぁ」 そういうところだって、とルネは肩をすくめる。 ふたりの姿は、そのまま夕闇のなかへと消えていった。 その様子を、黒衣の女性が眺めていた。 「本当に良かったのですか? あの少女を我が校に招き入れて」 「当然だろう」 そう答えたのは、幾分年かさの試験官だ。 「あの制服の色を見て、君は何を感じた?」 「それは……」 炎、あるいは夕焼け、あるいは── 「不吉な色だ、と」 「そのとおり。文献にもあっただろう」 焼ける太陽の色をもつ者は、いずれ災いをもたらすだろう、と。 「そのような者を放置しておくわけにいくまい」 「ですが……」 「とにかく今は監視せねば」 試験官の言葉に、女性は目を伏せた。 まぶたの裏には焼ける太陽の色が浮かび、やがて静かに消えていった。
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