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年末年始
ヴァイオリン担当教授の朝倉恵子は終始機嫌が良かった。
今日で、年内最後の授業だ。どうやら今年の3年生は士気が高いらしく、教え甲斐というものがあるらしかった。レッスンが終わり、紙を配布しながら言った。
「年始の授業は1月6日です。そこで、一人ずつ自由曲を聴いてあげられる時間をとれると思うから、みんな本番通りに出来る様に準備してきてね」
は~いと学生がまばらな返事をすると、授業が終わった。
終わってしまった。
ここまでは団体戦の様な雰囲気があるが、年が明けると一気に試験に近付く。個人戦ムードになる。この年末年始で個人としてのスキルをどれほど伸ばせるかというところが鍵となっている。おそらく勝敗を分けるだろう。
りんは夏希と康介と一緒に校舎を出た。
「やばいな~全然進んでないよ自由曲」夏希がため息をついた。白い息が見える。
「夏希の自由曲ってなんだっけ?」
「ん?チャイコフスキーの『バイオリンコンチェルト』厳しいな~曲変えたくなってきた~」
康介がハハッと笑った。「今更変えらんねぇだろ。『バイオリンコンチェルト』ってことはお前ソリストになりたいんだろ?だったら頑張んな~」コンチェルトとは、オーケストラに1人のソリストが入って演奏する形態であり、ソリストを目指す学生は自由曲にコンチェルトを選ぶのだ。
康介が夏希の肩に手をかけ、2人は歩き始める。りんはその後ろからついて歩き、誰も間に入れないその二人の関係を少し羨ましく見ていた。
しかしその目線はすぐにその先へ移った。
奏だ。一週間ぶりに奏が大学に来た。
前にいた2人も奏に気付いたらしく、「大丈夫か」などと声をかけていた。そして後ろにいたりんとすれ違う時、奏は手に持ったスマートフォンをゆらゆらと振ってきた。
ドキッとした。
一体なんだろう。
駅のホームで電車を待つ間、楽しそうにじゃれ合う夏希と康介を横目にメールを確認した。
『授業、17時に終わる。その後会いたい。』
胸の高鳴りが抑えられなかった。
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