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3. 雨はまだ止まない
僕と妹の深咲は、一つ違いの兄妹です。
小さい頃の深咲は、いつも僕の後をついて歩いていたものです。その頃から深咲は、とても可愛い子でした。
深咲は、昔から泣き虫な子でした。ちょっと転んだり、虫なんかが出て来たり、叱られたりしたらすぐに泣いてしまったんです。それは保育園に上がっても、小学校に行くようになっても変わりませんでした。
僕はそんな深咲が心配で、暇さえあれば様子を見に行っていました。それはもう、学校の休み時間ごとにね。泣き虫の深咲がいじめられそうな予兆があると、先回りしてそいつをシメてやりました。
どうやってシメたか、教えてあげましょうか? 昔から、僕と深咲は体つきも顔も良く似ていたんです。髪型と服装をそろえたら、親にも区別がつかないくらいでした。
深咲の格好をして近づいたら、どいつもこいつも油断してましてね。隙をついて、ボコボコにするんです。皆面白いくらいに引っかかりましたよ。
深咲が成長して女らしくなって来ると、僕にはまた別の心配が生まれました。こんなに可愛い深咲に、悪い虫がついたらどうしよう、とね。
男子はもちろん、女子だって悪い遊びに深咲を引き込む可能性がある。友達は慎重に選びました。ええ、僕がね。ちゃんとSNSやメールもチェックして。
でも、深咲は賢い子なので、変な友達とは付き合ってはいませんでした。もっぱら一人で本や漫画を読んでいましたね。同人誌なんかも取り寄せていたようです。あんまり過激なのは困りますが、漫画の登場人物なら深咲を傷つけることなどありませんから、まあ安心です。
休みの日もそんなに出歩くことは少なかったんですが、まさか漫画を自分で描いてるなんて思いませんでしたよ。「作品を本にしたい、即売会でみんなに見せたい」なんて、土下座する勢いで頼まれた日には、僕だって一肌脱がざるを得ないでしょう。
同人誌の作り方とか、即売会へ出す方法とか、深咲はちゃんと自分で調べていました。さすが僕の妹です。
でも、一つ問題がありました。同人誌の即売会なんて、TAKAさんには申し訳ありませんが、要するにオタクの集まりでしょう。どんな奴が来るのかわかったもんじゃない。そんなところに僕の深咲をやるわけには行きません。
だから、僕は子供の時と同じように、身代わりになることにしました。幸いにも、まだ僕と深咲は良く似ていました。
ふわりとした服装なら、体型も隠せます。深咲に似合いそうな可愛くて女の子っぽい服を着て、化粧をしたら、今でもそっくりになれました。TAKAさんだって、見分けがつかなかったでしょう? 深咲には自室にいてもらって、即売会にはずっと僕が出ていたんです。
おかげ様で、深咲の本は好評でした。最初は一冊だけと言っていましたが、深咲も喜んでいたことですし、続けて本を出すことにしました。……実を言うと、僕も少し即売会に出ることにハマっていたんですよ。
高校を出て大学生になると、深咲は家を出て一人暮らしがしたいと言い出しました。僕は反対しましたが、深咲は両親を説得して、家を出ることが決まりました。もちろん、部屋を選ぶ時は僕が立ち会いました。事故物件だったりとか、変な住人がいたりしたら困るじゃないですか。
大学に行くようになっても、深咲とは密に連絡を取り合っていました。この部屋にもしょっちゅう顔を出していました。深咲はあまり外に出ることはなかったし、出ても食べ物や本を買いに行くくらいでした。
それでも何とか、一人暮らしに慣れて来た時でした。本屋で、深咲に声をかけて来た奴がいたんです。
そいつは深咲と同じ大学に通っているようでした。声をかけられてから、学食で度々そいつを見るようになったと言います。最初は少し離れた席に座っていたのが、だんだん近くの席に座るようになったそうです。
どうやら学校からの帰り道で後をつけられたらしく、ゴミを漁られるようになったり、何だかわけのわからない手紙のついた贈り物がポストに突っ込んであったりもしました。
僕はそいつの動向がわからないかと、春深さくらのSNSアカウントを作りました。そうしたら、やけに馴れ馴れしい文章で、熱烈なレスやメッセージをくれるフォロワーがいましてね。
……ええ、あなたですよ、TAKAさん。
ゴミ置き場を見張っていると、あなたの姿をよく見かけましたよ。深咲の部屋から出たゴミを漁って、その中の何かを持って帰ったりしてましたよね? あれはプレゼントのお返しにもらったんですか?
今日だって、ここに来たのはこれが目的なんでしょう? 深咲の遺骨。これがあれば、いつでも深咲と一緒ですからね。でも駄目ですよ。深咲は骨の一欠片まで僕のものです。
まあ、深咲はあれだけ可愛いんですから、気になってしまうのも仕方ないですが。でも、せっかく悪い虫がつかないように、高校も大学も女子校に入れたんですが、油断ならないものですね。
ねえ、都木貴和さん。
そうそう、深咲に付き合っている男性がいるようなことを言ってましたが、それは僕ですよ。深咲を世界で最も愛している男は、この僕ですからね。深咲の身も心も、他の男に渡すわけには行きませんよ。ましてや、初めてをね。
だからね、TAKAさん。深咲にストーキングをして、その心を壊したあなたを、僕は許すことが出来ないんです。
春深さくらは、深咲と僕の子供のような存在です。でも、深咲が死んだ今、もう本は作れない。春深さくらは殺されたも同然です。
え? さくらを殺したのは僕も同じですか? 他の人のせいにしてはいけませんよ。
……どこへ行くんです、TAKAさん。雨が止むまでここにいる約束でしょう? ああ、眠くなって来ましたか? 深咲が飲んでいた睡眠導入剤をお茶に入れたんですが、やっと効いて来たみたいですね。
大丈夫ですよ、雨が止んだらこの部屋から出してあげますから。……まあ、生きてかどうかはわかりませんがね。
◆
その部屋のドアは閉ざされたまま、客は帰る気配がない。
雨は、まだ止まない。
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