アメヨケル

6/6

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
二人とまた数年後に会う約束を交わし、俺は見送られながらタクシーに乗った。 雨はまだ降り止まない。フロントガラスをワイパーが往復するたび、雨たちは流れていった。 目的地は空港。二時間後には空にいる予定だ。 定はブイロガー、原口は家業を継いで鰻屋。 俺はカメラマンになった。 今はフリーだが、物好きな出版社が俺に声を掛けて「世界遺産シリーズを撮ってくれ」とご注文。 「旅費をくれるなら」と二度返事で快諾し、 これまでに10カ国の風景と文化と建造物を撮り続けて来た。 これから向かう先はバルト三国。 タクシーを降りて、駆け足で国際線ターミナルへ向かった。雨に打たれたく無い。 搭乗時間まで20分。近場でコーヒーを飲み、空いた席に腰掛けてふと外を眺めた。 大きな窓ガラスに、少し弱まった雨が大小様々な水玉の雫を落としていた。 少し離れた所で、同じ様に外の天気を見ている人が、窓ガラスの僅かな反射で俺の視界に映った。 降り注ぐ雨を上目遣いで見つめ、唇を少し結ぶ横顔。 俺はその横顔を忘れはしなかった。 「もしかして、雨宮さん?」 「え?!」俺に声を掛けられた女性は驚いて声を裏返した。 その驚き方も含めて、横に立って雨を眺めていたのが雨宮さんだと俺は確信した。 「やっぱりそうだ。雨宮さんだ」 「あ、傘原……くん?」 雨宮さんは昔と殆ど変わらなかった。 黒髪のボブヘア。大人しめな服装。 「久しぶり、だね」と雨宮さんは目をキョロキョロとあちこちに視線を送って言った。 「本当に。ホントに久しぶり」俺は何度も頭を縦振りして言った。まさか定の冗談が現実になるとは。 「うん。久しぶり」と、雨宮さんはやや視線を下に向けて答えた。 「今日久々に地元帰っててさ、懐かしい奴らに会ってたんだよ。多分、雨宮さんも知ってるかも」 「そっか。元気にしてるんだね」 「雨宮さんは?」 「まぁまぁ、かな」 「まぁまぁ、ですか」 「そうだね。可もなく不可もなく、ひと仕事終えて母国に戻ったところ、かな」 「そうなんだ」 「傘原くんは?」 「俺は、今からひと仕事しに行くところ、だな」 「行き違いなんだね。少し、残念」 「残念?」 「あの時借りた傘、まだ返してないから」 「え? そうだっけ?」 「うん。ごめん。借りっぱなし」 「いや、流石に何十年も保たないでしょ? ただのビニール傘よ?」 「うん。ごめん。大学生の頃、使ってて壊れちゃった」 「そんな長い間もったんだ。てか、使ってたんだ」 「あ、あの!」と急にまた雨宮さんは声が裏返って何か言いたげだった。 その声と同時にアナウスが流れた。そろそろ時間になった。 「ごめん、雨宮さん。今の便に乗るんだ」 「これ!」雨宮さんは鞄から折り畳み傘を取り出して俺の胸の高さに突き出した。 「それ貸すから! あの時のお返し」 俺は「大丈夫だよ、雨避けれる……」と言い掛けたその時に雨宮さんが重ねて言った。 「ちゃんと返しに来てね。それじゃあ!」 振り向きもせずに雨宮さんは一方的に会話を閉じてスタスタと歩き出して行ってしまった。 質素な深緑の折り畳み傘。俺は雨宮さんの背中に向けて言葉を送った。 「ありがとう! 必ず返しに行くよ」 雨宮さんは立ち止まって振り向いた。 「約束ね」 お互いに手を振って、俺たちはまた別れた。 飛行機の座席の窓から外を眺めると、雨は止んでいた。 俺は借りた傘を大事に手元に握りしめていた。 十五年前の雨宮さんの気持ちが、その傘を通して伝わった気がした。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加