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その2 悪態について。
悪態。
感情的になり、思いつきのままに口から飛び出す言葉である。
世間一般ではあまりよく思われておらず。中には、放送禁止用語になっているものもある。
そのせいか、近年では、悪態をつくことはいけないことだと、粛清する方向に進んでいる。
しかし、私は悪態が好きなのである。
ここで誤解をしていただかないよう申し上げると、差別的な発言はもってのほか。相手の基本的人権を茶化すことは忌むべきこと。であるというスタンスは、同じであるということである。そして、言う時は仲のいい友人と、ということも忘れていけない。
と言っても、「それでは、差別的な発言を除いて、どのような悪態があるのか」と思われるであろう。
次に例を上げる。
その1。「マヌケ(間抜け)」
ぜひ、一度声に出していただきたい。
声に出したときの勢い。一息で言える手軽さ。言葉にも、ダーウィンの進化論が当てはまると言うならば、まさしくこの言葉は生き残ってきた猛者であると思う。意味に際しても、間の抜けたような態度を追求する一言であり、「この間抜けめが。」と優しく伝えることは、むしろ愛にもなり得る。
その1で何が伝えたかったのかと言うと、感情をストレートにぶつけるという点で、悪態と告白は似ているのではないかということである。極論ではあるが。
その2。「sblood(gods blood)」
この言葉は、シェイクスピアからの引用なのだが、訳すと、「神の血」という意味となる。ちくしょう。みたいな使い方だったと思う。gods blood.と叫んでしまうのは文化という面でも、非常に興味深い。日本でいうところの、「田分け」に似ている。
つまり、その2で何を言いたいのかというと、悪態はその国の文化を内包しているということである。
私は、感情、ユーモア、文化を含んだ悪態は、嗜好であると思っている。あるいは、それぞれに極端な言葉。「この猿の尻尾め!」「私は、差別をしない。すべての人間を等しく嫌っているから。」「地獄に落ちるぞ。」がそれぞれに当たる。
相手を傷つける為ではなく。場を盛り上げる言葉としてこれらを効果的に使う。というスタイルが何よりも大事なのだと思う。
だからこそ、最近の「悪態はすべてだめなものだ。」という風潮には少し寂しいものを感じる。
冒頭にお伝えしたように、相手を傷つけることを目的とした発言は嫌いである。
誹謗中傷がまさにそれに当たる。誹謗中傷は意外と、感情なく書かれていることが多い。そして、直接的でユーモアがなく、文化(理解)の無い場合がある。
そして、誹謗中傷の元になるのは、何かしらの事実の糾弾が、元になっていると思うのだが、正しいことをどのような言葉で発言するのか。によって、その人の正しさ?が決まると思うのだ。
だから、小指を机の脚にぶつけて「fu●k」と叫んだことは、悪くない。下品ではあるが…。
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