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プロローグ 安アパートの陰陽師
「はあ~」
京都市左京区のとある安アパートの一室。狐依恭は、さっきから何度目か分からないため息を漏らし、ぼんやりとした目で窓の外の大文字山を眺めていた。
木が伐られて草地となった山肌にでかでかと描かれた「大」の文字は初夏の斜陽に照らされ、鮮やかな茜色に染まっている。
観光客には物珍しい風景だろうが、京都暮らしが長い恭にとって、それは日常の一コマに過ぎなかった。
だから彼はことさら大文字山に興味を惹かれているわけではないのだが、部屋に一つしかない窓がちょうど「大」の正面なので、そちらを見て物思いに耽るしかなかったのである。
冴えない表情で机に肘をつき、反対側の手を膝の上に浮かせてゆっくり左右に動かしている。まるで何かを撫でているような手つきだ。
机の上には今年の春以降、全く手を付けていない大学の生物学系の教材が積まれている。それは卒業後も学生気分が抜けきっていない彼の心境を映しているようであった。
「定職に付けていれば、もうちょっとマシな生活が送れていたのかねえ……」
ため息交じりの独り言が口から零れ落ちる。同時に、ぐう、と彼の腹の虫が鳴いた。
恭は机の引き出しから財布を取り出して中を覗き込み、たちまちその顔にショックの色を浮かべる。
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