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あれは、六月に入ってしばらくのこと。少し早い梅雨が来て、世界が灰色の湿度に包まれているかのような、陰鬱な日々が続く中のことだった。
友人たちが揃って不在で、僕は学食で一人寂しく「かけうどん」をすすっていた。すると――。
「秋月くん。ここ、いいかな?」
突然かけられた声に振り向くと、そこにはなんと皐月原さんが立っていた。
小さなサンドイッチが乗ったお皿を手に、可愛らしく首を傾げている。長く艶やかな黒髪が、サラリと揺れた。
「……いい、けど」
「ありがと~。よいしょっと」
心底「助かった」というような笑顔を浮かべながら、彼女が僕の横の席に座る。
見れば、昼時の学食は盛況そのもので、ほぼ満席だ。空いている席は数えるほどしかない。
(なんだ、ただ単に顔見知りの隣を選んだだけか)
がっかりしながら、うどんをすする作業を再開する。けれども、傍らの皐月原さんは、何故か僕の方をじぃっと見つめていて、サンドイッチに手を伸ばす気配がない。
……なんだろうか?
「食べないの?」
「……うん。お腹は空いてるんだけどね。ちょっと気がかりなことがあって」
どこか寂しげな表情で俯く皐月原さん。
その鈴の音のような声は、学食の雑音に消されそうなほどに儚げだ。見るからに何か思い悩んでいる様子だった。
「気がかりなことがある」と、彼女は言った。
わざわざ口にしたということは、僕に相談に乗ってほしい、という意味なのではないだろうか?
――いや。僕は彼女に片思いしているけれども、彼女から見た僕は「ただの同じゼミに所属している男」だ。特段親しい訳じゃない。そんな相手に相談などするだろうか。
その「気がかりなこと」について尋ねようか尋ねまいか悩みながら、視線をうどんと皐月原さんとの間で行ったり来たりさせる。
途中、白いワンピースから除く無防備な鎖骨が目に入ってドギマギしてしまったけれど、何とか平静を保つ。
……考えてみれば、これは彼女との距離を縮めるチャンスなのだ。彼女の話を聞いてみるのが吉だろう。もちろん、下心はオブラートに包んで。
「何か……あったの?」
「うん。あった……というか、これからある、というか。友達にも相談しにくいことでね。かなり気が重いの」
白魚のような指でサンドイッチをツンツンとつっつきながら、憂い混じりの苦笑いを浮かべる彼女。
「そのサンドイッチになりたい」等という、倒錯的な欲求が浮かんだけれども、それを必死に横へ追いやり、会話を繋ぐ。
「友達には相談しにくい……仲の良い人には、あまり聞かせたくない話?」
「というか、女友達には頼れない話、かな? 私、男友達なんていないから、相談出来る人もいなくて……」
言いながら、チラリと僕に視線を送る皐月原さん。
「おっと、僕は男友達にもカウントされていなかったのか」と少しガッカリしたけれども、努めて表情には出さない。
少し持って回った言い方だけど、どうやら彼女が僕に相談したがっているというのは、気のせいではないようだ。
だから僕は、彼女が求めているであろう、その言葉を口にした。
「――それは、僕が聞いてもいい話かな?」
「っ!? う、うん! ……その、結構重い話だけど、聞いてくれる?」
「僕で良ければ」
「重い話」という言葉に、実は少し腰が引けていたけれども、それをおくびにも出さず僕は頷いて見せた。
偉いぞ、僕。
――しかし、彼女の言う「重い話」は、僕の想像を超えてヘビーだった。
「うん……実はね。私、警察に呼ばれているの――元彼の件で」
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