微かな安堵を抱く彼女

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微かな安堵を抱く彼女

最近、息苦しいな、と感じることが増えた。自然と呼吸が浅くなり、胸が薄くなったり厚くなったりを小さく繰り返す。両肩に力が入り、上下に揺れる。 高校を卒業して数年、勤めた会社で今の彼と出会い、もうすぐ結婚。順風満帆で絵に描いたような未来が待っているはずだったのに、そうはさせないぞ、と言わんばかりのタイミングだと思った。 急に倒れてしまう事態になったら、困るなんてものじゃない。そう思って、医者にかかったのは、つい3日前のこと。当日は、いくつかの検査を経て、結果は1週間後と聞いていた。 すぐに来てくださいね、と昨夜、電話があった。聞き覚えがある声だった。病院の窓口で会計をしてくれて、私はうっかりお釣りを受け取り忘れてしまったのだけれど、急いで追いかけてきてくれた。ふふ、と柔らかな笑顔が、とても印象的な女性だった。その声が、電話口では、少し固く、機械的に聞こえてしまった。病状は、予想以上に悪いらしい。当日は、付き添いをひとり連れてくるよう言われたので、彼にその役を頼んだ。頼んだ時、彼も驚いた様子だったが、快諾してくれた。 病院の受付を済ませて2人で待っていると、名前を呼ばれた。苗字は彼と同じにすると決めていたが、まだ届出は出していないので、旧姓だった。少し前までは、この苗字で呼ばれるのもあと数回ね、と感傷に浸るふりをしていたなあとぼんやりと思った。 呼ばれた先の小部屋に入ると、検査日に会った初老の医師が待っていた。口を真一文字に結び、細めた目を手元の紙へ向けた。それから小さく咳をすると、私の方へ居直った。 「検査の結果ですがね、難しい状況かもしれません……。もう少し大きな病院で診てもらわないと断定できませんが……。」 「ーーもしかして、治らないような病気でしょうか。私は、あと何年と生きられないのでしょうか。」 医師が言い終わる前に、自分から核心に迫っていた。心臓が、ドッドッと力強く波打っている。その音は生きている証でもあるはずなのに、口の中は渇き、発した言葉を自分が言った実感はなかった。 医師は、何も言わず、彼の方へと視線をうつした。視線を受け止めた彼が、隣で頷くのを感じた。医師は、ゆっくりと口を開いた。 「本当に、再検査を受けないと明確には言えないですがね、可能性は高いかもしれません。」 医師は、私の目をまっすぐに見つめて言った。 答えを聞いて、やっぱり、と、こわい、が同時に背中をゾワゾワと駆けていった。 少し体勢がよろけたところで、彼がしっかりと私の腕をつかんで支えた。 可能性のある病名や、紹介先の病院の話は、耳へと入ってこなかった。 「ーーただ、世界は明日滅亡しますから。いつもの紹介先は予約で埋まっていますし、たとえ検査を受けられても、結果を当日中に知ることはできないんですよ。」 説明を続けていた医師の言葉の中で、少しだけ、その部分だけ、耳に入ってきた。 そう、明日は世界滅亡の日。 滅亡しなかったら、私はこの先、闘う未来を歩んでいたのだろうか。幸せを疑わなかったこの先に。 私は1人だっただろうか。彼は1人だったろうか。 でも、明日は世界滅亡の日。 未来はやってこない。私たちは2人のままで明日を迎えるのよ。
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