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足音が聞こえた。それは、わたしのものでも侑一さんのものでもない。
「僕、紗友里ちゃんの同期で椎名っていいます。遅くまで付き合わせてしまってすみません」
椎名さんがわたしのすぐ後ろまで来て、侑一さんに向かって頭を下げた。紗友里ちゃん、と呟いた侑一さんの低い声が耳に刺さって、背筋に冷や汗が流れる。
「……古賀と申します。うちの紗友里が、いつもお世話になっています」
「いえ、お世話になってるのは僕のほうですよ。同じ1階なので、なにかと会うことも多くて」
「そうなんですか。それはなによりです」
恐る恐る侑一さんの顔を見ると、いつもと同じ穏やかな笑顔を浮かべていた。ただし、それは貼り付けたような「営業スマイル」で──いつの間にか手を強く握られていて、鼓動がどんどん速くなっていく。
「今日、一緒に子どもの面倒を見たんですけどね。紗友里ちゃん、大人気でしたよ。いいお母さんになりそうだなって思っちゃいました」
「ええ。紗友里は本当にいい奥さんなんですよ。きっと仕事も頑張っていると思いますので、これからもよろしくお願いしますね」
じゃあ、家に入ろっか。椎名さんの前なのに、ふたりでいるときのように頭を優しく撫でられる。恥ずかしくて俯いていると、次は肩を抱かれてしまった。
「紗友里ちゃん、お疲れさま。ゆっくり休んでね」
「椎名さんもお疲れさまです。気をつけて……」
「送ってくれてありがとうございました。それでは」
わたしの言葉を遮って、侑一さんがくるっと踵を返す。わたしの肩を抱く手に力がこもっていて、冷や汗が止まらない。……もしかして。いや、もしかしなくても、怒ってる?
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