サボテン・ラヴァー

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サボテン・ラヴァー

 「止んだら帰るね」と言ったきり、彼女は外を眺め続けている。 雨雲の終わりを探しているのか、拍手のような音に耳を傾けているのか。僕に背を向け、窓際に三角座りで、小柄な体がさらに縮こまり、エアコンの風になびくかのようにわずかばかり左右に揺れている。 北窓のワンルームはたいてい薄暗い。この6月は特に天気が悪く、油断をすると部屋の隅からキノコが生えてしまいそうだし、去年は実際に生えた。今年そうならずに済んでいるのは、彼女が持ち込んだ高そうな空気清浄機のおかげなのだろう。 2つのサボテン・枕・空気清浄機。そして週の半分ほど、彼女自身。昨年の夏には無くて、その後この部屋に増えたものといえばそれくらいだ。 けれど、キノコとの共生を厭わない僕と、枕を抱えたまま市営地下鉄に乗ることを恥としない彼女では、いずれこんな日が来るのは決まり切っていたことなのかもしれない。 相変わらず彼女は揺れているし、僕もその後ろ姿を横目でうかがう以外にすることはない。こういう時に何を言ったってどうしようもないと学んだのは、この1年を通して得た大きな知見のひとつだ。 むしろここは僕の城であり、国だったのだから、あれこれと外の決まり事を持ち込む方が間違っているのではないか。折れるべきなのは彼女の方だ。 机の端をカリカリと指で削りながら、彼女の罪状をそこに並べる。天板の化粧板は随分と剥がれ、安そうな下地の色が目立ち始めている。 お互いの風船に息を吹き込み続けるような生活だった。血の繋がらない他人との暮らし方なんて学校で習った覚えはないし、それはきっと彼女も同じだろう。世の中の男女はそのカオスをどう治めているのか。 知っている限りの成功例――僕の両親や一部の友人たち――に照らすと、溜まった鬱憤を逃がす手段を知っているとか、巨大な受け皿を心に備えているとか、そういう資質が無ければ成立し得ないものなのかもしれない。そして僕たちにはそれが無く、とどめの針によってとうとう張り裂けてしまった。 本当に、針が刺さって終わったのだ。サボテンの。 今も机の上に並ぶ2つの小ぶりなサボテンは、それぞれちゃんと名前を持っている。昨年の暮れ、その辺で飲んでいて終電を逃した彼女がシェルター代わりにうちを使ったとき、お土産! と言って鉢ごと運び込んできたものだ。 「これはケリーとリッチーなので、かわいがりましょう」 珍しく泥酔していたとはいえ、慣れた枕が無いと熟睡できないような人間が真夜中にそんなことを言うのが面白く、また命名の直後に大変な介抱をする羽目になったのが印象深く、彼女をベッドに寝かしつけた後、マジックで鉢の側面に名前を書いてやった。どっちがケリーでどっちがリッチーなのかは知らない。 「観葉植物なんて、あなたらしくないね」 後日、まともな彼女は僕の部屋にサボテンが鎮座していることに気付き、そう言った。 「名前までつけて」 何から何まで君がやったことだからなとは言わないでおいた。なんとなく恩着せがましく、おそらくは彼女の恥となる部分だと思ったから。 別にそれは腹立たしかったわけではなく、むしろ僕の部屋に新しくいのちが増えることは素直に嬉しかった。 「あなたらしくない」と彼女が言及したように、僕ひとりの日々は潤いや癒しの類が一切無くとも成立していたし、二十数年続けたその形を維持することにある種の気持ちよさを覚えていた。 そこに彼女が転がり込んだ。 豪胆な野良猫のようにこの部屋に居座ったかと思えば、枕が違うと眠れないと悩み、新鮮な空気が生きる活力だと語り、星座の由来を調べ、常備菜を上手に作り、B級映画のラストに怒り、季節の変わり目で風邪をひき、歯磨き粉を綺麗に使い切り、レンタカーを借りて僕を連れ出し、冬の空気に鼻を赤くし、泥酔してサボテンを持ち込み、ハミルトンの時計をくれ、寺の撞木に振り回され、チョコレートを爆発させ、B級映画のラストに泣いて、鹿に手を噛まれ、インフルエンザの僕を看て、電子機器の説明書を読まず、葉桜を愛で、性善説を説き、青空を好み、少し短気で気まぐれで、それでも人を愛し、生きる意味について語り、僕の手を引き、ひとりでは知り得ない幸せを教えてくれた。 はっとした。そんな人が、サボテンの針ひとつでこの部屋から居なくなろうとしているのは、正しいことなのだろうか。いや、明らかに釣り合わない。あってはならないことだ。  彼女の罪を机に並べようとして、結果的に出来上がってしまったこの気持ちは、冷めないうちに彼女に投げつけてしまわなければいけない。それも確か、彼女が教えてくれたことだ。
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