ムーンライトの恋

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 それから東京に戻ったアタシは、お菓子の缶に貯めていたお金をぜんぶ巾着に入れて、ほとんど身一つで九州まで逃げたわ。  着いた先で知り合った男の人と結婚して、三人の子供に恵まれて、そして孫も。ひ孫も生まれたの。  今日はその孫達が、アタシの傘寿(さんじゅ)のお祝いをしてくれるんですって。ご存じない? 傘寿。八十歳よ。数えでね。ほら、傘っていう字、八十って入っているでしょう?  ええ、アタシ幸せです。あんなことをしていたのに、こんなに幸せになって良かったのかしらと思うくらい。  ホントに幸せよ。  ホントよ。  でも、そうね。  こんな日にこうしてあの頃のことを思い返してしまうのは、きっと窓の外にあの夜のような雨が降っているせいね。  あの夜の、じっとりと体にまとわりつくような雨は、この五十年以上、アタシの中で止むことはなかった。あの頃の楽しくて幸せだった時間と、奥様への後ろめたさと、愛する人から逃げてしまった後悔が、あの夜の雨に溶けて降り続いていたわ。  彰治郎さんの噂はその後とんと入って来なかったけど、そうね、もう二十年くらい前かしら、テレビで訃報が流れるのを見たわ。喪主はあの頃の奥様だった。  そう、結局奥様と添い遂げられたの、って、ホッとした反面、ちょっと彰治郎さんを恨んじゃった。自分も結婚したくせに、言える立場じゃないわね。
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