夏の終わりのS陣

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夏の終わりのS陣

 カン高い子どもたちの声が空に舞い上がり、セミの鳴きしきる声と溶け合うあたりで、夏の終わりは夕方に染まっていた。褪せた緑色のフェンスにしがみついた男の子が、敵の男の子の水風船爆弾に撃たれた。青いプラスチック製のカバーに覆われたシーソーの周りを、一輪車の女の子たちが手をつなぎ、もうなんべんもぐるぐるしている。六畳くらいの砂場には黄色いバケツが、折れた赤いシャベルと一緒に忘れられていた。錆びた音のきしむブランコとまっすぐ降りるだけのすべり台、遊具といえばそれくらいしかない遊び場―。姿かたちがまるっきり同じ屋根が並ぶ新しい町の小さな公園には、時おり車が音を立てて過ぎてゆくばかりで、ほかに大人たちの姿はなかった。どこからかふとナツメグの香りが誘う、もうすぐ夕飯時だった。  一人の背の高い男の子が、芝生の真ん中の禿げた砂地に、つま先で大きなSの字を描いた。その男の子の周りに、彼よりも背の低い男の子たち五人と女の子一人が寄り集まった。 「オレとハルヒコでとりけんするべ」 「やっぱグーチーで決めない?」 「いや、とりけんにするべ。オレとオマエ組んだら無敵だべや」 「うん。カズマとハルヒコ組んだらすぐ終わるからオマエら別々のほうがいいわ」  カズマに名指しされたハルヒコは握りこぶしを真ん中に突き出した。そうして二人はじゃんけんをして、勝った方から順に味方を取り合うのだ。 「とーりーけん!」  男の子たちはみんなカズマの方を向いて、澄まし顔をしながら目を輝かせている。じゃんけんに続けざま勝ったカズマの組にはゲンキとシンペイが入って、ハルヒコの組にはヨシとケンゴが入った。最後にあまった女の子は、いるかいらないかのじゃんけんで勝ったカズマにいらないと宣告されて、ハルヒコの組に入った。女の子は口をむすんだまま体を小さくゆすぶって、顔を紅く染めた。 「宝どうする?」  と、カズマが仕切りながら、目ぼしい宝はないかあたりを探しはじめた。ほかの子どもたちも宝を思い浮かべるのだったが、背の高いカズマはゲンキの被っていた新品の野球帽を取り上げて、いち早く宝にしてしまった。 「オマエらの宝は?」  言いながらカズマはこれもはじめから目を付けていたかと見えて、今度はベンチに置かれたキルト製のホールケーキのような丸い小箱を持ち上げた。 「これでいいべ」 「それはダメ!アタシの!」 「それくらいムキになんだったら宝ってことだべや。なぁ、ハルヒコ? 宝これにすっからな」 「それでいいよ。はやくS陣やるべ!」  と、女の子は男の子たちに挟まれて、たいせつな小箱を取り上げられた上に、蓋を開けられて中まで見られてしまった。 「何これ?」 「これリリヤンだべや。ウチのねえちゃんも持ってる」 「ああ。女のおもちゃか」 「ねえ、返して。それアタシの!蹴るよ!」 「蹴ってみろや。なまいき女。じゃぁ戦いに勝って宝取り返せばいいべや。そっち一人多いんだから勝てるべ」  そう言われて女の子は勝ち気な瞳を光らせて、こぶしをかたく握った両腕をぴいんと張って力を込めた。女の子はカズマより背が低かったが、ほかの男の子たちよりは高かった。  はたして両組の宝がさだめられて、ようやく三人対四人のS陣がはじまった。 「出陣!」 「ずっけぇ!おれが合図してからだぞ!」  カズマの合図を待たずに、ケンケン片足跳びで女の子が陣地から飛び出して、続いてカズマ組の男の子たちが女の子を追いかけた。 「女一人に男二人じゃん?だっさぁ!」 「うっせえ、この!」 「きめぇんだよ!デカ女!」  追っ手の二人をするりとかわして、女の子はS陣の外に円く描かれた島という名の安全地帯で両足を着いた。ゲンキとシンペイは、女の子の周りをケンケン跳びで取り囲みながら、四つの眼をギラギラさせている。 「ハルヒコ!カズマ来るから二人で宝守ってよ!」 「命令するなや!弱いくせに」  ハルヒコはヨシとケンゴを宝の前に立たせておいて、自分はケンケン跳びで陣地を出て行った。島にいる女の子が二人の男の子を引きつけている間に、カズマの陣地へと近づく作戦なのだ。カズマは陣地に一人だから、軽はずみには宝から離れることができない。もうひとつの島にハルヒコがたどり着いたところで、カズマが腕を組みながら言った。 「島は十秒までしかいれないんだぞ」 「ずるい!勝手にルール決めないでよ!そういうのは先に言わないとダメなんだよ!」 「オマエが知らないだけだべや!十!九!八!七…」  カズマが数え切らないうちに、島を飛び出したのはハルヒコだった。カズマが仁王立ちになった陣地へ飛び込むと見せかけて、ぐるりとSの字のカーブに沿って、向こう側の島へとケンケン跳ねて行く。その隙を見つけたようにヨシが陣地を飛び出して、ハルヒコのいた島に達すると、勢いはひとたびハルヒコの組に傾いた。 「オマエら!女はもういいからハルヒコ倒せ!」  命令を受けたゲンキとシンペイは、迫って来るハルヒコを迎え撃つ構えだ。今度はハルヒコがゲンキとシンペイを引きつける図となって、ハルヒコはケンケンで二人に体をぶっつけながら叫んだ。 「おい!今だぞ!行け!」  熱のこもった男らしいセリフが、公園中に響き渡るようだった。ハルヒコと女の子が瞳を合わせると、それが合図かのように、女の子は島を飛び出して行った。そして、二人の示し合わされたかの動きにつられたのか、とうとうカズマもケンケンで陣地を飛び出した。 「入れると思ってんのかよ、このアマァ」 「はあ? なによ、いばりんぼう!」  身を投げるように、先にぶっつかっていったのは女の子の方だった。カズマは女の子の体当たりを肩や胸で受け止めながら、今にも抱きしめんばかりに、腕を大きく広げて立ちはだかった。 「オマエはもう、死んでいる」  と、最後の一撃の決めセリフを放って、カズマは両手で強く女の子の肩を弾いた。思わぬ力に片足だった女の子は大きくよろめいたが、一歩うしろに跳ね飛ぶと、そのまま膝のバネを使ってカズマの脇からうまくすり抜けた。肩透かしを食らって、陣地の外で両足を着いてしまったカズマは振り返りざま、女の子のシャツを首から引っ張った。  女の子の体が、夏の終わりの夕方の空に、ふわりと浮き上がった。  女の体の軽さを、男の子たちは息を飲んで見つめていた。  こごめた背中が彼女の肩まで伸びた黒髪よりも早く、地面に叩き落とされた。  みんな両足を地面に着いてしまっていた。  鈍い声をあげて、空から落ちて来た女の子はすぐに胸を起こしたけれども、打ちつけられたおどろきの方が勝って目を丸くした。それから目の前のカズマとハルヒコを荒い息で見つめて、かすかにも動かない男たちを知ると、うつむいて、やがて立ち上がった。 「アタシもうやめる。こんな暴力の遊びなんてしないもん。暴力ふるうやつは弱いやつなんだよ。みんなカズマのこと、ヤバンジンって言ってるもん―。何さ、カギっ子」  喉元を手のひらでぱたぱたと押し当てながら、女の子は震える声をおさえるように言った。そして、カズマの陣地に囚われたキルトの小箱を拾い上げると、ベンチで膝と一緒に抱えて丸くなった。伸びきったシャツの首元を握りしめながら、そっぽを向いたまま、息を吸ったり吐いたりしていた。 「だから女は入ってくんなって言ったんだよ。そこで泣いてんだったら帰れや。邪魔だから」  女の子はもう口をきかなかったが、ベンチから動こうとはしなかった。男の子たちは、女の子がすすり泣くのを、たしかに聞いたのだった。 「テンカやるべ。シンペイ、ボール持ってきて」  カズマは砂地に描かれたSの字を両足でかき消しながら、いつもより優しい声で命令した。  ボールが高く蹴り上げられて、新しい遊びがはじまる。そのボールが空から落ちてくるまでに、男の子たちは風がらせんを巻いてゆくのを見たような気がした。ゆるやかに流れる水の音を聞いたような気がした。そして、どこか遠く懐かしいあかるさを、思い出したような気がした。  五時の鐘―。男の子たちは夕立の激しさに打たれたように、自転車へまたがって、公園を去ってゆくのだ。この頃は、暗くなるのがだいぶ早くなった。  街灯の薄明かりに身をひそめた女の子のもとへ、ハルヒコ一人だけが戻って来た。 「マサミん家、あそこだべ? もう車いなくなったぞ。帰んないの?」 「関係ないもん。ママが迎えに来てくれるから。アンタこそ早く一人で帰れば?団地に」  ハルヒコは、両足が地に着かない大きな自転車にひょいっと飛び乗って、公園を出て行った。その背中が見えなくなるまで、マサミはひとすじに見つめていた。
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